余暇Hike気分

「起きチョッた~?」退職後の生活を楽しんでる私は娘からの電話に応えます。「起きチョるよ~!」

布ぞうりに挑戦

2007-06-21 | 健康・生活
  どちらかというと機械相手が好きで、手作りが苦手の私が、今日はどういうわけか?手作り布ぞうりに初挑戦しました。
  友達Kさんと4時間汗をかき(不器用なうえ、意外に力仕事なんですよ)、1足の4分の1を残したまま持ち帰り、自宅で仕上げました。

  まず、ぞうりの芯にするための縄(実際はビニールひも)をなう作業から始めるのですが、今までテレビでしか見たことがない仕草で、最初はなかなか撚れません。
  ああ、こうやってわらぞうりを作っていたのかと、これはいい経験をしました。 
  苦手な分野なので
(エーッと、苦手でないものってなんだっけ?><;)
ちょっとはずかしいのですが、
証拠写真。
(上手下手は決して言わないでください。(-_-;)

材料はゆかたの生地。
"雑貨 古布 古民具" 香(こう)の先生は気さくな人で、モタモタする私たちに最後までニコニコ、、^^
  
こじんまりした構えだけど、中には手にとって見たい小物が所狭しと並んでいました。
今回は見る時間がなかったので、今度ゆっくり見てみたいな。

ちょっと
 ローマ字で





Koreha(wa) zou(o)ri  desu.
これは    草履   です。

Watashi ga tukuri masita. (tukuru=make)
私   が 作りました。  (作る=make)

Tedukuri  hando meido
手作り = ハンドメイド = handmade = 自己做・手制

母の日

2007-05-14 | 健康・生活
  13日、めったに四人揃って外食することはないが、母の日プレゼントということで何年ぶりかに外で揃いました。
  退職後は飲み事もないので市街地に出向くこともなかったが、「飲むところならよく知ってるけど、食べるところはなぁ?」と言いつつK子が案内してくれた、しゃれた和食(居酒屋?)屋さんで久しぶりの食事となりました。
  たまにはいいねぇ^^ ありがとう!
  帰りはこれも久しぶりに、タクシー 

  Y子の撮った写真はこちら。

義母96歳

2006-12-20 | 健康・生活
 昨日久しぶりに(8月以来)本家に義母の顔を見に行きました。
 義兄夫婦は出かけていて、義兄の長男の嫁がいつもの笑顔で迎えてくれました。 そうです、ここには義母から義兄長男の子まで、四世代が一緒に住んでいます。

 何年か前に会ったときに、クシャクシャっと笑った顔がとても小さくなったなと感じてからは、ほとんど変わりない義母は、ベッドの背を立てて半身を起こし、日課!の朝日新聞を読んでいました。これと地方紙の「宇部日報」を毎日読むらしい。(ここで義母は「昔の〝宇部時報〟ぃね。」と注釈を入れる。)この記憶力のよさ!

 1日2・3時間はこうして起きて新聞を読み、後はベッドに横たわってテレビを見る。合間には孫やひ孫が話しかけ、行き交う姿を目で追う。 食事は一日2回、一口の養命酒を飲むことから始まる。
 らしい。昨日も拡げた新聞の横のベッド用テーブルに、養命酒の小さな杯が置かれていました。

 持っていた天眼鏡を置いて、「誰じゃったかいね?」「おう、○Oちゃん、だいぶ変わったね」と、次男坊の白髪を見る度に気になるらしく前回と同じようにそう言って、「はぁだめじゃね。」と自分で自分のことが出来ない悔しさを毎回のように私たちに告げる。「な~んにも出来んようになった。みなやってもらう。すみませんね、ありがとうございます。」と、ニコニコ笑っている孫の嫁にペコンと頭を下げてみせる。
 「はあダメじゃね」と言いながらも、日ごろから言いたかった感謝の念を、私たちにかこつけて表現し、「ばあちゃん、ばあちゃん」と囲まれ、孫やひ孫の成長を見ながら生活する幸せをかみ締めてるように見えました。

 「えーと、名前忘れた、、あんたーちの、なに、元気かね?」とウチの娘たちのことを(「Y子とK子?」「そうそう!」と確実に思い出して)必ず聞いてくることから、「アベさん、総理大臣になちゃったね」という世間話?まで、「じゃ、また来るね。」と手を振るまでの間、ずっと話は続き話題には事欠かない。

 ずっと大家族の中で生活してきたことがよかったのか、その話題の多さ、記憶力のよさに、はやボケ気味のわたしはいつも舌を巻く。
 「すごいね、ばあちゃん!」と、背中をさすって手を振ると少し目をうるませて「また来ておくれや」と、手を振り返えしてきます。

 ボケはないし元気、とは言っても急に病院に駆け込んだことも何度かあったと聞くし、同居している義兄夫婦の苦労は慮るばかりで、私たちはときどきこうして会いに来るだけで、まかせっきりになっています。

 貧血気味でいつも青い顔をして特別に丈夫だったわけでもなく、キャリアウーマンだったわけでもない義母が、こんなにしっかりと生きていることを思うと、人間の「丈夫」とか「幸せ」とかってナンだろうと考えてしまいます。
 「ばあちゃんには負けるね。」と、30年も若い私たちは、帰りにはいつも義母の放つ元気に感嘆しながら、ほのぼのとした気分になります。
 ばあちゃん、もうすぐ100歳よ、100歳!!

バリアフリー効用

2006-07-25 | 健康・生活
  私には孫はいないけど、宇治に住む姪が、夏休みをとって墓参をした帰りに子供連れで一泊した。  墓地が福岡県の島にあるので、子供たちを海で遊ばせることも兼ねてるらしい。

  姪の二人の子供たちは、去年よりは多少おとなしくなってたとは思うが、相変わらず、バリアフリーの廊下をころ付き椅子で走り回るは、かくれんぼで浴槽・押入れに入り込むは、3年生から導入されたというパソコンで、ゲームの取りあいっこをしてたかと思うと、デスクトップ画面が「これ、どうなったの!?」というようなレイアウトに!

そのうえ「a」を打とうとするとカタカナ文字になるし、どこをどうしてこうなったものやら、、、元の画面に直すのにおおわらわ。

  とんだところでバリアフリーの効用も発揮された、にぎやかで疲れた1日となったが、本来なら、7年前に亡くなった私の妹のウチでこの光景が繰り広げられてるはず。
  料理も上手だった妹の代わりにはなれないけど、少しは「親ン方」を味う手伝いができただろうか?



バリアフリー

2006-07-14 | 健康・生活
  廊下の広いことよりも、まずゼイタクと言えば、「バリアフリー住宅であること」をいうべきかも知れない。

  定年退職を機に「老後をなんとか気持ちよく快適に過ごせる場所を」、ということで新しく家を建てたが、私が股関節症ということもあって、「早晩車椅子になるかもしれない」と、(そんなことはたぶんないゾーと内心思いながらも) 当然のようにバリアフリーを念頭においた。
(足が悪くなくても、バリアフリーなのはいいことですよね? そう思いますよ。)

  たまたま県内に住む甥(家業・建設業)が、父親の病気をきっかけに福祉住環境に関わっているというので、設計施工をお願いした。
  1 段差を作らない 
  部屋への入り口部分も敷居がなく、戸は鴨居にレール(?のようなもの)で吊られている。   おかげで車椅子ならぬ「コロつき椅子」に座ったままゴロゴロと移動が出来、先日、足を痛めて立てなかったときに大変助かった!

  2 車椅子対応の広さと高さ(スイッチなど)
  廊下、トイレ、浴室も車椅子が回転できる広さにした。 トイレも廊下の材料を延長してそのまま敷き詰めてある。
  電気のスイッチ類が腰の高さにしてある。 これは慣れないので初めてのお客が戸惑ったりして、(まだ車椅子ではないので)いいという実感はないけど、ホントに車椅子になったら、ここの方がいいかもしれないと思う。


  3 手すりをつける
  玄関、階段、トイレ、浴室、和室への上がり口に手すりが付いている。
  段差のない中で、唯一和室だけを腰かけられる高さにしているので、
(これも大正解!だった。)
一部に2段の上がり口を付け、手すりもつけた。



    テーブル部分を掘り炬燵のようにしてるので、私は座敷に上がらなくても台所からそのまま腰かけられる。


  4 駐車位置からスロープ
  本当に車椅子で通ることになるのかなあ、と思いながら勝手口までスロープにしてもらった。 今でも私の出入り口になってる。

  (キャー、ウチの写真が載ってる!) 土壁の住まい「二人の家」(鳥居建三“エコ・カフェ♪”)
  老年者、障害者に対する考え方は、便利にして楽に生活できるようにする考えと、なるべく不便にして生活することで体を鍛えるほうがいいという考え、と二通りあるらしいけど、私は、体を鍛えるためにわざわざ2階を居間にして、階段をあがるなんてことはしたくないなあ。

  ゼイタクということで書いたけど、ここに書いたようなことが果たして、老年者、障害者にとって、ゼイタクなことなのかどうか、、、、? ひょっとしてもう、ジョウシキということになってる、、、? 


我が家のぜいたく(2)

2006-07-09 | 健康・生活
  「廊下が広いこと」

  120センチ幅の廊下がありそれが各部屋をつないでいます。
そりゃあ建てるときに車椅子が使えるようにとは言いました。 でも、まだ車椅子ではないし、、、などと貧乏性な私は、「もったいな~い」と、思ってしまって当分は落ち着きませんでした。

が、そのうち頭を切り替えました。
  「ちょっとゼイタク感を味わっている」と思うことにしよう。(実際、気持がいいのは確か!)
  それに、いざホントに車椅子になってから広げるなんて事は、到底出来ないんだし、今、思い切ってやっててよかったに違いない。
  夫婦二人の老後を気持ちよく過ごす場所、ということで二人の退職金をはたいたんだから、「よかった、よかった」と思いながら過ごさなくっちゃあね。


我が家のぜいたく(1)

2006-07-06 | 健康・生活
  「我が家のぜいたく」は?

  何よりもまず「洗面する蛇口からお湯が出ること」と言いたい。
  冬の寒い朝、蛇口をひねってお湯が出てくるたびに、「なんと幸せなことだ」と今まで何度も思ってきた。 

  まだ水道はなく井戸水だった子供の頃、水は遠く離れた井戸からかめに汲み置きして使っていた。 火の気の無い冬の朝は凍えそうで、水に手をつけるのに勇気がいった。 毎朝勇気を出して、その摩擦で少しでも温もるように思い切り顔をこすった。
  そんなことを思い出します。
  こんな話をすると、自分がまるで大昔の人間のように思えてしまうけど、ほんの50年前の話です。

  台所も洗面所もお湯が出る! その上水洗トイレですよ。 なんと幸せな世の中になったものです! 
  (冬の水の冷たさくらいいくらでも我慢できそうなもん、とお思いの人もいるでしょうが、家もまわりも暖かい今とは、まるで環境が違うんです。 分かりませんよねえ。)

  佐賀県の吉野ヶ里遺跡に何度か行ったことがあります。 そこには発掘を元に社会科の教科書に載ってるような弥生時代の様子が復元されています。 復元されている、えーっとあれは、「竪穴式住居」、その中に立ってみると中央で火を焚き、少し高くなってる側が寝るところで、と、生活が伺える。
  雨露をしのぎ暖を取るための家、そのシンプルさがなんともいえない。
  そこには人間がいて、そこから始まって今住んでる家までつながってるんです。 ちょっと住んでみたいなどとチラッと考えたり、、、もします。