【7/8 全員参加完全即興「カフェドジェーム」@おとのしみ会】
全員参加完全即興を3つしたうちの1曲目。
タイトルだけ決めて4人が思うままに即興表現をしました。
再現性のない、今この時のこの4人でしか表現できないものが生まれたと感じます。
カフェドジェーム店内いっぱいに息づいていた、直(なお)さんの涼しげな作品『大水槽』に見守られつつ、本当に、楽しくて可笑しくて激しくて穏やかで嬉しい時間でした。
【7/8 全員参加完全即興「カフェドジェーム」@おとのしみ会】
全員参加完全即興を3つしたうちの1曲目。
タイトルだけ決めて4人が思うままに即興表現をしました。
再現性のない、今この時のこの4人でしか表現できないものが生まれたと感じます。
カフェドジェーム店内いっぱいに息づいていた、直(なお)さんの涼しげな作品『大水槽』に見守られつつ、本当に、楽しくて可笑しくて激しくて穏やかで嬉しい時間でした。
1年1か月ぶりに即興音日記を書きました。164曲目です。
ギターの断片と、「たいしたことなんてどこにもない」という言葉だけ決めておいて、ギターを弾きながら、その場でメロディーと歌詞を書いていきます。
私自身にもどんな音楽になるか分からないまま、気張らずに、流れるまま、演奏します。
音楽の一回性。偶然性。それはそのまま、人の人生の一回性、偶然性です。
私は即興音楽の中に、人の輝きと、人の存在と思考のかけがえのなさを聴きます。
「人間の音楽」は、上手いとか下手とかいう価値観とは別の次元に在ると私は思っています。
■即興音日記#164「しんけいしつのしつ」
daily improvised music#164 "quality of a nervous person"
録音データ
フジサキヒロカズ:曲・詞・ギター・声・ミュージックビデオ制作
2023年7月22日 自宅録音
2分41秒
【日本一わかりやすい外国人留学生のための日本の就活動画】
vol 1:就活のはじめかた編
vol 2:面接編
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今日は音楽以外の話題です。
私の生業は日本語教師です。神戸三宮にあるコミュニカ学院に勤務しています。
過日、大学コンソーシアムひょうご神戸からの委託で標題の就活動画制作に関わらせていただきました。
吉本興業のお笑い芸人フランポネさんと共演させていただいた二本の動画がYouTubeで公開されています。
日本、神戸での就職を考えている/考え始めている外国人留学生のみなさんに見ていただき、何かのきっかけにしていただけたら嬉しいです。
また、就職を考えている留学生が周囲にいる、という日本の方々もご覧いただき、これらの動画を共有していただけましたら幸いです。
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vol 1:就活のはじめかた編
vol 2:面接編
企画:兵庫県,大学コンソーシアムひょうご神戸
協力:吉本興業,コミュニカ学院
2021年3月14日にアルバム『音楽と非音楽のあいだ=日常』を配信&CDリリースして、丸2年が経ちました。
全身全霊をかけて制作した11曲の音楽を、それを形にしたCDのアートワークを、心から愛おしく、誇らしく思います。
このリンクから全曲を聴くことができます(個人的にはYouTube Musicをよく使います)
以下、このアルバムについて少し書きます。
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「まだ見ぬ外部と出会う」ために私は作曲と即興を行っている。
まだ見ぬ外部は日々の暮らしの中に在る。
まだ見ぬ外部は暮らしの中から生まれてくる。
音楽は日常。
非音楽もまた日常。
音楽と非音楽のあいだに在る全ては日常。
非日常に没入したいという願いは私にはない。
私にとって音楽は、私を非日常に連れて行ってくれる道具でも手段でもメディアでもない。
外部は未知。
音楽は暮らしと地続きの外部。
未知は暮らしの中にある。
作曲することは生きること。
音楽は、素朴さと静寂と複雑さと興奮と越境と喜び。私にとって愛おしい音楽は、これらが感じられるもの。私の音楽もそうであってほしい。
このような考えのもと『音楽と非音楽のあいだ=日常』というアルバムタイトルを付けた。
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私の音楽は、大衆音楽でも商業音楽でも芸術音楽でもない。
私の音楽は、人間の音楽。
有史以来、世界中の人間が生み出してきた音楽は全て、
大衆音楽、商業音楽、芸術音楽である以前に、人間の音楽という地平に在ると私は考えている。
プロフェッショナル/アマチュアという概念や、良い/悪いという判断は、人間の音楽の地平においては些事に過ぎない。私にとっては。
もう一つ、人間の音楽にとって大切なことは、全ての人は生まれながらにして作曲者という事実。
世界中の人は皆、自分の暮らしに相応させた音楽をつくることができる。
私も作曲者。だから私の音楽も「人間の音楽」の地平に在る。
その地平にある無数の砂の一粒として、人がこれまでつくってきた音楽の歴史に連なっている。
私以外の誰か一人が、80億に届こうという人々の中の誰か一人が、この音楽に触れてくれたら。
そんな小さな希望を頭の隅の隅に忍ばせつつ、日々私は喜びの中で音楽をつくっている。
音楽はミュニケーション。
もし私の音楽に触れ、何かを感じた方がいて、もし何かが生まれるのなら、これに勝る喜びはない。
困惑、躊躇、否定、嫌悪。それらの感情の表明もまた、私にとっては望ましいコミュニケーション。
すべては私にとって、まだ見ぬ外部なのだから。
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これまでこの作品の制作と聴取に関わってくださった多くの方々、これから関わってくださるかも知れない新たな方々、
本当にありがとうございます。