昔の中学・高校野球は現在とは「常識」がまったく違っていました。
近年、野球などの屋外競技について熱中症対策に万全を期すよう気づかいされています。練習や試合の環境は年々改善され、私ら現役当時の見る影もない、さえないオジサンたちの元球児たちが「練習中は水を飲むな」などと言われていたのは、はるか遠くの話になってしまいました。
高校野球では昨年、朝日新聞と高野連が熱中症対策を文書で呼び掛け、甲子園大会での取り組みや、2013年8月に甲府市で40.7度を記録した山梨大会での対策を提示しています。
甲子園大会では理学療法士十数人がスポーツドリンクや氷を用意し、体温計や血圧計を準備。選手へ事前にアンケートして既往症などを把握し、グラウンドでの様子をチェックする上、試合後も疲労回復を促すクーリングダウンを指導したりしていました。
観客には球場スクリーンに「水分補給を」などの注意を表示し、繰り返しアナウンス。大会開会式では選手のほか、吹奏楽、合唱、プラカードを持つ生徒にもペットボトルを配布し「式中」の飲料を勧めたりしています。
ちなみに、2013年の山梨大会では、5回終了後のグラウンド整備で散水。攻守交代の際にバッターとランナーはベンチ選手が十分に水分補給するまでグラウンドに出さず、気温によっては7回終了時に試合を5分間中断し、水分補給の時間を設けるなどとしていました。
昭和の時代から平成の初期くらいまで、野球部に限らず、他の運動部でも同じように、「水を飲むな」という、練習中の水分補給は禁止でした。
口頭で直接、「水を飲むな」と監督、コーチや先輩に命じられていたわけではありませんが、それが当時は常識でした。春、秋、冬はまだ何とかなりますが、それでも5月ころからはきつかったように記憶します。ですから、もちろん真夏になんか耐えられるわけがありません。
結果、隠れて飲んでいたりました。一年生の夏は、特に球拾いにいそしんだものでした。それは、汚れたボールを水道で洗うという特典があったからです。もちろん、ボールを水道で洗うという行為だけで涼しさを感じることが出来ますが、隠れて水を飲むという禁断の行為は何とも言えませんでした。
ま、必要以上にユニフォームを濡らしてしまい、怪しさ満載だったことは言うに及ばずですが。
もう一つ、謎だったのが「肩が冷えるから、水泳禁止」というもの。もともと、私の高校はプールがないものの、なぜか、ぼっちの水泳同好会というものは存在しており、その彼の努力が実ったのか、三年の秋にプールが完成という状況でした。今では水泳トレーニングというものもありますし、これはこれで謎の言い伝えではありました。
水の問題とともに疑問だったのが「セッキョー(説教)」と称される後輩いじめがありました。
一年生が正式入部した後、二年生が「気合を入れる」との名目で全員を正座させて、とにかく理解不能な言い掛かりをつけたり、延々とグラウンドをうさぎ跳びをさせられたりとか、腕立てや腹筋も延々とやったりとか…。だいたい、どこの野球部でのやっていたことだと思います。
また、私の高校では同郷会(だったけな)とかいうものがあり、つまり、同じ中学出身の先輩が、後輩の入学を祝うという行事がありました。入学を祝うというのは聞こえがいいのですが、生きたドジョウを飲まされたり、闇鍋(自分以外には分からないように材料を複数人で持ち寄り、暗中で調理して食べる鍋料理。通常、鍋料理には用いない食材が利用されます)なんてこともありました。まあ、その会は、私が二年になってから、三年生がいないことをきっかけにやめてしまいました。
昭和の時代から平成の初期くらいまでに失われたものはいろいろあることでしょう。
その中には、こんな復活して欲しくない、理不尽なこともありました。