全日本プロレスの最高峰・三冠ヘビー級選手権の現王者は第59代ジョー・ドーリング選手。この三冠王座は名前のとおり、PWFヘビー級王座、インターナショナル・ヘビー級王座、ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(UN王座)の3つのタイトルを統合したものです。インターとUNは全日本プロレスが誕生する以前の日本プロレスの時代からあった王座で、全日本プロレス設立によって誕生したPWFを含めたこの3大王座の歴史は、そのまま日本のプロレス史であると言ってもいいほどです。
3大王座の中で一番歴史があるのがインター王座です。インター王座は当時の世界最大のプロレス組織NWA(National Wrestling Alliance; 全米レスリング同盟)が20世紀最大のレスラーと呼ばれたルー・テーズさんに贈った称号でした。テーズさんはNWA世界ヘビー級王者として米国、カナダだけでなく、オーストラリア、東南アジア、日本など世界各地で活躍し、1957年11月に世界王座から転落したものの、NWAはその功績を称えて1958年4月にテーズを初代インター王者に認定したのです。そのテーズさんを1958年8月27日、ロサンゼルスで破った力道山さんが第2代王者となって日本に持ち帰りました。日本に持ち込まれたインター王座は1963年12月に力道山さんが亡くなって封印されたものの、日本プロレスとNWAが協議の上、日本プロレスの管理下に置かれることになって1965年に復活します。争覇戦を勝ち抜き、同年11月24日に米国代表のディック・ザ・ブルーザーさんとの王座決定戦に勝利して第3代王者になったのがジャイアント馬場さんです。馬場さんは1972年9月に日本プロレスを離れて全日本プロレスを設立する際に返上、同年12月に大木金太郎さんが王者になり、1973年4月の日本プロレス崩壊後も母国・韓国で防衛戦を続けていましたが、NWAの勧告によって1981年4月にベルトを返還。管理は全日本プロレスに委ねられました。
歴代王者
ルー・テーズ(初代)
力道山(第2代)
ジャイアント馬場(第3代、第5代、第7代)
ボボ・ブラジル(第4代、第8代、第9代)
ジン・キニスキー(第6代)
ドリー・ファンク・ジュニア(第10代、第12代)
ブルーザー・ブロディ(第11代、第13代、第17代)
ジャンボ鶴田(第14代、第16代、第18代)
スタン・ハンセン(第15代)
さて、インター王座が力道山さんから馬場さんに受け継がれた王座なら、ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(UN王座)はアントニオ猪木さんが馬場さんと並び立つきっかけとなったものです。UNとはユナイテッド・ナショナルの略で、NWAが米国、カナダ、メキシコの3ヵ国で通用する準国際タイトルとして1970年8月に新設したものです。このベルトに猪木さんは1971年3月26日にロサンゼルスで王者ジョン・トロス三に挑戦し、第6代王者になって、馬場&猪木のBI時代を築きました。猪木さん以後、このベルトは坂口征二さん、高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)さんが王者となり、1973年4月の日本プロレス崩壊後、高千穂さんが保持していたベルトがNWAに返還されましたが、全日本プロレスとNWAの協議によって1976年8月に復活。ジャンボ鶴田さんが米国代表の元NWA世界王者ジャック・ブリスコさんを破って復活王者になりました。
歴代王者
デール・ルイス(初代)
パンテラ・ネグラ(第2代)
ジョン・トロス(第3代、第5代)
レイ・メンドーサ(第4代)
アントニオ猪木(第6代)
キング・クロー(第7代)
坂口征二(第8代、第10代)
ザ・シーク(第9代)
ジョニー・バレンタイン(第11代)
高千穂明久(第12代)
ジャンボ鶴田(第13代、第15代、第17代、第19代、第21代、第28代;三冠統一)
ビル・ロビンソン(第14代)
ディック・マードック(第16代)
アブドーラ・ザ・ブッチャー(第18代)
ハーリー・レイス(第20代)
テッド・デビアス(第22代)
マイケル・ヘイズ(第23代)
デビッド・フォン・エリック(第24代)
天龍源一郎(第25代、第26代;PWFとの二冠王者)
スタン・ハンセン(第27代;PWFとの二冠王者)
PWFヘビー級王座は全日本プロレスの馬場さんの代名詞といってもいいでしょう。1972年10月に全日本プロレスを旗揚げされる際、馬場さんは力道山家から力道山一代限りとされていたインターナショナル・ヘビー級選手権およびWWA世界ヘビー級選手権のベルトとして使用されていたチャンピオンベルト(通称; 力道山ベルト)を寄贈されました。馬場さんはこれを「世界ヘビー級選手権」として復活させ、権威付けするために世界の強豪相手に王座争奪戦を10試合を行い、その結果次第でベルトを巻くことを宣言しました。対戦相手はブルーノ・サンマルチノさん(2回)、テリー・ファンクさん、アブドーラ・ザ・ブッチャーさん、ザ・デストロイヤーさん、ウイルバー・スナイダーさん(2回)、ドン・レオ・ジョナサンさん、パット・オコーナーさん、ボボ・ブラジルさんと戦って8勝0敗2引き分け。2引き分けは2回対戦したサンマルチノさんとスナイダーさんで再戦では勝利しました。1973年2月27日のブラジルさんとの最終戦に勝利した上で馬場さんは王者となりますが、全日本プロレスが同年2月3日にNWAに加盟したため、独自の世界王者を設立することができませんでした。同年3月16日にNWA傘下としてPWF(太平洋沿岸レスリング同盟)を設立し、馬場さんが獲得した力道山ベルトをPWF世界ヘビー級王座に認定しました。1974年にはNWAからの要請で「世界」の2文字を取ってPWFヘビー級選手権が正式名称になっています。
歴代王者
ジャイアント馬場(初代、第5代、第7代、第9代)
キラー・トーア・カマタ(第2代)
ビル・ロビンソン(第3代)
アブドーラ・ザ・ブッチャー(第4代)
ハーリー・レイス(第6代)
スタン・ハンセン(第8代、第10代、第12代、第14代;UNヘビーとの二冠王者)
長州力(第11代)
天龍源一郎(第13代;UNヘビーとの二冠王者)
ジャンボ鶴田(第15代;三冠王座統一)
こういう経緯と歴史で全日本プロレスにはインター、UN、PWFの3人のチャンピオンが存在しました。しかし、1988年に「誰が最強なのか決めよう」という気運が盛り上がり、UN王者の天龍さんがPWF王者スタン・ハンセンさんを破ってPWF&UN二冠王者に。そして同年4月15日の大阪でPWF&UN王者・天龍さんとインター王者・ブルーザー・ブロディさんによる史上初の三冠統一戦が行われました。しかし、両者リングアウトによって王座統一は成りませんでした。その後、インター王座は鶴田さん、UN&PWF王座はハンセンさんに移動。この2人の対決もなかなか決着がつかず、1989年4月18日の東京大田区体育館の3度目の対決で遂に鶴田さんが勝利して三冠統一を成し遂げました。
歴代王者
ジャンボ鶴田(初代、第3代、第8代)
天龍源一郎(第2代)
テリー・ゴディ(第4代、第6代)
スタン・ハンセン(第5代、第7代、第9代、第13代)
三沢光晴(第10代、第14代、第17代、第20代、第23代)
スティーブ・ウィリアムス(第11代)
川田利明(第12代、第18代、第21代、第28代、第32代)
田上明(第15代)
小橋健太(第16代、第19代、第25代)
ベイダー(第22代、第24代)
天龍源一郎(第26代、第29代)
グレート・ムタ(第30代、第38代)
橋本真也(第31代)
小島聡(第33代、第40代)
太陽ケア(第34代)
鈴木みのる(第35代、第42代)
佐々木健介(第36代)
諏訪魔(第37代、第43代、第46代、第49代、第54代、第58代 )
高山善廣(第39代)
浜亮太(第41代)
秋山準(第44代、第53代)
船木誠勝(第45代)
曙(第47代、第52代)
大森隆男(第48代)
ジョー・ドーリング(第50代、第59代)
潮崎豪(第51代)
宮原健斗(第55代、第57代)
石川修司(第56代)
その後、新たなひとつのタイトルにする案もありましたが、それぞれの王座の歴史と伝統を重んじて「三冠ヘビー級王座」として、チャンピオンは3本のベルトを保持してきました。しかし、その3本のベルトは統一された時と同じ会場も大田区体育館で2013年8月25日に24年4ヵ月にして役目を終え、馬場家に返還されました。歴史と伝統の3本のベルトは封印されましたが、現在は三冠ヘビー級王座の名前は継続、新たにベルトが作られ、日本プロレス王道の魂は新たなベルトに宿り、新たなエースたちによって受け継がれて行きます。
ちなみに、3本のベルト時代、どのベルトを腰に巻くかは王者によって思い入れがあり、鶴田さん、川田利明さん、小橋建太さんは日本プロレス界の正統エースの証とも言うべきインターのベルトを巻いていました。天龍さんは愛着のあるUNを巻き、三沢光晴さん3本のベルトを肩にかけるのを好み、武藤敬司選手は3本をすべて腰に巻くスタイルでした。なお、現在、全日本プロレス社長の秋山準選手は2000年6月に全日本プロレスから一回離脱、2011年10月にプロレスリング・ノア所属として三冠王者になった時、馬場元子夫人に電話を入れて承諾を得た上でPWFを巻いていました。
(プロレスネタ、書くだけ書いてスッキリしました。世界最強タッグ決定リーグ戦が今年45年目なのです。年末の風物詩の世界最強タッグ決定リーグ戦でも書きたいですなあ)