小林宏
元オリックスバファローズ二軍投手コーチ。
小学校4年のとき野球を始める。崇徳高校(軟式野球部)、広島経済大学を経て、1992年のドラフト1位でオリックスブルーウェーブに入団。
1999年と2000年に開幕投手も務め、オリックスの黄金期を支えた。その後は故障が相次ぎ、2004年の選手分配ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。2005年シーズン終了後に自由契約となり、現役を引退。
引退後は野球解説者を務めるとともに神戸市の車いすバスケットボールチームの監督も務め、チームを全国大会に導く。
2009年よりオリックスバファローズ二軍ピッチングコーチに就任。2010年育成ピッチングコーチ、一軍ピッチングコーチとなり、2012年途中から二軍ピッチングコーチ。
NPB通算 245試合53勝47敗19S 防御率4.42
トーマス・オマリー / 本名トーマス・パトリック・オマリー(Thomas Patrick O'Malley)
現在、阪神タイガースバッティングコーチ。
1982年にサンフランシスコ・ジャイアンツでメジャーデビューし、9年間プレー。1991年に阪神タイガースに入団。1992年は三塁に転向し、ゴールデングラブ賞を獲得。1993年は首位打者のタイトルを獲得。1994年オフに自由契約となり、ヤクルトスワローズに入団し、リーグ優勝と日本一に貢献。1996年には6年連続打率3割を達成するが、契約上の問題により退団、引退。
現役引退後は米国独立リーグの監督、阪神タイガースコーチ、スカウトを務める。
NPB通算 742試合2603打数820安打152本塁打1351打点 打率.315
1995年10月25日、日本シリーズ第四戦(神宮球場)。
ヤクルトスワローズに3連敗し、土俵際に追い込まれたオリックスブルーウェーブ。
第4戦も1-0とスワローズにリードを許していたが、9回表に先頭の小川博文さんの起死回生同点ホームランにより、延長戦にもつれ込みます。
ここで仰木彰監督は第5戦先発予定だった小林宏さんをマウンドに送ります。
そして11回裏スワローズの攻撃。1アウトからフォアボールとヒットで一・二塁。バッターは、この打席まで13打数7安打・打率.538と絶好調(後にシーズン・シリーズ両MVPを獲得)の四番・トーマス・オマリーさん。
このときブルペンでは前日先発したばかりの星野伸之さんが準備。
絶体絶命の大ピンチ。しかし、仰木監督は小林さんを続投させ「速い球で攻めろ、強気で行け」と指示。この言葉に、当時24歳だった小林さんは開き直ります。
時計はすでに午後10時を回っている。鳴り物応援はできない。神宮の杜に応援の声だけがこだまする。
そんな異様な雰囲気の中でドラマが幕を開けます。
1球目; 内角低めスライダー(129km/h) 見逃しストライク
2球目; 内角低めストレート(140km/h) 見逃しストライク
ここで、オマリーさんは打席を外し、首を小さく振ります。
3球目; 内角低めストレート(145km/h) 見逃しボール
オマリーさんは3球続けて見逃し、1ボール2ストライク。
球場全体が大きなため息。
そして、ここからが本当の勝負になります。
4球目; 内角低めストレート(135km/h) 一塁側へのファウル
5球目; 内角高めストレート(142km/h) バックネット側へのファウル
6球目 外角高めストレート(143km/h) バックネット側へのファウル
7球目; 内角ストレート(140km/h) ライトポールのわずか右に逸れる大ファウル
ここまで1ボール2ストライク。
小林さんは徹底的にストレートで押し、オマリーさんはことごとくファウル。
そして7球目の内角140km/hのストレートを、オマリーのバットがとらえ、右翼ポール際への大飛球。入ればサヨナラホームランだが、ポールからわずか1メートル、打球は切れます。スタンドには歓声とため息。
同点ホームランを打った小川さんは守備位置で「たとえ打球がイレギュラーしても、顔で止めてやる」と小林さんの力投に応えようと燃えていた。
8球目; 真ん中ストレート(141km/h) バックネット側へのファウル
9球目; 外角低めシュート(130km/h) 低めにわずかに外れてボール
10球目; 内角低めストレート(140km/h) 一塁側へのファウル
11球目; 外角高めストレート(139km/h) フ一塁側へのファウル
12球目; 内角高めストレート(136km/h) ライト方向へのファウル
2ボール2ストライク。
12球目のファールは7球目ほどではないが、飛距離十分な大ファウル。
ここでキャッチャーの中嶋聡選手はタイムをとり、マウンドに駆け寄って小林さんに声をかけます。
13球目; 内角低めスライダー(126km/h) 内角に外れてボール
14球目; 真ん中低めストレート(137km/h) 空振り三振
小林さんは変わらずに攻めの投球、ほぼストレート1本。
14球目の137km/hの内角低めストレートにオマリーさんは根負けしたように空振りします。バットをたたきつける姿を横目に、バッテリーはガッツポーズでお互いを称えあいます。
YouTube: 1995日本シリース? 小林・オマリーの14球
続く古田敦也さんもセンターフライに抑え、ピンチを脱します。
直後の延長12回、D・Jさんが決勝ホームランを放ち(「(2人の)すごい勝負を見て、とにかく勝ちたいと思ったんだ」)、12回裏も小林さんが締め、4時間38分の激闘に終止符を打ちます。
小林さんは「神戸に帰りたい、それだけでした」と話します。
1997年は1月17日に阪神・淡路大震災が地元・神戸を襲いました。傷ついた人々を勇気づけるため「がんばろうKOBE」とユニホームの袖にしるして臨んだ大舞台でした。
しかし第五戦。この試合に先発予定だった小林さんを第4戦に投入したため、高橋功一さんを急遽先発に起用したものの、神戸に帰ることはなりませんでした。
ただ、この激闘が翌1996年、読売ジャイアンツを倒しての悲願の日本一へとつながったのです。
今年の日本シリーズも、このような名勝負が観られるといいですね。
ちなみに、小林さんが1球目を投じてからオマリーさんが三振に倒れるまで、実に約12分20秒だったそうです。