興南高校が夏の甲子園に帰って来ます。史上6校目となる春夏の甲子園連覇を達成してから5年が経ちました。
「魂知和」
「魂知和」と書いて「こんちわ」と読みます。これは興南高野球部の創部当時のモットーです。
魂を込めてこそ時間を守れる。整理整頓に知恵を使い、挨拶を徹底することで仲間との和を築く。
興南高野球部員の挨拶は「こん、ちはー」。興南高を取材した方は「こん」からハッキリと聞き取れるそうです。
「ちわー」とか「ちわーす」という高校球児の挨拶を聞きなれている中で、「こん、ちわー」が新鮮に感じたそうです。
練習中に掛け声に不満を持つと、練習を中断させて、選手たちを二組に分けさせ、挨拶をやらせるそうです。
「お前たち、そこで挨拶の練習をしろ。(おはようございます、こんにちは)。やってみろ!」
「次、オーライ、任せた。10回ずつ」
この日の我喜屋監督は選手たちに試合時の整列と挨拶、日常生活の挨拶から試合中の掛け声まで、言葉に意識を持たせ、さまざまな発声練習をさせたそうです。
一見、野球関係のない礼儀・作法が野球に繋がるという指導法です。
ある年の九州大会順々決勝。勝てば選抜大会出場権をほぼ得られる大事な試合。決定的な場面で送りバンドをピッチャーとサードが譲り合ってしまい、その後タイムリーと犠牲フライで3点を失って5-6で敗れた試合があったそうです。
「選手たちはショックだったと思う。ほんとちっちゃなミス、オーライ、任せたという声の掛け合いができなかっただけで大きな甲子園出場を逃したんだもん。声を大にして言うけど、小さいことができないと大きなものを失うんです。言葉と挨拶は大切ですよ」
野球で勝つためには「準備」です。準備の中ででもっとも重要なのは「躾」だそうです。
野球には私生活が出ると言われますが、まさしくそうです。試合の前から、いいえ、はるか以前から日常生活を正しく過ごすことは大切なことだと私も思います。
普段からいい加減な事ばっかりやていると、野球のプレー中にもいい加減さが出てしまう。ちょっと前から正しても、いつの時か、小さなほころびから大きな穴が開いてしまうものです。
野球だけじゃないのですよね。社会に出たら、自分のことは自分でやらなきゃいけませんしね。
「高校野球の場合、先輩を見ていたらわかるだろう、は当てはまらない。毎年、一からやり直しです。新チームになってすぐは保育園児。そこから始まって小学生、中学生、夏までに高校野球へ成長させなくてはいけない」
それも技術や戦術といった高度な野球の指導ではなく、まさに保育園の園児を教えるように人間教育から始めなくてはならない。
「子どもだって光を当てて水をやり、風を当てないと干からびる。ようは環境ですよ。環境があって技術があれば心も豊かになる。特に大切なのが光ですね。光を当てず、大人が見て見ぬふりをしていたら、どうしていいか判らなくなる。心の中は見えないけど、一緒にいれば表情からわかる」
高校野球もそうですが、ベンチ入りメンバー、試合出場メンバーだけで勝っていると思うのは間違いです。
メンバーのために練習を手伝い、スタンドで応援してくれる控え選手の心づかいが出来るチームが、それこそ一丸となるから勝ち進めるのです。
選手と控えに亀裂の入ったチームは、些細なピンチで脆く崩れてしまいます。そこに心が入っていないためだと言う。
社会に出ればみんなが4番でピッチャーという訳ではありませんし、全員が陽の当たる場所で、陽の当たる仕事ばかり出来る訳ではありません。
一人ひとり、全員がどこかに所属しチームのために働く。チームの一員という自覚を持ち、自分の役割を考えていく組織は強くなって行きます。