「1915年8月、第1回全国中等学校優勝野球大会が始まりました。
それから100年間、高校野球は日本の歴史とともに歩んできました。
この100年、日本は激動と困難を乗り越えて今日の平和を成し遂げました。
このような筋目の年に、聖地、甲子園で野球ができることを誇りに思い、
そして、支えていただいた全ての方々に感謝して全力でプレーをします。
次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み、甲子園で躍動することを誓います。」
鳥羽高校 梅谷成悟主将 選手宣誓
京都府立鳥羽高等学校は、京都府京都市南区西九条大国町にある公立高校です。
1984年の創立ですが、そのルーツは1900年に創立され、全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権)の第1回大会で優勝した京都府立第二中学校の「伝統を継承する学校」として位置づけられている伝統校です。
「明治三十四年五月 始メテ三、五年(紅)対二、四年(白)ノ野球試合ヲ行フ」
1900(明治33)年に開校した京都二中に野球部ができたのは1901年でした。初めての紅白戦以降は市内のチームと練習試合を行い、1910年には創立10周年記念として、早稲田大学との招待試合を行い、当時大学屈指の強豪でだった早大を相手に二中は八回まで同点という互角の試合でした。
1915年4月。早大と試合をしたときのバッテリーで、当時京都大学生の高山義三さんと旧制三高野球部主将の小西作太郎さんが、後輩の練習を見学し、「今年の(京都)二中は強い、京都の覇者を決める大会をやってはどうだろう」と話をし、それが全国大会という構想に発展して、朝日新聞社に企画が持ち込まれたそうです。そして、この年の8月に全国中学優勝野球大会として実現した、現在までの100年に繋がっています。
11校が参加した京津大会では、決勝で同志社中を5-0と破り優勝、全国大会では準々決勝で香川・高松中に15-0、準決勝で和歌山・和歌山中と1-1の場面の九回裏1アウト一塁の場面で降雨引き分けとなり、翌日の再試合では9-5で破り、決勝では秋田・秋田中に延長13回を戦い2-1でサヨナラ勝ちし、深紅の優勝旗を手にしました。
京都二中はその後、戦後再開された1946年夏も準優勝を飾るなど、春夏5回の甲子園出場を果たしています。
ですが、1948年4月の学制改革により京都府立洛南高校となり、同10月に突然の廃校となります(当時在校生だった大島渚さんらが反対運動を行ったが、抵抗は及ばなかったそうです)。
それから36年後の1984年4月に京都府立鳥羽高校として設置され、かつて旧京都二中があった場所に校舎が建てられました。野球部も同時に復活しましたが、低迷が続きました。
しかし、「夏の甲子園、高校野球の源流は京都にあり」です。
鳥羽高が復活出場するのは、ちょうど京都二中創立100年となる、2000年第72回選抜高等学校野球大会でした。この大会はベスト4に入る活躍でした。そこから3季連続甲子園出場しました。
2015年の第97回全国高等学校野球選手権大会。
主催者側の指名により、100年前の第1回大会優勝校の流れを汲む高校として、鳥羽高の主将が開会式の選手宣誓を行いました。
満員の阪急西宮球場で1946年に再開した第28回大会。その開幕試合には京都二中が登場しました。そして、それに先立つ開会式での選手宣誓は京都二中主将の田丸道夫さんでした。
夏の大会創設100年。高校野球誕生のきっかけであり、第1回大会に優勝、そして、戦後再開した大会での選手宣誓を担った京都二中の流れを持つ鳥羽高が、節目の年の主役になってくれることを期待しています。