プロ野球でも自主トレのニュースがたくさん聞こえてくるようになりました。
ベテランはともかく、若手選手にとってシーズンオフはあまり関係ないと思います。
来年の勝負は、すでに始まっているのです。
中でも1年目から活躍した選手にはその重圧はより重くのしかかるものです。昔から「2年目のジンクス」という言い伝えがあるのも事実ですしね。ジンクスとは言うものの、それなりの根拠あると思われます。
1年目に活躍すれば当然2年目から相手のマークは厳しくなってきます。ほとんどノーマークで情報もない中で勢いを武器に活躍した1年目と違って、相手も研究してくるのでそのままでは通用しなくなります。
また、前年の活躍によって慢心してしまって、周囲のアドバイスに耳を傾けなくなるという見方があることも事実です。つまり、慢心してしまっていることを指す言葉でもあるようです。この慢心というのは非常にやっかいなものです。
それは慢心は「上手くいっている時にしか起こらない」からです。そうなると当然ですが耳の痛い話よりも上手くいっている現状に目を向けて周囲の言葉に耳を貸さなくなってしまったりしてします。
結果、変化する・成長するチャンスを自らの意思で手放してしまうことでもあります。また、自分以外受け入れない自己中心的な姿に映ってしまうこともあると思う。
そこを乗り越えてこそ、一流と呼ばれるようになると思う。
2年目のジンクスという言葉には経験則だけでなくて、叱咤激励の意味もこめられているのでしょうから。
去年の葡萄隊は出来過ぎ。
その意味では、去年を経験した多くのメンバーが残っている今年は、非常に期待が持てます。
周囲からしてみれば脅威かも知れませんし、マークもきつくなることでしょう。
だからこそ、2年目のジンクスとならないようにと考えます。
ひたむきに。もう一度、ひたむきに。
ちょっと古いですが、以前、次のような新聞広告がありました。
・・・・・
ダイヤモンドには、魔物が棲んでいる。
その魔物は、デビューの年にスポットライトを浴びた者を、突然、襲う。
原因不明の長いスランプ。予期せぬケガやアクシデント。さらに高く羽ばたくはずだった多くの才能、翼をもがれ、苦しみ、失意の底に落ちていく。だから人々は、恐れる。「2年目のジンクス」という魔物を。
2003年、松井秀喜は、HIDEKI MATSUIになった。
デビューの年に、メジャーのスポットライトを、全身で浴びた。NYのデビュー戦で、満塁本塁打を打った。
ファンに選ばれ、夢の球宴も経験した。全米で最も注目されるチームの5番を任され、100を超える打点を重ねた。世界一を決する舞台にも、立った。
だが、グラウンドにいたのは、華やかなMATUIだけではなかった。
むしろ、私たちの胸に深く記憶されているのは、ベースボールに誠実で、ベースボールにひたむきな55番だった。
ベースボールを愛し、もっと上手くなりたいと願う55番だった。
日本の4番打者から、ひとりの野球少年に戻った55番だった。
打てない日々も、黙々とバットを振りつづけた55番だった。
メジャーの壁に戸惑いながらも、毎日毎日、変わりつづける55番だった。
私たちは、日本から、その背中を見つめた。そして、その背中を、応援したいと思った。
きっと、2年目も、3年目も、5年目も、10年目もひたむきな、55番の背中を。
2年目のジンクスよ。ひたむきな者に、ジンクスは通用しない。
2年目のジンクスよ。変わりつづける者に、ジンクスは、通用しない。
静かに見守ろうと思う、2年目の松井秀喜を。喝采の準備は、できている。
松井秀喜は、変わりつづける。私たちは、そこが、好きだ。
コマツの新聞広告より 朝日新聞 2004年4月14日 (日)・読売新聞 2004年4月14日 (日)
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