先日(人にしてあげたことは、忘れたほうがいい。人にかけた迷惑は、忘れちゃいけない / くまのプーさん - 野球小僧 (goo.ne.jp) )の続きの話です。日本人の国民性として、「人に迷惑をかけてはいけない」ということがあります。これは外国人が称賛する一方で別の見方もあります。
たとえばインド。
「人に迷惑をかけてもいい、その代わり迷惑をかけられたら助けなさい」
というものです。
たとえばインド。
「人に迷惑をかけてもいい、その代わり迷惑をかけられたら助けなさい」
というものです。
日本の「人に迷惑をかけてはいけない」という考えは日本人のいいところではありますが、つまり、「人に頼ってはいけない」ということでもありますが、「助けて」「困っている」「辛い」「悩んでいる」などが言えないということでもあります。
なかなか、簡単な一言ではありますが、簡単には言えない言葉なのですよね。
さて、インドでは前記のとおり「人に迷惑をかけてもいい、その代わり迷惑をかけられたら助けなさい」ですが、先日も書きましたが「良い迷惑」ならば私は人に迷惑をかけてもいいと考えます。ただ、これはやはり日本人的な考えなのかも知れませんけど(そもそも、インドではどこまで迷惑をかけてもいいかはわかりませんけど)。
インドだけではなく、海外で困っていることがあれば自然と人が集まって収拾がつかないような騒ぎになることがあります。あれって単なる野次馬もいるでしょうけど、ほとんどがお節介を焼きに来た方々。「人に迷惑をかけてもいい、その代わり迷惑をかけられたら助けなさい」という小さいころから教えられているからのようです。
そもそもの日本の「人に迷惑をかけてはいけない」と考えるばかりに、逆の考えとして「人からの迷惑は受け入れられない」という考えでもあるかも知れません。
私はそこまで狭い人間でありたくはない、結果として相手の迷惑(程度に寄りますが)を受入れられない器の小ささを持ちたくはないとは思っています。どうせという言い方がいいのかわかりませんが、どうせ人に迷惑をかけて生きていますので感謝し、同じように迷惑をかけられても助けられるような気持ち。
いろいろな考えはあるでしょうけど、人に迷惑をかけられない人は、迷惑を受け入れられない、迷惑をかけられるのが許せなくなってしまいそうです。
インドの教えは、なんか関西方面にも似ているような気がします。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。