「ひたむき」「さわやか」「青春」「友情」「仲間」・・・高校野球に対するイメージの一部です。
実は高校野球が嫌いでした。正確には、嫌いだった時期がありました。
夢と希望を持っての入部でした。
もちろん、その野球部に憧れ、入りたくて自分で選んだ道でもありました。
野球部に力を入れて、本格的に甲子園を狙っている野球部でした。もちろん、そういう野球部ですから、県外組も多くいました。そんな中には小さいころから野球中心で育って来ており、お山の大将のように自己中心にしか振る舞えない子もいました。
もちろん、大勢いますのでポジション争いも厳しいものがあります。野球の技術で競うのであればまだしも、嫌がらせ、いじめによってライバルを、仲間を蹴落とそうとします。そんなことに敗けないように、朝早くから夜遅くまで練習するのですが、技術で競うのではなく、嫌がらせはより激しくなる一方です。
学校に話をしても、「それは野球部のことであり、野球部に話をして欲しい」。野球部は野球部で「監督(先生)には直接話をしないで欲しい。保護者会長をとおして欲しい」。保護者会は「今は大事な時期(大会前)なので、後にして欲しい」と一向に相手にしません。
何度も、何度も、何度も保護者会、学校へ話をします。ようやく、対応するかと思えば、その場しのぎの対応だけであり、根本的に状況が良くなることはありません。ついには体調をくずしてしまい、野球を続けれらないという状況へと陥ってしまいます。
学校側に訴えてもダメ、野球部も保護者会も取り合いません。起きたことの事実を認めれば野球部の体質、監督の指導方針も変わるかと思えますが、多勢に無勢であり、臭い物には蓋をしろとなってしまいます。保護者は、特に最上級生の代は、それで甲子園への道が閉ざされたくないのでしょう。
高野連や教育委員会に訴えることも考えられますが、それも勇気のいる行動です。ただ、行動を起こせば、確実に野球部・学校には居づらくなってしまいます。
しかし、結局、野球部にいることは出来ませんでした。でも、辞めて正解だったと思います。
その野球部で学べる事、得られるものは何があるとは思えません。そんな野球部を訴えて良い変化なんかはないです。きちんと問題に対して正面から向き合おうとしない野球部からは何も得るものなんてありません。
野球が強ければ何をしても良いのでしょうか。
「ひたむき」「さわやか」「青春」「友情」「仲間」・・・そんなものが虚像でしかない高校野球があることも現実です。
愛していたと思う野球。
私はそれから高校野球が嫌いになりました。高校野球というシステムが。
それからは高校野球を観ることはなくなりました。