ロシア軍によるウクライナへの攻撃が始まってから1ヶ月以上経った3月下旬。
ニュースでも目にしましたが、ウクライナから避難されてきた方々が国境を越え、ポーランドなどへ入国してきました。ウクライナは国民総動員令によって、18歳以上60歳未満の男性は国外に出ることができませんので、避難してきた方は高齢者、女性と子どもがほとんどでした。なかには車椅子に乗った方や赤ちゃん、ペットなども一緒でした。
ポーランドとウクライナの国境近くの街、メディカ。毎日午後3時ごろになると、国境の街からピアノの旋律が聴こえてくるそうです。そして、旋律に合わせてピアノを取り囲むように、避難民やボランティアたちが集まり始まるそうです。
避難してきた方々を支援する団体が設営するテントが両側に並ぶ通路の先には、近くの都市まで運ぶバスが待機している。その付近でドイツ人のダビデ・マルテロさんがピアノを弾いています。戦火を逃れるために避難してきた方、支援活動で疲れているボランティアの方にとっては、癒しのひとときになっているとのこと。
ダビデさんがここでピアノを弾き始めたのは、ロシア軍が攻撃を始めて間もない2月下旬のこと。ダビデさんはドイツから約17時間かけて車を運転し、連結したトレーラーにピアノを積んで運んできたそうです。ピアノは調律の必要がないように電子ピアノを改造して自分で作ったものだそうで、屋根にはピースマークが白く描かれています。ちなみに、旅のお供は生後約10ヵ月の子猫だそうです。
ダビデさんが戦場でピアノを弾き始めたのは約10年前のことで、最初はアフガニスタンでした。
「僕は当時、美容師として働いていました。ピアノは9歳からやっていて、いつか路上ライブで食べていけるようになりたいという夢がありました。たまたま、常連のお客さんとそういう話になり、その彼が軍に人脈があったので、アフガニスタンでピアノを弾くという話が持ち上がりました。最初はやはり怖いかなと思いましたが、とにかくやってみました」
このときのピアノはドイツ軍の輸送機に、武器などと一緒に積んで運ばれ、アフガニスタンに1週間滞在し、外国部隊の基地で演奏したそうです。
「この体験で、将来に向けた芽が育ち始めました。希望や平和を伝えるためにピアノを弾こうと思ったのです」
その後、世界各国で路上ライブを開くことになり、2013年6月にはトルコの最大都市イスタンブールで警官隊と反政府運動のデモ隊が衝突した現場の真ん中で弾いたという。
2014年4月には、ウクライナ東部ドネツクの行政庁舎前でピアノを演奏、2015年6月にはフランスのテロ現場・・・。
「ピアノを演奏すると、その空間だけはどういうわけか守られるんです。ピアノを攻撃する人は誰もいないですから」
新型コロナウイルス感染症の影響で約2年間は路上ライブから遠ざかっていたそうですが、今回、ウクライナの状況をニュースで観て、居ても立っても居られない状況だったそうです。
「家にじっとしていられなかった。自分の音楽で何かをしたいと思いました。不安定なこの情勢は、次の世界大戦につながるかもしれない。だったら現場に行って平和を推進する活動をすべきだと感じました」
ちなみにダビデさんが主に弾いているのは、ビートルズの「イエスタデイ」「イマジン」などの誰もが知っているような名曲が多いそうです。
ダビデさんの活動はボランティアです。インターネットでの寄付金を使って活動しています。
「僕の生活は質素でいいんです。特に有名になりたいという欲もない。ピアニストとして有名になるのではなく、僕の音楽を通じてピースサインを広めたいだけなんです。今回の活動ではウクライナの避難民たちとも交流することができ、ウクライナで流行っている歌も4曲、ピアノで弾けるようになりました」
私の願いとしては、ダビデさんの奏でる優しい旋律が国境の街で流れていないことです。
それは、ダビデさんの夢は、「世界中の首都で自分のグランドピアノを演奏すること」だからです。
直接的に音楽が問題を解決することはできません。それでも、ほんの一瞬かもしれませんが生きる望みたいなものを与えてくれると思います。
本日も私のブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。