大正、昭和そして平成と時代は移り、現在は甲子園でプレーする選手のすべてが平成生まれとなりました。
時代は移り変わりは合っても、この大会を主目的に建設された阪神甲子園球場は、高校野球の聖地として高校球児達の憧れの舞台であり続けています。
第71回(平成元年)
仙台育英高が東北勢4校目の決勝進出
第72回(平成2年)
地方大会の参加校数が4,027校。沖縄勢が初めて甲子園に出てから32年目で沖縄水産高が県勢初の決勝進出。通算2000試合目、700号ホームラン
第73回(平成3年)
大阪桐蔭高が15年ぶり14校目の初出場初優勝。沖縄水産高は二年続けて準優勝
第74回(平成4年)
甲子園のラッキーゾーン撤去。星稜高・松井秀喜選手の5打席連続敬遠
第75回(平成5年)
ピッチャーの肩・ひじ検診がスタート
第76回(平成6年)
史上初の九州勢決勝で佐賀商が9回、西原主将の満塁ホームランで佐賀県勢初優勝
第77回(平成7年)
戦後50年目の大会。阪神淡路大震災の影響で選手、応援団は電車で甲子園へ往復。両耳ヘルメット着用が義務化
第78回(平成8年)
記録員がベンチ入りし、女子マネージャーも参加。松山商業高が「大正」「昭和」「平成」で優勝
第79回(平成9年)
開・閉会式の先導、司会を初めて高校生が務める
第80回(平成10年)
記念大会にて6府県が2代表制となり、史上最多の55代表校。横浜高が史上5校目の春夏連覇とともに松坂投手は59年ぶり2人目の決勝・無安打無得点試合
第81回(平成11年)
桐生第一高が群馬県勢として初優勝
第82回(平成12年)
光星学院高が青森勢としては三沢高以来31年ぶりに4強。大会通算試合数2500を突破。延長戦の規定を15回引き分け再試合制に変更
第83回(平成13年)
21世紀初の大会。選手宣誓は希望する各校主将の中から抽選
第84回(平成14年)
閉会式の優勝、準優勝のプラカードを、開会式と同じ市立西宮高の女子生徒が先導
第85回(平成15年)
東北高の準優勝。大優勝旗は白川越えを果たせず。ホームランの甲子園1千号(桐生第一高・菊池選手)はランニング。準々決勝戦が2日制
第86回(平成16年)
駒大苫小牧高が北海道勢として初の優勝。優勝旗が一気に津軽海峡を越え、北の大地に渡る
第87回(平成17年)
駒大苫小牧高が54年ぶり6校目の2連覇
第88回(平成18年)
駒大苫小牧高対早稲田実業高が37年ぶりの決勝引き分け。再試合を制し、早稲田実業高が初優勝
第89回(平成19年)
佐賀北高が決勝では史上初の逆転満塁ホームランで広陵高を下し、初優勝。公立校としては11年ぶり。組み合わせ抽選における東西対決方式を廃止
第90回(平成20年)
記念大会として55代表が甲子園に集る。開会式前のイベントで中西太さん、板東英二さん、桑田真澄さんら11人が当時のユニフォーム姿で登場
北京オリンピックの開催期間と重なったため、開会日が史上最速の8月2日
第91回(平成21年)
中京大中京高が43年ぶり、史上最多7度目の優勝。準優勝の日本文理高は決勝の9回、2アウトランナーなしからの猛反撃。開会式に皇太子さまが第70回記念大会以来2度目の出席。新型インフルエンザで立正大淞南高は選手5人が欠場。ベースコーチのヘルメット着用が義務化
第92回(平成22年)
興南高が沖縄勢として初の全国制覇、史上6校目の春夏連覇。首里高が沖縄勢として初めて甲子園の土を踏んでから52年目の沖縄の悲願
第93回(平成23年)
「がんばろう!日本」をスローガンに東日本大震災の被災地支援の大会として、義援金の募金活動を実施。節電対策もとられた
第94回(平成24年)
大会史上初めて、決勝戦の組み合わせが春夏連続で同じ対戦カード(大阪桐蔭高対光星学院高)
第95回(平成25年)
準々決勝を一日4試合で行い、準々決勝と準決勝の間に休養日。抽選方法が全試合抽選に変更
第96回大会(平成26年)
台風接近に伴い、開会式・開幕戦3試合が史上初2日間延期。史上初の北信越、東北勢の4校ずつがベスト16
第97回大会(平成27年)
本大会開催100周年を記念して、初めて大会のシンボルマークが制定。また第1回大会の出場校のユニフォームを再現、入場行進
これからの100年。どんなヒーローが生まれてくるのでしょうか。