日本の与党第一党党首たるもの、しっかりとこの国の舵取りをして欲しいものです。
海外ですと、まずは国民に支持され、愛され、国際社会から信頼され、リーダーシップを発揮する人が多い。
それが、日本の場合、なんとなくですが、どこかの国の顔色を伺いながら・・・という感じです。国民性なのかも知れませんけど。
歴史的に神的な指導力を発揮した方も見当たりません。
さて、投手の神様と呼ばれている歴代の野球選手といえば。
「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれ、1950~60年代に活躍した稲尾和久さん(元;西鉄ライオンズ)です。
現在のようにピッチャーの役割分担が確立していない時代でした。ですから、先発、救援と酷使され、このころのピッチャーは総じて選手として活躍した期間は短いものでした。
今年から福岡ソフトバンクホークスで指揮を執る工藤監督は若いころに「過密登板でつぶれたら、誰が面倒を見てくれる」という迷言を残しました。
その工藤監督の現役時代の通算成績は次のとおりでした。
635試合 完投116 投球回3336回2/3 224勝142敗3S 防御率3.45 実働29年
一方の稲尾さんの通算成績は次のとおりです。
756試合 完投179 投球回3599 276勝137敗 防御率1.98 実働14年
約半分の実働年数で、工藤監督以上の投球回数です。よくこれだけ投げたものです。
1957年に当時プロ野球記録のシーズン20連勝を記録するなど35勝を挙げ、1958年には33勝で史上初2年連続MVPを獲得します。
1958年の読売ジャイアンツとの日本シリーズ。3連敗となり、王手をかけられたライオンズは第4戦に、このシリーズ3度目(第1戦、第3戦に先発)の先発となる稲尾さんが完投し、6-4で勝利。
第5戦でも稲尾さんは4回表からリリーフ登板。シリーズ史上初となるサヨナラホームランを自ら放ち勝利。そして第6戦は「このシリーズ最高の会心のピッチング」で2-0で完封勝利。第7戦にも先発し、8回まで無失点で、26イニング連続無失点のシリーズ記録(当時)を達成し6-1の完投勝ちで、ライオンズが逆転日本一を成し遂げ、「神様、仏様、稲尾様」と地元新聞に掲載されました。
このシリーズ稲尾さんは7試合中6試合に登板、第3戦以降は5連投。うち5試合に先発し4完投という、大活躍でした。
しかし、そこは人間です。
7年目の1962年に25勝しましたが、右ヒジを痛めます。それでも、1963年は74試合、386イニング投げて28勝を挙げ、「鉄腕」とも言われました。
ですが、1964年のオープン戦で肩に激痛を感じ、この年は6試合に登板しただけとなり、以降1969年に引退するまでの6年間は42勝に終わります。それでも、この間2桁勝利を2度、5度目の防御率1位を記録しています。
稲尾さんは後年「私の投手人生は8年で終わった」と言っていたそうですが、そこには恨みがましい響きはなかったとのことです。
新人時代から稲尾さんを“酷使”した三原脩元監督は「選手には『旬』がある。その時期を逃さず稼がせてやるのも監督の使命」と語っていたそうです。また、1958年の日本シリーズで稲尾さんを登板させ続けたことについては「この年は3連敗した時点で負けを覚悟していた。それで誰を投げさせれば選手やファンが納得してくれるかを考えると、稲尾しかいなかった」と語ったそうです。
後年、入院していた三原さんは、見舞いに訪れた稲尾さんに対し「自分の都合で君に4連投を強いて申し訳ないものだ」と詫びたそうですが、稲尾さんは「当時は投げられるだけで嬉しかった」と答えたそうです。
どうでしょう。稲尾さん今、現役でいたとすれば・・・どんな成績を残していたでしょうね。
さて、まだまだ寒い日が続いていますが、日差しも少しづつ暖かさを増してきました。
徒然草に
「夜の御殿は、東御枕なり。大方、東を枕として陽気を受くべき故に、孔子も東首(とうしゅ)し給へり」
とあります。これは
「天皇の寝床は東枕である。当然だが、東に向けた顔に朝日を浴びて目覚めると気分がよい。孔子も東枕をした」
というものです。うたた寝が気持ち良いですが、これぐれも風邪などを引きませんように。