地区大会、都道府県大会、支部大会を勝ち抜いた30校だけが出場できる、「吹奏楽の甲子園」とも呼ばれる全日本吹奏楽コンクール高校の部。出場校に与えられる時間は、課題曲と自由曲で合計12分以内。そのわずか12分間のために、日本中の高校生たちが一度しかない青春をかける。
9月下旬の日曜日。埼玉・花咲徳栄高吹奏楽部の顧問・川口智子先生は一番上に置いてあったノートに手を伸ばし、裏返しました。
前年まで西関東吹奏楽コンクールで重ねてきた金賞は7回。しかし、西関東の御三家と呼ばれる伊奈学園総合高校、春日部共栄高校、埼玉栄高校を乗り越えられません。
迎えた2016年のコンクールは地区大会がシードのため、最初の大会は8月10日の埼玉県大会。ところが、その日が野球部の夏の甲子園一回戦と重なってしまった。
アルプススタンドで演奏する歴代のスラッガーのテーマ曲「サスケ」、代名詞にもなっている「オーメンズ・オブ・ラブ」などは花咲徳栄高の名物となっています。しかし、応援に行くことが出来ないため、今年は86名の部員からコンクールメンバーである「Aメン」を除いた約30名の「BD」(花咲徳栄独自のネーミング)が甲子園へ行くことになりました。
8月10日。灼熱のアルプススタンドでBDは立派に役割を果たし、応援を盛り上げた。野球部も秋田・大曲工業高を6対1で破り快勝しました。
同日にAメンはさいたま市文化センターで行われる埼玉県大会に臨みました。県大会から御三家を超える成績を残し、西関東大会に向けて弾みをつけたいところでしたが、結果は銀賞でした。
川口先生は「もう駄目だ…」と諦めかけました。そして、自分のショックよりも何よりも、目の前で蒼ざめている生徒たちをどうやって慰めるか、どんな言葉をかけてやったらいいかと頭を悩ませました。
三年生でクラリネットパートの「アリピ」こと渡辺愛里紗は「これで高校生活最後のコンクールが終わっちゃうんだ…」と思いました。全国大会が行われるその日まで、アリピは練習を続けていくつもりでいた。なのに、県大会で終わってしまうなんて。客席にいるアリピの周囲には3年生が集まっていたが、お互いに顔を合わせることも出来ず、みな絶望で下を向いていた。二年生で副将の「マツリ」こと久地浦祭も、銀賞と発表された瞬間には心臓が止まったような思いがした。幹部としての責任も感じた。一年生メンバーで「コケシ」というあだ名で可愛がられているクラリネット担当の和田結加は、「もう三年生の先輩と一緒に吹けなくなるなんて嫌だ…」と思った。自分たち一年生が足を引っ張ったのではないかと気がかりだった。
賞がすべて発表され、続いて代表校が発表されます。その直前に川口先生は気づきます。西関東大会に進める代表校は9校。発表された金賞校は6校。銀賞校からも3校が代表になれる。まだチャンスは残されてます。
金賞校に続いて銀賞校からの代表が発表されます。最初に呼ばれたのは、越谷南高。遠くで歓喜の声が上がった。次に、狭山ヶ丘高。喜ぶ狭山ヶ丘高を尻目に、花咲徳栄高の生徒たちはますます蒼ざめていく。残りは1校。絶対無理だ、終わった、と川口先生は思いました。
「花咲徳栄高等学校」と呼ばれると、瞬間的に絶叫の嵐が巻き起こり、川口先生は揉みくちゃにされます。そして、抱き合う生徒、号泣する生徒、ガッツポーズする生徒たち。川口先生はようやく胸をなでおろすことが出来ました。これでどうにか、今年もまた全国大会出場をかけて演奏をする権利を手に入れることが出来ました。
8月15日日。AメンはBDと交代し、甲子園球場アルプススタンドにいました。この日、野球部は鹿児島・樟南高との二回戦。県大会を突破したAメンがアルプススタンドに乗り込んで来ました。
「サスケ」「アフリカン・シンフォニー」「ナギイチ」「オーメンズ・オブ・ラブ」などが球場に響き渡るとともに野球部も奮闘し、6対3で樟南高を退けました。
Aメンは勝利を収めた野球部の姿に大いに刺激を受け、埼玉に戻って来ました。翌々日の三回戦は、入れ替わりで甲子園入りしたBDが応援することになっています。。
「これでちょっとはAメンもやる気になってくれるかな?」と川口先生は思いました。実は西関東大会出場決定の瞬間は大騒ぎとなり、甲子園で応援をした直後、川口先生が期待するように一時的には部内のモチベーションが上がりました。しかし、その後の吹奏楽部には停滞ムードが漂い、危機感を持って練習をしている生徒がいる一方で、「県大会で銀賞だから、もう全国大会なんて無理だ」と諦めている生徒もいました。
「どこかでスイッチを入れなきゃやばいな…」と川口先生は悩みました。野球部も三回戦で優勝候補の栃木・作新学院高と対戦し、2対6で敗退してしまいました。
「いったいどうやったら生徒たちをやる気にさせられるだろう? 今の自分たちに足りないのは何だろうか?」と、そう思っていたある日、野球部の主将・岡﨑大輔選手とエースの高橋昂也選手が部を代表して応援の礼を言いにやって来ました。
練習場までやってくる途中、岡﨑選手が「先生、今、吹部はどんな状況なんですか?」と尋ねました。川口先生はコンクールの県大会を通過して西関東大会に臨む前だということ、西関東大会を突破すれば夢の全日本吹奏楽コンクールが待っているということを話しました。実は吹奏楽部は県大会の成績が予想をはるかに下回り、ぎりぎりでの通過だったため、部員の間には「もう全国大会なんて無理なんじゃないか」というあきらめムードが漂っていた。しかし、川口先生は敢えてそのことを岡﨑選手や高橋選手には伝えませんでした。
「吹奏楽部の皆さんには温かい応援をいただき、選手たちが甲子園の舞台で堂々と力を出し切る上で後押しになりました。本当にありがとうございました」
集まった吹奏楽部員たちを前に岡﨑選手が言い、高橋選手とともに頭を下げると、吹奏楽部員たちから拍手が送られ、さらに続けて、岡﨑選手はこんなスピーチをしました。
「川口先生からは、吹奏楽部は県大会で銀賞だったとお聞きしました。自分は吹奏楽の大会のルールはよくわかりませんが、まだ全国大会に出場できる可能性はある、と。まだ見たことのない全国大会に川口先生を連れていきたいという思いがあれば、自分は絶対行けると信じています。自分や高橋も、部員全員が岩井(隆)監督を2期連続甲子園、3期連続甲子園に連れていってあげよう、岩井監督を男にしてやろうという思いで練習に取り組んだ結果、甲子園に出ることができました。野球部からはなかなか吹奏楽部への応援ができませんが、今日は吹奏楽部を応援したいと高橋と一緒にここへ来ました」
実は岡崎選手と高橋選手が挨拶のため練習場に入った時に、停滞してしている雰囲気を感じとった上でのスピーチだったのではないかと川口先生は感じたそうです。そして、岡崎選手からのエールに吹奏楽部員たちは気づかされました。
自分たちに足りないものは、演奏技術はもとより、自分たちのためだけではなく、まず人のために演奏しよう、日々指導してくれている川口先生を全国大会へ連れていこうという思いだ。自分ではなく誰かのためだからこそ頑張れるし、あきらめる訳にはいかないと。
9月下旬。秋らしい気候になってもいい時期なのに未だ残暑が続き、日中には汗ばんでくる日曜日。吹奏楽部の生徒たちは相変わらず前庭や廊下、空き教室などで練習を続けています。まだ夏休みが続いているかのような風景です。しかし、生徒たちの表情、響かせている音には、どこか虚ろな気配。
「なかなか秋が来ないな…」と真っ青な空を見上げ、川口先生は思いました。吹奏楽部の専用練習場となっているホールに入っていった。
『代表になろう!! そして名古屋へ』
ホールの前方には、そう大きく書かれた張り紙が貼られています。しかし、以前はその隣にあったはずの『全国まで◯日』というカウントダウンの張り紙は消えていました。3週間前に行われた西関東吹奏楽コンクールが行われた日から、時間も季節も止まってしまったかのようです。
野球部からの最高の応援をもらった吹奏楽部は、運命の西関東大会に臨みました。結果は金賞受賞。しかし、全日本吹奏楽コンクールに出場できる代表3校には選ばれませんでした。それでも、野球部からもらったエールは吹奏楽部員たちの胸に生きています。
川口先生用のテーブルの上には、たくさんのノートが置かれています。「クラブノート」「部活ノート」「吹部ノート」と部員ごとに様々な題名がつけられた、日々の思いを綴るノート。一人の部員が西関東大会後にノートにこう書き綴っていました。
「来年は絶対に全国大会に出て、川口先生を男にしてみせます」
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周りを見て自分自身から少し離れてみると今までの自分の悪いところだったり、他にもいろいろなことに気が付くようになれると思う。見る角度を変えるだけで、景色が違って見えるのと同じです。
自分の為ではなく誰かの為に頑張るということが、どういうことか。一番大切なのは、自分のためではなく、応援してくれる人のために頑張ること。感謝の気持ちを表すことなのでしょうね。
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