選抜高等学校野球大会とは、阪神甲子園球場にて毎年3月下旬から4月(春期休暇中)にかけて行われるトーナメント方式の硬式野球大会です。主催は毎日新聞社と日本高等学校野球連盟。通称は「センバツ」や「春の甲子園」など。
夏の選手権大会に比べてちょっとパッとしません。テレビ朝日が放送し好評のM-1グランプリの二番煎じとして、TBSが放送を開始したキングオブコントのような位置づけです。「負ければ終わり」という、悲劇性がないからかも知れません。夏の甲子園でいうところの「熱闘甲子園」にあたる番組が無かったり、MBSの中継も準決勝と決勝だけというメディアへの露出度の低さも一因かも知れません。
「栄冠は君に輝く」で統一されている夏の甲子園とは異なり、開会式の入場行進曲が前年度に流行した楽曲から選ばれるのが特徴です。
選抜高校野球は、誰が考えたのかというと毎日新聞社が朝日新聞社に対抗するための販売促進活動の一環として考えられたと言われています。目的は「ただ単純に強いだけではなく、全国の高校生の模範となる全国各地の高校による野球を全国の野球ファンに披露」という感じらしいです。
ですから、「選抜」と名前を冠しているように、夏の選手権大会のようにすべての都道府県から代表校が出るのではなく、前年秋に行われる秋季大会の結果を参考に、毎年1月下旬に32校(記念大会では増枠もある)の代表校が選出されます。この選考によっては、複数の代表校を出す都道府県もあれば、1校も選ばれない都道府県も存在します。
現在の出場枠は以下のとおりです。
北海道:1 東北:2 関東・東京:6(関東の4と東京の1は確定) 北信越:2 東海:2 近畿:6 中国・四国:5(共に2ずつは確定) 九州:4 21世紀枠:3 神宮枠:1
21世紀枠と神宮枠を除く28校が一般選考枠で、一般選考枠で出場する学校に関しては各都道府県で最大2校と決められています。ただし、21世紀枠や神宮枠によって同一都道府県から3校以上出場することは可能です。1933年第10大会では出場校32校中、海草中、和歌山商、海南中、和歌山中と和歌山県から4校出場しました。この時は海草中と和歌山商のベスト8が最高で、二回戦では海草中と海南中の同県対戦もありました。1937年第14回大会では出場校20校中、中京商、東邦商、享栄商、愛知商と愛知県から4校出場しました。この時は中京商が準優勝し、また準決勝で中京商と東邦商の同県対決がありました。
なお現在では、通常枠での同一都道府県からの出場は2校までと決められています。21世紀枠、神宮大会枠(東京のみ)を含めての3校出場は可能ですが、地域性の問題もあるため、選考されるのは非常に難しいとされています。かつては、1988年第60回大会には大阪府から上宮高、近大付高、北陽高の3校、1995年第67回大会には兵庫県から神港学園高、報徳学園高、育英高の3校、2001年第73回大会には茨城県から水戸商高、常総学院高、藤代高の3校が選出された例もあります。
この代表校の選考に関してはちょくちょく物議を醸すこともあります。なお、2016年時点では佐賀県代表が2007年に出場して以来、選抜出場から最も遠ざかっている都道府県です。
1924年に初めて第1回大会が開催されて、その時の正式名称は「全国選抜中等学校野球大会」でした(夏の選手権大会は1915年に第1回大会が開催)。当初名古屋の山本球場という後の八事球場(やごと球場)で8校が参加し開催、第2回大会の1925年阪神甲子園球場で開催されています。
【出場回数ランキング】
1 龍谷大平安高(京都) 40回出場 80試合 40勝 39敗 1分 優勝; 1 ベスト4; 5 ベスト8; 12
2 中京大中京高(愛知) 30回出場 81試合 55勝 26敗 0分 優勝; 4 準優勝; 4 ベスト4; 5 ベスト8; 4
3 東邦高(愛知) 28回出場 76試合 51勝 24敗 1分 優勝; 4 準優勝; 2 ベスト4; 3 ベスト8; 6
3 県岐阜商高(岐阜) 28回出場 74試合 48勝 25敗 1分 優勝; 3 準優勝; 3 ベスト4; 4 ベスト8; 8
5 高松商高(香川) 26回出場 60試合 36勝 24敗 0分 優勝; 2 準優勝; 3 ベスト4; 2 ベスト8; 7
6 広陵高(広島) 23回出場 58試合 37勝 20敗 1分 優勝; 3 準優勝; 3 ベスト4; 3 ベスト8; 2
6 天理高(奈良) 23回出場 49試合 27勝 22敗 0分 優勝; 1 ベスト4; 1 ベスト8; 5
8 広島商高(広島) 21回出場 39試合 19勝 20敗 0分 優勝; 1 準優勝; 1 ベスト4; 1 ベスト8; 2
9 PL学園高(大阪) 20回出場 65試合 48勝 17敗 0分 優勝; 3 準優勝; 1 ベスト4; 6 ベスト8; 4
9 報徳学園高(兵庫) 20回出場 47試合 29勝 18敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 4 ベスト8; 1
9 早稲田実高(東京) 20回出場 42試合 22勝 19敗 1分 優勝; 1 準優勝; 1 ベスト4; 1 ベスト8; 7
9 熊本工高(熊本) 20回出場 36試合 16勝 20敗 0分 ベスト4; 4 ベスト8; 4
【優勝回数ランキング】
1 中京大中京高(愛知) 30回出場 81試合 55勝 26敗 0分 優勝; 4 準優勝; 4 ベスト4; 5 ベスト8; 4
1 東邦高(愛知) 28回出場 76試合 51勝 24敗 1分 優勝; 4 準優勝; 2 ベスト4; 3 ベスト8; 6
3 県岐阜商高(岐阜) 28回出場 74試合 48勝 25敗 1分 優勝; 3 準優勝; 3 ベスト4; 4 ベスト8; 8
3 広陵高(広島) 23回出場 58試合 37勝 20敗 1分 優勝; 3 準優勝; 3 ベスト4; 3 ベスト8; 2
3 PL学園高(大阪) 20回出場 65試合 48勝 17敗 0分 優勝; 3 準優勝; 1 ベスト4; 6 ベスト8; 4
3 横浜高(神奈川) 15回出場 35試合 23勝 12敗 0分 優勝; 3 準優勝; 1 ベスト8; 1
3 箕島高(和歌山) 9回出場 30試合 24勝 6敗 0分 優勝; 3 ベスト4; 2 ベスト8; 2
8 高松商高(香川) 26回出場 60試合 36勝 24敗 0分 優勝; 2 準優勝; 3 ベスト4; 2 ベスト8; 7
8 大体大浪商高(大阪) 19回出場 51試合 32勝 17敗 2分 優勝; 2 準優勝; 3 ベスト4; 1 ベスト8; 5
8 東海大相模高(神奈川) 9回出場 27試合 20勝 7敗 0分 優勝; 2 準優勝; 2
8 松山商高(愛媛) 16回出場 34試合 20勝 14敗 0分 優勝; 2 準優勝; 1 ベスト4; 2 ベスト8; 4
8 池田高(徳島) 8回出場 28試合 22勝 6敗 0分 優勝; 2 準優勝; 1 ベスト4; 2 ベスト8; 1
8 報徳学園高(兵庫) 20回出場 47試合 29勝 18敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 4 ベスト8; 1
8 市神港高(兵庫) 8回出場 22試合 16勝 6敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 1 ベスト8; 3
8 沖縄尚学高(沖縄) 6回出場 18試合 14勝 4敗 0分 優勝; 2 ベスト8; 2
【勝利数ランキング】
1 中京大中京高(愛知) 30回出場 81試合 55勝 26敗 0分 優勝; 4 準優勝; 4 ベスト4; 5 ベスト8; 4
2 東邦高(愛知) 28回出場 76試合 51勝 24敗 1分 優勝; 4 準優勝; 2 ベスト4; 3 ベスト8; 6
3 県岐阜商高(岐阜) 28回出場 74試合 48勝 25敗 1分 優勝; 3 準優勝; 3 ベスト4; 4 ベスト8; 8
3 PL学園高(大阪) 20回出場 65試合 48勝 17敗 0分 優勝; 3 準優勝; 1 ベスト4; 6 ベスト8; 4
5 龍谷大平安高(京都) 40回出場 80試合 40勝 39敗 1分 優勝; 1 ベスト4; 5 ベスト8; 12
6 広陵高(広島) 23回出場 58試合 37勝 20敗 1分 優勝; 3 準優勝; 3 ベスト4; 3 ベスト8; 2
7 高松商高(香川) 26回出場 60試合 36勝 24敗 0分 優勝; 2 準優勝; 3 ベスト4; 2 ベスト8; 7
8 大体大浪商高(大阪) 19回出場 51試合 32勝 17敗 2分 優勝; 2 準優勝; 3 ベスト4; 1 ベスト8; 5
9 報徳学園高(兵庫) 20回出場 47試合 29勝 18敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 4 ベスト8; 1
10 天理高(奈良) 23回出場 49試合 27勝 22敗 0分 優勝; 1 ベスト4; 1 ベスト8; 5
【選抜大会の記憶】
1973年第45回選抜高等学校野球大会の栃木・作新学院高の江川卓さん。
江川さんは、この選抜大会前の1972年秋の県大会と関東大会を無失点で優勝(秋季大会 7勝0敗 / 53回 / 奪三振94 / 失点0 / 自責点0)。新チーム結成以来、練習試合を含む23戦全勝、負けなしという驚異的な成績で1973年の選抜大会に出場しました。これが甲子園初登場となるのです。
開会式直後の一回戦・北陽高(大阪)相手にいきなり先発全員の19奪三振という鮮烈デビュー。想像以上のストレートの速さと伸びに度胆を抜かれ、日本中がテレビ中継に釘付けになったという。高校生とは信じがたい堂々たる風格があり、ゆったりとしたフォームから投げ下ろされるストレートの球筋は、変化球全盛の当時のプロ野球でもお目にかかれない超一級品でした。ちなみに、北陽高は秋季大阪大会1位、近畿大会2位でこの大会に選抜され、出場校中最高の打率.336という強打のチームで優勝候補の一角でした。
二回戦で小倉南高(福岡)から7回10奪三振。打線が奮起してリードの中、余裕の降板。
準々決勝では今治西高(愛媛)を相手に、8連続を含む毎回の20奪三振を記録する奪三振ショーで1安打完封。8連続奪三振は1926年の選手権大会での和歌山中・小川正太郎さんの記録に並ぶ快挙でした(2012年の選手権大会で桐光学園高の松井裕樹選手が今治西高戦で10連続奪三振を記録)。毎回三振の内、3・4・6・8・9回のアウトは三者三振。あまりの凄さに怪物フィーバーは頂点に達しました。
準決勝は、3試合連続完封の佃正樹さん(法政大・三菱重工広島)を擁する試合巧者の広島商高。迫田穆成監督(現; 如水館高監督)の江川対策は、(1)点をやらず相手のミスを待つ(2)ファールで粘って球数を投げさせる(3)投球テンポを狂わせるでした。江川さんはこの試合、広島商高打線をポテンヒットと内野安打のわずか2安打に抑え込み11三振を奪うほぼ完璧なピッチング。しかし5回、フォアボールの達川光男さん(東洋大・広島東洋カープ)を二塁に置いて佃さんがチーム初安打となるポテンヒットを放ち、140イニングぶりの失点を与えてしまいます。8回にはフォアボールと内野安打で出たランナーが2アウトからダブルスチールを敢行、キャッチャーの悪送球で二塁ランナーの金光興二さん(法政大・三菱重工広島・広島商監督・法政大監督)が生還。ミスが決勝点を生み、江川さんはベスト4で敗退でした。
一回戦 2-0 北陽高(大阪) =完封4安打 (19奪三振)
二回戦 8-0 小倉南高(福岡) =先発7回1安打無失点 (10奪三振)
準々決勝 3-0 今治西高(愛媛) =完封1安打 (20奪三振)
準決勝 1-2 広島商高(広島) =完投8回2安打2失点 (11奪三振)
江川さんはこの大会で60奪三振を記録、1930年選抜優勝の第一神港商・岸本正治さんの作った54奪三振の記録を塗り替えました。60奪三振はもちろん現在でも選抜大会記録です。