日本人はマスクが好きで、一年中マスクをしている人もいます。特に春先はインフルエンザや花粉症の予防としてもマスクをしている人が目立ちます。
さて、マスクと言えば、他の格闘技ではあり得ない、マスクをかぶった正体不明のレスラーが初めて出現したのは1865年(慶応元年)。日本では、まだ街中でお侍さんが、頭にちょんまげを結っており、腰に刀を差して歩いていた時代にフランスのパリに登場しました。
その名もズバリ、「ザ・マスクド・レスラー」です。
実は正体は明らかになっており、セオボー・バウアーさんという方で、マスクを被ってデビューし、サーカス団に所属してフランス各地で見世物的なプロレスをやっていたそうです。
プロレスらしきものが始まったのが、1830年代のフランスでのことですので、マスクをかぶったレスラーは意外と早く登場したことになります。ほかの選手が素顔で登場する中で、1人だけマスクをかぶって登場したのは、何がきっかけでそうしたのかはわかりませんが、リングの上ではさぞかし目立ったことでしょう。
それから約半世紀後の1915年になり、米国でのプロレスに覆面レスラー第1号が登場します。ニューヨークのオペラハウスに出現したのが、「マスクト・マーベル」さん。その正体もわかっており、モート・ヘンダーソンさんという選手でした。
日本に初めてやってきた覆面レスラーは1956年4月に来日しましたメキシコの「ラウル・ロメロ」さん。身長168cmの小さな選手でしたが、メキシコ・ジュニアヘビー級王者として来日した実力者でした。当時旗揚げしたばかりの国際プロレス団(現在は解散)への来日だったということで、大きな話題にはなっていなかったようです。ちなみに、マンガの「キン肉マン」にも登場するプロレス技「ロメロ・スペシャル」の考案者とも言われています。
日本で最初に人気者となった覆面レスラーは1959年4月に日本プロレスに初来日した「ミスター・アトミック」さん。米国では素顔で活躍していましたが、実力はあるものの迫力に欠けていたこともあり、日本に呼ぶにあたって赤いマスクを被せることにしました。このアイディアは、ミスター・アトミックさんが来日する前年の1958年2月から実写版「月光仮面」が放映されて人気となり、赤覆面にマント姿で登場し、プロレス版の月光仮面として人気となりました。
しかし、ミスター・アトミックさんは正義の味方ではなく悪役レスラーとして、覆面に凶器を隠した反則頭突きで相手レスラー流血させてKO。悪いことをすればするほど人気となり、どこの会場も超満員だったそうです。
そして、日本で一番人気があったと思われるのが、白覆面の魔王と呼ばれた「ザ・デストロイヤー(本名:ディック・ベイヤー)」さんです。コメディアンとしても人気が爆発するなど、日本を愛し、日本から愛されたレスラーでした。
1963年5月に初来日。WWA世界王座として、必殺技・足4の字固めで注目され、同年5月24日の東京体育館で行われたWWA世界王座に力道山さんが挑戦した一戦は12,000人を集め、TVの生中継での関東地区の視聴率は64%だったそうです・
さて、日本人として初の覆面レスラーの登場は1967年7月27日に今は亡き国際プロレスで大磯武戦でデビューした「覆面太郎」です。その正体はストロング小林さんでした。1968年1月3日にマスクを脱いで素顔になりましたが、2代目・覆面太郎が1993年6月10日にW★INGプロモーション後楽園ホール大会でデビューし、さらに3代目・覆面太郎が2013年4月14日にDFC西調布格闘技アリーナ大会でデビューしています。
現在では、覆面レスラーがベビーフェイス(善玉)である場合が多いですが、昔の覆面レスラーはヒール(悪役)が多かったのですが、マスクマン=悪役というイメージを払拭したのが、1971年2月に日本プロレスに初来日した、メキシコの「ミル・マスカラス」さんです。
ルチャリブレを代表するヘビー級ルチャドールの1人であり、世界で最も著名な覆面レスラーの1人として、日本では「千の顔を持つ男」「仮面貴族」などのニックネームを持ち、ジグソーの「スカイ・ハイ」が入場テーマ曲に用いられ、華麗な空中殺法で米国や日本でも人気であり、絶対的なベビーフェイスでした。
その後、覆面レスラーは日本でもタイガーマスクさんや獣神サンダーライガーさんなど、ベビーフェイスのマスクマンも多く登場するようになりました。
ちなみに、覆面レスラーのマスクを剥がしてしまうと、相手は反則負けになってしまいますが、顔を隠し、正体がわからないことを売りにする覆面レスラーの生命線ともいえるのがマスクです。
そして、私たちにとって新コロナウイルス感染防御の生命線ともいえるのもマスクです。