2020年3月7日~8日に開催される予定だった2020年シーズンのMotoGP第1戦カタールGPにおいて、最高峰のMotoGPクラス開催が中止されました。
日本でも拡大防止策が講じられている新型コロナウイルスはイタリアで多数の感染者が確認されており、各国はイタリアへの渡航制限やイタリアからの物流などを制限する動きを取っており、その中で開催国カタールが新型コロナウイルス対策として、イタリアから直接入国する人や、過去2週間以内にイタリア滞在歴がある人を14日間隔離する対応を取っていることになります。
イタリアはMotoGP参戦チームの多くの拠点があり、今回の隔離政策の影響が大きく、国際モーターサイクリズム連盟(FIM)とマネージメントを行っているドルナなどが協議した結果、シリーズ最高峰のMotoGPクラスについてレース開催を見送ることが決められたものです。
なお、Moto2、Moto3クラスのチームスタッフやライダーは2月28日~3月1日にカタールで行われた公式テストに参加するためにすでに入国を済ませていることから、予定どおりレースが行われることになっています。
この結果、3月20日~22日の第2戦タイGPがシーズン開幕戦となる予定でしたが、世界的に新型コロナウイルスの感染が進行しているため、タイ政府は開催することは可能ではないことを発表し、それを受けてタイGPについては現時点では中止ではなく延期が決定されました。
FIM、IRTA、ドルナは今シーズンの後半に代替開催が可能か調整し、決定次第、情報が発表されるそうです。
よって、現時点では最高峰クラスの幕開けは4月3日~5日の第3戦アメリカズGPになりそうですが…。
F1の2020年シーズンの開幕が迫っています。開幕戦はオーストラリアで3月13日〜15日に行なわれる予定となっていますが、こちらも、いくつかの地域では厳格な検疫、または渡航禁止措置がとられている関係で、一部のF1チームスタッフがオーストラリアへ行くことができないという懸念もあるようです。
F1でもイタリアにはフェラーリ、アルファタウリやタイヤサプライヤーのピレリなどが拠点を構えており、スタッフががイタリアから無事入国できるかどうかが、を開催する上で最も重要なポイントのひとつです。イタリアでは感染が拡大したこと、そして厳格な検査が行なわれていることから、世界的に見ても感染者数が多くなっています。オーストラリア政府はこの現状を鑑みて、渡航に関する助言を再評価し、イタリアまたは韓国から帰国した医療従事者は、14日間の検疫を受けるよう要請しています。
ちなみに、日本のホンダがレッドブルとアルファタウリにパワーユニットを供給していますが、日本人スタッフはテストが行われたスペインから日本へは帰国せず、英国へ行き、その後オーストラリアへ行くようです。これは、日本を経由した場合、オーストラリアへの入国が厳しくなる可能性があるからだという。
しかしながら、現時点で中国、またはイランからの外国人旅行者は、オーストラリアへの入国が許可される前に、第三国で14日間を過ごさなければならないことを考えますと、イタリアや韓国からの旅行者は、中国やイランからの旅行者よりも制限は緩い状態になっています。
よって、そういった状況からオーストラリア・グランプリ・コーポレーション(AGPC)は、F1オーストラリアGPが予定どおり開催されると予想しているようですが。
さて、第3戦が予定されているのがベトナムGP。
2015年にベトナムはイタリアに対して15日間まではビザ不要としましたが、ベトナムはイタリアでの感染拡大をうけて制限措置を決定し、イタリアはベトナムへの入国にビザが必要となりました。
ベトナムのビザを取得したことはありませんが、ビザ取得にはいろいろと手続きがあり、すべてのスタッフがタイムリーにビザ取得ができるかどうかがポイントになります。
さてさて、4月17日~19日に開催される予定だった第4戦中国GPはすでに延期が決定しています。これは、中国の国家体育総局がすべてのスポーツイベントを無期限延期にするよう通達したことによります。
ちなみに、1995年には阪神大震災の影響で4月に岡山・TIサーキット英田(現;岡山国際サーキット)で予定されていたパシフィックGPが秋に順延され、鈴鹿サーキットでの日本GPとの2週連続開催となったことがあります。また、2015年にはドイツGPが予定されていましたが、サーキットの財政難による契約問題でシーズン開幕直前に中止が発表されたことがあります。
これら、世界規模のモータースポーツはスタッフのみならず、多くの機材の輸送が国際間で発生します。単純にオリンピックとは比較はできないでしょうけど、東京オリンピック・パラリンピックも海外からは選手団だけでなく、多くの観戦客や物資に移動が発生します。
開催可否については、日本だけの事情で決定できる状況ではなくなってしまっていると考えます。