野球小僧

西内一人 / 土佐高等学校 硬式野球部

「右文尚武の理想 ひたぶる全力疾走 純白の土佐 とわに輝け」

3年ぶりに選抜に登場します。2011年から母校を指揮し、自身2度目の監督出場になる西内一人監督は「ウチに大した選手が集まらないことは、判り切っている。6ある力を日頃の練習から全力を出し切って、いかに試合でも6を発揮するか。10ある相手校でも、6しか出ないこともある。昨秋以降の伸びは感じているので、競った展開へ持ち込みたい」と語っています。

高知県内有数の進学校の土佐高校は1920年に創立され、野球部は1947年に男女共学の旧制中学校を併設した際に土佐中学野球部として発足。一度活動が途切れました、1949年に当時県内最強だった併設の土佐中野球部を母体として発足しました。この年、神奈川県の淞南高校が甲子園初出場で優勝。学問とスポーツの両立を掲げていた大嶋光次元校長がこれに触発され、文武両道の象徴として野球部をスタートしたと言われています。

1952年(第24回)選抜で甲子園初出場。故・溝渕峯男元監督に率いられた1953年(第35回)の選手権。1950年に準優勝を遂げた徳島・鳴門高の「全力疾走」を見習って、強豪校を次々と撃破して準優勝を果たし、高校野球の理想を追求する姿勢に「優勝旗なき優勝校」と讃えられました。その後、しばらく不振が続きましたが、OBの故・籠尾良雄元監督の就任で意識改革。「練習を効率よく行うこと、体力の向上、すべてに全力でひたむきに取り組むことで人間性の向上を行う」と”全力疾走”の精神を説いて、土佐高の伝統として浸透させ、再び甲子園への道が開けました。籠尾元監督就任後にいきなりベスト4入りした1964年(第36回)選抜では「全力疾走」が全国のファンに共感をもって迎えられ、以来、全力疾走は土佐高野球部の代名詞となって定着しました。

さらに1966年(第38回)選抜では部員12人で準優勝。そのひたむきな全力疾走による健闘ぶりに、「大会の花」として称えられました。しかし、進学校の宿命ともいえる慢性的な部員不足もあって次第に戦力がダウン。そして、ライバル高知商高に幾度となく甲子園の道を阻ま続け、平成に入ってからは明徳義塾高の台頭もあって1993年(第65回)選抜以来、甲子園出場を閉ざされてましたが、学校側の応援で野球部専用球場が完成し、2010年と2012年には秋の四国大会出場を果たすなど復活の兆しが見え始め、2013年(第85回)選抜で私立高校としては初めて21世紀枠により、20年ぶりの甲子園出場を果たしました。

3年前は実力以外の部分が評価されて選出されましたが、今回は四国大会で2つ勝っての一般選考枠から実力で選出されたものです。

土佐高は火曜日から金曜日までは6時限(15時10分終了)の授業後に、専用グラウンドまで自転車で移動(約25分)し、16時ころから練習開始。月曜日は7時限まであるため、17時過ぎ、土曜日は4時限まで授業を受けてからの練習。さらに附属中以外から入学してきた部員は、一年時に朝7時30分からの補習授業があるそうです。全体練習は19時まで、19時30分には完全撤収となるため、その後に塾へ通う部員もいるそうです。練習時間が圧倒的に少ないため、だからこそ代名詞の全力疾走が求められるそうです。

そして、この全力疾走の復活に大きく貢献したのが籠尾元監督の教えを一番判っている楠目博之部長になります。西尾監督の就任時に学校へ復帰をお願いし、2015年4月から18年ぶりに部長として野球部に戻って来ています。 高校時代は籠尾監督の下で甲子園出場。大学・社会人でプレーした後、教員資格を取り、1983年から土佐高で教員となると同時にコーチに就任。その後、野球部部長となり、1989年夏と1993年春に責任教師として甲子園出場。籠尾監督の後を継ぎ、1993年から1997年まで監督をしていましたが、その後は水泳部顧問となり、県水泳連盟理事長を務めていました。

3年前の選抜出場時はアルプススタンドで応援していたそうですが、「感動がない。粘り、集中力を感じない。素質も技術も大したことがない中で下手なら下手なりに一生懸命やることが、相手にしてみれば一番、嫌なんです。全力疾走? 当時はそうでもない。見れば判ります」と全力疾走に物足りなさを感じていたそうです。定年まで約5年の間で、土佐高の野球はこうあるべきと、次世代に伝えることが最後の恩返しと考えているそうです。

グラウンドのネット裏に「右文尚武の理想 ひたぶる全力疾走 純白の土佐 とわに輝け」と刻まれた石碑があるそうです。

右文尚武は文武両道。土佐高野球部員であるまえに立派な土佐高生であれ。

全力疾走は体力だけでなく、気持ちの強さ、粘り、集中力を生み、人間力の向上につながる。

純白の土佐は清らかな心を持ち、正義を愛し、思いやりの深い人間に育ってもらいたい。

甲子園で負けることは恥ではない。籠尾イズムを継承できないことの方が恥。

これら3つの理念を追い求め、土佐高の野球を貫く、高校野球の模範試合は今日プレーボールです。


コメント一覧

まっくろくろすけ
Nさん、こんばんは。
こういう理念を持った高校はファンから愛され、野球の神様からも愛されますよね。

♪ 勝ち負けだけじゃない何かを 教えてくれたレースがある
一緒に走った 冷たい夏の雨
青いしぶきに重なる残像 水際に浮かべた感情♪

こんな感じですね。爽やかな春風を真っ白なユニフォームが運んでくれたようでした。
Nより
こんばんはです
ご無沙汰です
土佐高校残念でした

試合をみてて甲子園とは勝負の場ではあるが教育の場、自分が成長する場なのかなと感じました。
全ての三年生にとって夏の選手権は最後の成長出来る場なのかな!
熱くなる気持ちが分かった気がします。

甲子園で負けることは恥でない
ですね
まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
一番できないことが徹底すること。ビデオで見ましたが、徹底された全力疾走。

真っ白いユニフォームが甲子園の青空に映えていました。

40年ぶりの春勝利は遠かったですね。相手が一枚上だったのでしょう。

でも、負けたからと言って、ここでくよくよ終わってしまったら、成長はないですから、夏にもう一度、甲子園に戻ってきて欲しいと思います。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

土佐の高校といえばやはり 犬飼小次郎・武蔵擁する土佐丸高校が・・・
キャッチボール投法に殺人スライディングや
犬神了の死神ボールとか。
土佐高校の教えとは全く反していますね^^;
犬飼知三郎の室戸学習塾の方に近いのですかね?

土佐高校として記憶にあるのは玉川さんの史上二人目のサイクルヒット。
慶應義塾大学~日石(当時)で大活躍された記憶があります。
そのままJX-ENEOSで仕事続けられたんでした。
この教えがあったからでしょうね!!
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