「木も人間もみんな自然の分身ですがな。
おたがい等しくつきあうていかなあきませんね」
by 西岡常一(法隆寺宮大工棟梁) / 出典; 「木のいのち 木のこころ」
木の癖組みは工人の心組み。
工人の心組みは匠長が工人らへの思いやり。
百の工人には百の思いがあり。
ひとつにまとめるのが匠長の器量なり。
百論ひとつにまとめる器量なき者は謹みて匠長の座を去るべし。
ということらしいです。
難しいです。
棟梁は大工さんのほかにも左官さんや石屋さんなど、建物全体に携わる、いろいろな職種のスタッフを指揮します。
いわゆる監督という立場ですよね。
スタッフへの「思いやり」と「個を認め、気持ちをまとめる」のがその長としての務めとしています。
その務めは約1.400年前からの口伝となっています。
この棟梁を継承者した西岡さんは18歳のときに内弟子になったそうです。
しかし、棟梁からは「新聞は駄目」、「本は駄目」、「仕事の本も駄目」・・・と何でも駄目出しをされたといいます。
ただ、道具を研いでいなさいと。
仕事を終わって食事しても、夜遅くまで研いでいなさいと言い渡したそうです。そして余計なことは考えないようにすること。
そのこと以外は何も教えてくれなかったといいます。
ただ一緒に仕事場に行って
「これをやってみろって」
言うだけだそうです。
つまり、習うより慣れろという昔ながらのやり方なのですよね。
その背景には、いろんな情報というのは修行中には邪魔なことということです。
人が本気で取り組むことであるならば、まさしくそのとおりだと考えます。
ということは、私の場合は邪念だらけなため、何事も本気で取り組んでいないということになっちゃいました。