野球小僧

アブドーラ・ザ・ブッチャー / 黒い呪術師

1999年1月31日に死去したジャイアント馬場さんの没20年追善興行がプロレス9団体の59選手を集めて開催され、2012年1月に現役引退したアブドーラ・ザ・ブッチャーさんの引退セレモニーも行われました。

1960年代後半から1980年代前半にかけて、TVのプロレス中継のたびに、ブッチャーさんは額から血を流していた。典型的な大悪役キャラクターなのに、なぜかファンに愛されつづけた不思議なプロレスラーです。

ブッチャーさんの引退セレモニーの様子はNHKのニュースでも報じられ、なんと1977年12月15日蔵前国技館で行われた世界オープンタッグ選手権でのザ・ファンクス vs. ブッチャー&ザ・シーク組の壮絶な試合(ブッチャーさんがテリー・ファンクさんの右腕に凶器のフォークを突き立てた)場面を放送したのには、「NHK一皮むけたな」と思いました。

黒光りした坊主頭とギザギザの傷だらけのおでこ。得意技の地獄突き、日本人にはなんとなく親しみのある、お相撲さん体型で、すててこみたいなコスチューム。プロレスファンでなくても、たいていの日本人はブッチャーさんの顔と名前は知っているでしょう。ある意味、ブッチャーさんは日本で一番有名な外国人のひとりと言っていいかもしれません。

ちなみに、「アフリカ・スーダン生まれでジュジュポソウなる武術の達人」と称しましたが、実際にはカナダ五大湖地区の出身で空手と柔道を習得して、1958年にデビューしました。

1970年に日本プロレスの8月興行「サマーシリーズ」で初来日し、開幕戦のBI砲とのタッグ戦でジャイアント馬場さんからピンフォールを奪い、東京スタジアム大会での馬場さんとの初シングル戦で、桁外れの場外戦を繰り広げるなど、シリーズが進むにつれて人気が沸騰しました。1971年、1972年と「ワールドリーグ戦」にアフリカ代表として参戦、1971年大会では優勝決定戦に進出するなど、一躍大物の仲間入りを果たしました。

1972年に馬場さんが全日本プロレスを旗揚げするとブッチャーさんも同団体の常連となり、悪役として馬場さん、ジャンボ鶴田さん、ザ・デストロイヤーさん、ザ・ファンクスなどの強豪レスラーたちと抗争を繰り広げました。馬場さんとの対戦は全日本プロレスにおいて約20年に渡って、PWFヘビー級王座、インターナショナル・タッグ王座などをめぐり、約20年にわたって数々の死闘を重ねました。ブッチャーさんは、「馬場との闘いはすべてが記憶に残っていて、すべてに満足している」「馬場というライバルがいたからこそ、私は日本の観客がなにを望んでいるか理解でき、彼らを喜ばすための技術を向上させることができた」と語っています。

1975年12月の「オープン選手権」では、ハーリー・レイスさんの左肩を脱臼させ途中棄権に追い込みます。そして、1976年5月「第4回チャンピオン・カーニバル」のリーグ戦で大木金太郎さん試合にレイスさんが乱入、会場を飛び出してのストリートファイトとなり、交通機関を麻痺させる騒ぎを起こし警察沙汰となりました。その後、川崎市体育館で行われたレイスさんとの決着戦は、ブッチャーさんのキャリアの中でもトップクラスの大流血戦となりました。

1977年の「世界オープンタッグ選手権」では、先に書いたとおり、ザ・シークさんとの「地上最凶悪コンビ」で、ザ・ファンクスと壮絶な試合を行っています。

1981年5月に新日本プロレスに移籍します。しかし、新日本プロレスの水に合わず、1985年1月25日に「'85新春黄金シリーズ 徳山大会」にて行われたアントニオ猪木さんと3年ぶりのシングル対決が、ブッチャーさんにとって最後の新日本プロレスのリングでした。

1987年11月に全日本プロレスに復帰すると、どの会場でもブッチャー人気が爆発して、全盛期であった1980年頃を彷彿させる大「ブッチャー」コールも起きるようになりました。1988年にはタイガー・ジェット・シンさんとの「凶悪タッグ」が復活、ブルーザー・ブロディ追悼試合ではスタン・ハンセンさんと対戦しブロディさんのチェーンで互いの額を叩き割る大流血戦を繰り広げています。

1990年9月30日の「馬場デビュー30周年記念試合」においてブッチャーさんは馬場さんと初タッグを結成し、ハンセン&アンドレ・ザ・ジャイアント組と対戦。馬場さんの左大腿骨骨折からの復帰戦の相手も務めました。

1990年代前半に第一線から退いてからはベビーフェイスに転向し、「楽しいプロレス」を担当し、試合後のお辞儀や空手パフォーマンスで人気を博すようになります。

しかし、1996年に東京プロレスに移籍すると、かつての凶器攻撃、流血戦が復活。1997年には天龍源一郎さん率いるWARに参戦し、1999年からは大日本プロレスのリングに上がりました。

2001年の「ジャイアント馬場三回忌追悼興行」を機に、三度目の全日本プロレスに復帰。その後、各団体リングに上がり、2010年1月4日の新日本プロレス「レッスルキングダムIV IN 東京ドーム」に25年ぶりの新日本プロレスマットに登場するなど、活躍していました。

2012年1月2日に全日本プロレス「新春シャイニング・シリーズ」開幕戦において現役引退を表明していました。

そして、先日、8年越しの引退セレモニーが日本で行われました。現在、ブッチャーさんは得意技だったエルボー・ドロップを多用した後遺症で股関節を痛め、今は車イスでの生活です。

最後の花道に駆けつけたのは、ミル・マスカラスさん、ドス・カラスさん、初代タイガーマスクさん、秋山準選手、坂口征二さん、スタン・ハンセンさん、ドリー・ファンク・ジュニアさんなど、昭和プロレス時代のレジェンドです。武藤敬司選手が現れて「かかってこい」とアピールすると、車イスから立ち上がって応じるパフォーマンスを見せていました。

最後に「ファンのみなさん、帰ってきました」と力強くあいさつ。「一つだけ足りないことがあります。ここにジャイアント馬場さんがいてくれれば完璧です」と、死闘を繰り広げた天国の馬場さんに思いをはせたそうです。

悪役ではあるものの、ブッチャーさんは、リングを下りると“いい人”になって笑顔をふりまいて、ファンサービスをします。ブッチャーさんはブッチャーさんの哲学で子どもやお年寄りのファンを大切にし、どんなときでもサインや記念撮影に気軽に応じた方です。

来日の際にはしばしば老人ホームへ慰問に訪れています。引退セレモニーの時にも、「若い人たちに言いたい。自分の親が年を取っても、決して老人ホームにぶち込んで忘れるようなことはするな。いずれはお前たちも年を取ってそういうことになるんだから、ちゃんと親を大事にしろ。それだけを言いたい。忘れるんじゃないぞ」と言っています。

昭和の時代だから出現した悪役プロレスラーのブッチャーさん。しかし、しかし、これだけ愛された悪役プロレスラーは二度と出て来ないでしょう。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
いやいやいや、「覆面に忍ばせた王冠か五寸釘にテープをぐるぐる巻きにしたもの」もダメでしょう(笑)。ゴングですよ、ゴング。

しかし、昔、プロレス見ていた時の入場シーンで、お客さんが逃げ惑う姿が印象的でしたが、こうやって見てみますと、ブッチャーさんは、他の悪役に比べて素直に入場しており、後ろの相方を気にしているシーンが多く見られました。

怖さの中に、笑える瞬間です。
eco坊主
おはようございます。

きましたね~黒い呪術師!
引退セレモニーの車いす姿は・・・

フォーク攻撃観たときは本当でこんなん許されるのかと思いました。凶器と言ったら覆面に忍ばせた王冠か五寸釘にテープをぐるぐる巻きにしたものと思っていましたから。

これからは身体に気を付けて穏やかな余生を過ごして欲しいものです。
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