「江の島(えのしま)」とは、太平洋相模湾を所在海域とした、神奈川県藤沢市にある周囲約4kmの「陸けい島(海岸に近い島が砂州(さす)によって陸地とつながったもの)」です。
ちなみに、広島県と島根県の県境近くにある阿佐山山塊三坂峠付近を源を発する、中国地方最大の一級河川で「中国太郎」とも呼ばれる「江の川」は「えのかわ」とは読まず、「ごうのかわ」と読みます。
それはともかくとして。
関東地方のニュースや天気予報でのオープニングやエンディングにはよく登場する場所が江の島。
約20000年前までは陸続きであったらしく、海水の侵食、海進により島となったらしく(誰も見たことはないと思いますけど)、皇慶さん(=平安末期の天台宗のお坊さん)が1047年に書いたと伝えられる「江島縁起(えのしまえんぎ)」という「江島神社(えのしまじんじゃ)」の沿革を記した書物によれば、552年4月に海底より土砂を噴き出して、21日間で島ができたと伝えられているそうです。
よくわかっていませんが、昔からの景勝地であり、神奈川県指定史跡・名勝、日本百景の地であり、何しろ観光客で混雑する場所なのです。
ということで、とりあえず行ってみました(と言っても混雑するシーズン中ではなく、オフシーズンでしたが・・・)。
江の島と言えばいろいろと観光地として史跡や自然など見どころが多くありますが、そのなかでも今回、私がどうしても行きたかったのが江の島と本州を結ぶ「江の島大橋(えのしまおおはし)」を歩いて渡りたかったのです。
正確には江の島大橋とは自動車などが走行する橋の方で、人が歩いて渡る橋が「江の島弁天橋(全長389m、幅4m)」になります。
いまの江の島弁天橋は1949年に橋脚部分を木製からコンクリート製に改築した際に一般公募で名付けられたもので、それまでは「桟橋」「江の島桟橋」と呼ばれていたそうです。
当初は「陸地から江の島へ干潮時に歩いて渡れるようになった」との1216年ころの記録があり、干潮時には歩いて渡り、満潮時には渡し舟か人足が背負って渡った時代が長く続いていたそうで、1891年に当時の川口村が村営で短い桟橋を架けて有料で渡っていたそうです。
1921年に神奈川県営の橋が完成し、1932年に湘南遊歩道路から県営桟橋を結ぶ新しい橋が完成し、1958年に江の島弁天橋を橋桁部分も鉄筋コンクリート製に改修し、現在の江の島弁天橋となりました。
このときはまだ歩道のみだったということです。
そして、1962年に江の島の湘南港が1964年開催の東京オリンピックのボート・セーリング会場に選ばれたことにより、自動車専用の「江の島大橋(橋部分は408m)」が開通します。このときまで約71年間もの間、江の島弁天大橋は有料だったということになります。
日本で最初の有料高速道路が1964年に開通し、2065年まで料金を徴収すれば以降無料化する予定だったのが、国土交通省は高速道路料金の無料化開始時期を50年延長し、2115年からとする道路整備特別措置法を2023年秋の国会に提出する方針とのことです。
実に約151年もの間、有料なのです(比べることではないでしょうけど)。
江の島弁天橋は江の島の出入り口。
いまでこそ観光地となっていますが、昔は信仰(修行)の場として神聖な場所でもありました。
橋ができるまで昔の人は干潮時にのみ歩いて渡ったということで、不思議な現象だったこともあると想像します。
いまでは簡単に(しかも無料化!)で歩いて渡ることができますが、今度行くときには干潮時に江の島弁天橋ではなく、(たぶん)昔の人のように海岸を歩いてみたいものです。ただ、江の島側から島へ上陸できる場所は整備されていないようですが・・・。
住所:
神奈川県藤沢市江の島
アクセス:
小田急(電車)で片瀬江の島駅から徒歩約2分
江ノ島電鉄(電車)で江の島駅から徒歩約5分
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
ちなみに、広島県と島根県の県境近くにある阿佐山山塊三坂峠付近を源を発する、中国地方最大の一級河川で「中国太郎」とも呼ばれる「江の川」は「えのかわ」とは読まず、「ごうのかわ」と読みます。
それはともかくとして。
関東地方のニュースや天気予報でのオープニングやエンディングにはよく登場する場所が江の島。
約20000年前までは陸続きであったらしく、海水の侵食、海進により島となったらしく(誰も見たことはないと思いますけど)、皇慶さん(=平安末期の天台宗のお坊さん)が1047年に書いたと伝えられる「江島縁起(えのしまえんぎ)」という「江島神社(えのしまじんじゃ)」の沿革を記した書物によれば、552年4月に海底より土砂を噴き出して、21日間で島ができたと伝えられているそうです。
よくわかっていませんが、昔からの景勝地であり、神奈川県指定史跡・名勝、日本百景の地であり、何しろ観光客で混雑する場所なのです。
ということで、とりあえず行ってみました(と言っても混雑するシーズン中ではなく、オフシーズンでしたが・・・)。
江の島と言えばいろいろと観光地として史跡や自然など見どころが多くありますが、そのなかでも今回、私がどうしても行きたかったのが江の島と本州を結ぶ「江の島大橋(えのしまおおはし)」を歩いて渡りたかったのです。
正確には江の島大橋とは自動車などが走行する橋の方で、人が歩いて渡る橋が「江の島弁天橋(全長389m、幅4m)」になります。
いまの江の島弁天橋は1949年に橋脚部分を木製からコンクリート製に改築した際に一般公募で名付けられたもので、それまでは「桟橋」「江の島桟橋」と呼ばれていたそうです。
当初は「陸地から江の島へ干潮時に歩いて渡れるようになった」との1216年ころの記録があり、干潮時には歩いて渡り、満潮時には渡し舟か人足が背負って渡った時代が長く続いていたそうで、1891年に当時の川口村が村営で短い桟橋を架けて有料で渡っていたそうです。
1921年に神奈川県営の橋が完成し、1932年に湘南遊歩道路から県営桟橋を結ぶ新しい橋が完成し、1958年に江の島弁天橋を橋桁部分も鉄筋コンクリート製に改修し、現在の江の島弁天橋となりました。
このときはまだ歩道のみだったということです。
そして、1962年に江の島の湘南港が1964年開催の東京オリンピックのボート・セーリング会場に選ばれたことにより、自動車専用の「江の島大橋(橋部分は408m)」が開通します。このときまで約71年間もの間、江の島弁天大橋は有料だったということになります。
日本で最初の有料高速道路が1964年に開通し、2065年まで料金を徴収すれば以降無料化する予定だったのが、国土交通省は高速道路料金の無料化開始時期を50年延長し、2115年からとする道路整備特別措置法を2023年秋の国会に提出する方針とのことです。
実に約151年もの間、有料なのです(比べることではないでしょうけど)。
江の島弁天橋は江の島の出入り口。
いまでこそ観光地となっていますが、昔は信仰(修行)の場として神聖な場所でもありました。
橋ができるまで昔の人は干潮時にのみ歩いて渡ったということで、不思議な現象だったこともあると想像します。
いまでは簡単に(しかも無料化!)で歩いて渡ることができますが、今度行くときには干潮時に江の島弁天橋ではなく、(たぶん)昔の人のように海岸を歩いてみたいものです。ただ、江の島側から島へ上陸できる場所は整備されていないようですが・・・。
住所:
神奈川県藤沢市江の島
アクセス:
小田急(電車)で片瀬江の島駅から徒歩約2分
江ノ島電鉄(電車)で江の島駅から徒歩約5分
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。