かつて茨城・取手第二高校、常総学院高校を率いた木内幸男さんは甲子園通算40勝、春夏合わせて3度優勝し、半世紀以上も第一線に立ち続けた。
木内さんと言えば「木内マジック」と称された名采配があります。
その采配理論の土台は土浦一高で選手の時だったそうです。終戦と同時に5年間野球をやっていて、3人の監督が来ました。その監督がみんな違ったため、そのいいところだけ盗んで、合体したものからスタートしたそうです。
また、その後は見たものすべてを参考にしていたそうです。プロ野球も、学童野球も、ソフトボールも取り入れられるものがあるからだそうです。
それでも、高校野球での自分の理論が出来るまでに60年かかったそうです。
「甲子園ではバントするより打った方が点が入るとは80歳になるまで知らなかった。1点欲しいからバントするんだと思っていた。テレビで言っていたが、80歳にもなって知りたくなかった。いまでも半信半疑。もっとも甲子園は当てにならない。一流どころがそろうから。茨城なら送った方が入ると思う。場所によって野球は違う」
確かに、相手を見て、グラウンド(状態)を見て、極端なことを言えば風(向き)を見て、観客(の雰囲気)を見て、その時、その瞬間にベストとも思われる采配を振るっていました。
そんな事細かな采配のためには徹底した練習が必要になります。
普段はマイクで「そこ違うだろ」ということをみんなに分かるように言っていたそうです。でも、そこでほかの選手が「怒られてるな」となっているうちは駄目だと言っています。
そして、監督の努力と選手のいい素材が合致すれば、やったことの分だけ結果は出ると。
勝ちたかったらそこまでやって、勝つ野球を生徒らに教えることだそうです。
長いこと監督をやっていると選手の考え方、接し方も変わって来るそうです。
今の選手は中学年代はクラブチームでやって、試合が何百試合とある中で、勝ちが十あるが負けも五つあったりして、勝敗にあまりこだわらなくなっているそうです。
でも、高校野球の監督は勝敗にこだわるので、そのこだわりの気持ちを分かってもらうのが大変だそうです。昔より今の方が非常に難しく、そらに自分で野球が出来ると思っているそうです。
キャッチボールを見ても中学生で入ってくる3分の1は出来ていないそうです。バッティングだって、この打ち方で俺は打ってきたと。でも、それでは甲子園レベルのピッチャーは打てないのです。
それが勘違いだって分からせるのが大変だそうです。中学の野球と高校の野球のレベルの違いを意識してくれないと言います。
「努力」
監督は選手を自分の所有物のような感覚を持ってしまい、選手はある程度のわがままは学童、中学、クラブチームでこれくらいは許されるんだという社会から入ってくるため、それを全否定してはダメなんだそうです。
その選手の良いところがなくなってしまうからだそうです。
最初に心構えを伝える。
「野球は個人スポーツじゃないんだ」
これが認識できて初めて、つなぐとか、絆が出来るそうです。
野球はつながりであり、みんなでやるものですから。
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今回の大雨による水害で被害に遭われた方に心からお見舞い申し上げます。
今は何も力になれませんが、常総学院高のように、一人ひとりの絆で乗り切る力を持っていると思います。
栃木・茨城両県の高校球児のみならず、すべての方が一日でも早く日常の生活が戻ることをお祈りいたします。
(多摩川河川敷の野球場も・・・)