野球小僧

日本列島 高校野球の旅 ~高等学校野球選手権大会編~

全国高等学校野球選手権大会とは、阪神甲子園球場にて毎年8月上旬から下旬に行われる硬式野球の大会です。主催は朝日新聞社と日本高等学校野球連盟。

日本の夏の風物詩であり、これがなければ夏は来ず、これが終わらなければ夏は終わらないのです。例えるならば年末の吉本興業主催のM-1グランプリようなものであり、また、有望な選手を秋のドラフトで獲得しようと目論むプロ野球のスカウトにとっても、この大会は候補を絞り込む、あるいは新たな素材を発掘するためのステータス獲得レースとなっています。また、高校生を対象として硬式野球の日本一を決める大会であるため、俗に「野球甲子園」とも呼ばれます。

夏の選手権大会は誰が考えたのかというと、朝日新聞社が販売促進活動の一環として高校野球連盟と主催して、1915年から全国中等学校優勝野球大会という名前で開催されたのが始まりで、昨年100年を迎えました。なお、大会数と異なるのは、戦争による中断があったからです。ただ、記録には残りませんが1942年は文部省主催で全国大会が開催されたという記録も残っています。

なお、夏の選手権大会の目的は「全国の高校で一番強い学校を純粋に決める」というのが趣旨と言えるでしょう。一応「野球を通じて健全な社会人を育成する」などが、高校野球活動全体を通じての目標ではありますが。

この第1回大会では参加73校、出場10校でしたが、1978年の第60回記念大会以降、現在までは47都道府県で行われる地方大会での4,000校以上による予選大会があり、各都道府県から勝ち上がった49校(北海道2校、東京都2校)により、阪神甲子園球場でトーナメント形式によって優勝を争います。それ以前は第40回、第50回記念大会で全都道府県1校が出場したのを除き、一部地域ではいくつかの県をまとめて地区代表として甲子園に出場することになっていました。現行の制度では予選出場校数が25校程度の鳥取県と160校を超える予選出場校がある千葉県や大阪府が同じ出場枠1を争う形になっています。選挙における一票の格差ほどの問題はありませんが格差はありますが、1998年に行われた第80回大会は記念大会と位置付けられ、愛知県、神奈川県などの激戦区から2校が出場。2008年の第90回大会も同様に記念大会となり、北海道と東京都のほかに高校数の多い神奈川県、埼玉県、千葉県、愛知県、大阪府、兵庫県から2校ずつ選出されています。

この大会はNHKによって、無カット・無CMで全試合生放送されるという、他のスポーツ競技では例のない放送体制を敷いています。また、朝日放送(近畿圏)もサンテレビ・KBS京都などの独立局と共同で全試合完全中継。またダイジェスト番組「熱闘甲子園」を全国ネットで放送しています。

ところで、全国大会では阪神甲子園球場が使用されており、ここが「高校野球の聖地」とも呼ばれていますが、兵庫県大会ではかつて阪神甲子園球場を会場に使っていたこともあり、2004年を最後に阪神甲子園での県大会は行われていません。愛知県大会はナゴヤドームを決勝などの会場にしていましたが、高校生には豪華すぎると指摘され、2008年以降は使用していません。大阪府大会では京セラドーム大阪で開会式直後の2試合を行うことになっています。東京は東東京、西東京とも明治神宮球場周辺を開催地としており、決勝は神宮球場、神宮第二球場を使用する場合があります。なお、鳥取県では、ここ数年、どらやきドラマチックパーク米子市民球場、倉吉市営野球場、コカコーラウエストスポーツパーク野球場の持ち回り制になっています。

【選手権大会出場回数ランキング】
1 北海高(北海道) 37回出場 58試合 21勝 37敗 0分 準優勝; 1 ベスト4; 1 ベスト8; 8
2 松商学園高(長野) 35回出場 59試合 25勝 34敗 0分 優勝; 1 準優勝; 1 ベスト4; 3 ベスト8; 1
3 龍谷大平安高(京都) 33回出場 89試合 59勝 30敗 0分 優勝; 3 準優勝; 4 ベスト4; 1 ベスト8; 9
4 早稲田実高(東京) 29回出場 72試合 43勝 28敗 1分 優勝; 1 準優勝; 2 ベスト4; 3 ベスト8; 9
5 県岐阜商高(岐阜) 28回出場 66試合 39勝 27敗 0分 優勝; 1 準優勝; 3 ベスト4; 3 ベスト8; 4
6 中京大中京高(愛知) 27回出場 98試合 78勝 20敗 0分 優勝; 7 ベスト4; 6 ベスト8; 7
6 天理高(奈良) 27回出場 70試合 45勝 25敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 2 ベスト8; 6
8 松山商高(愛媛) 26回出場 82試合 60勝 21敗 1分 優勝; 5 準優勝; 3 ベスト4; 4 ベスト8; 6
9 仙台育英高(宮城) 25回出場 55試合 30勝 25敗 0分 準優勝; 2 ベスト8; 1
10 静岡高(静岡) 24回出場 45試合 22勝 23敗 0分 優勝; 1 準優勝; 2 ベスト8; 3

【選手権大会優勝回数ランキング】
1 中京大中京高(愛知) 27回出場 98試合 78勝 20敗 0分 優勝; 7 ベスト4; 6 ベスト8; 7
2 広島商高(広島) 22回出場 58試合 43勝 15敗 0分 優勝; 6 準優勝; 1 ベスト4; 1 ベスト8; 2
3 松山商高(愛媛) 26回出場 82試合 60勝 21敗 1分 優勝; 5 準優勝; 3 ベスト4; 4 ベスト8; 6
4 PL学園高(大阪) 17回出場 61試合 48勝 13敗 0分 優勝; 4 準優勝; 3 ベスト8; 2
4 大阪桐蔭高(大阪) 8回出場 33試合 29勝 4敗 0分 優勝; 4 ベスト4; 1
6 龍谷大平安高(京都) 33回出場 89試合 59勝 30敗 0分 優勝; 3 準優勝; 4 ベスト4; 1 ベスト8; 9
7 桐蔭高(和歌山) 20回出場 51試合 32勝 18敗 1分 優勝; 2 準優勝; 3 ベスト4; 4 ベスト8; 1
7 智弁和歌山高(和歌山) 21回出場 54試合 35勝 19敗 0分 優勝; 2 準優勝; 1 ベスト4; 2 ベスト8; 1
7 向陽高(和歌山) 7回出場 19試合 14勝 5敗 0分 優勝; 2 準優勝; 1 ベスト4; 1
7 東海大相模高(神奈川) 10回出場 26試合 18勝 8敗 0分 優勝; 2 準優勝; 1 ベスト8; 2
7 駒大苫小牧高(北海道) 7回出場 20試合 14勝 5敗 1分 優勝; 2 準優勝; 1
7 横浜高(神奈川) 16回出場 47試合 33勝 14敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 3 ベスト8; 2
7 天理高(奈良) 27回出場 70試合 45勝 25敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 2 ベスト8; 6
7 帝京高(東京) 12回出場 40試合 30勝 10敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 2 ベスト8; 4
7 作新学院高(栃木) 12回出場 35試合 25勝 10敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 2 ベスト8; 1
7 高松商高(香川) 19回出場 39試合 22勝 17敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 1 ベスト8; 4
7 大体大浪商高(大阪) 13回出場 28試合 17勝 11敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 1 ベスト8; 2
7 小倉高(福岡) 10回出場 23試合 15勝 8敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 1 ベスト8; 1
7 日大三高(東京) 16回出場 37試合 23勝 14敗 0分 優勝; 2 ベスト8; 5
7 習志野高(千葉) 8回出場 25試合 19勝 6敗 0分 優勝; 2 ベスト8; 2

【勝利数ランキング】
1 中京大中京高(愛知) 27回出場 98試合 78勝 20敗 0分 優勝; 7 ベスト4; 6 ベスト8; 7
2 松山商高(愛媛) 26回出場 82試合 60勝 21敗 1分 優勝; 5 準優勝; 3 ベスト4; 4 ベスト8; 6
3 龍谷大平安高(京都) 33回出場 89試合 59勝 30敗 0分 優勝; 3 準優勝; 4 ベスト4; 1 ベスト8; 9
4 PL学園高(大阪) 17回出場 61試合 48勝 13敗 0分 優勝; 4 準優勝; 3 ベスト8; 2
5 天理高(奈良) 27回出場 70試合 45勝 25敗 0分 優勝; 2 ベスト4; 2 ベスト8; 6
6 広島商高(広島) 22回出場 58試合 43勝 15敗 0分 優勝; 6 準優勝; 1 ベスト4; 1 ベスト8; 2
6 早稲田実高(東京) 29回出場 72試合 43勝 28敗 1分 優勝; 1 準優勝; 2 ベスト4; 3 ベスト8; 9
8 県岐阜商高(岐阜) 28回出場 66試合 39勝 27敗 0分 優勝; 1 準優勝; 3 ベスト4; 3 ベスト8; 4
9 高知商高(高知) 22回出場 58試合 36勝 22敗 0分 準優勝; 1 ベスト4; 3 ベスト8; 6
10 智弁和歌山高(和歌山) 21回出場 54試合 35勝 19敗 0分 優勝; 2 準優勝; 1 ベスト4; 2 ベスト8; 1

【選手権大会の記憶】
私の時代にとっての甲子園というと、早稲田実業高の荒木大輔さん、池田高の水野雄仁さん、名古屋電気高(現; 愛知工業大学名電高)の工藤公康さん、横浜高の愛甲猛さん、浪商高(現; 大体大浪商高)の牛島和彦さんらのほぼ同年代の方にはライバル心がありました。

ただ、夏の記憶というと、何と言っても1992年8月16日に阪神甲子園球場で行われた第74回全国高等学校野球選手権大会二回戦の高知・明徳義塾高 vs. 石川・星稜高でしょう。この試合で高校野球史前代未聞の5打席連続敬遠がありました。

明徳義塾高が、星稜高の四番打者・松井秀喜さんを5打席連続して敬遠する作戦を敢行し、この試合で松井さんが一度もバットを振ることないまま星稜高が敗退した試合です。試合中から球場内は騒然となり、試合後も騒ぎは収まらずにマスコミなどでも取りあげられる事件となりました。松井さんは当時星稜高で大活躍をしていた選手でした。この大会において注目選手として群を抜いており、阪神甲子園球場のラッキーゾーンが撤去されて最初の大会となった第64回選抜高等学校野球大会でも、初戦の宮古高戦で2打席連続ホームラン、二回戦の堀越高戦でも2試合連続ホームランを記録していました。また、高校通算60号ホームランという記録達成も目の前に迫っていたこともあり、秋のドラフト会議の有力候補の一人でした。まさに怪物「ゴジラ」です。ちなみに、中学生の時はバッティングで軟式の球を割ってしまっていたそうです。

1打席目 一回 星稜 0-0 明徳 2アウトランナー三塁 / ストライクゾーンから大きく外れるボール球を4球投げてフォアボール
2打席目 三回 星稜 0-2 明徳 1アウトランナー二・三塁 / ストライクゾーンから大きく外れるボール球を4球投げてフォアボール
3打席目 五回 星稜 1-3 明徳 1アウトランナー一塁 / ストライクゾーンから大きく外れるボール球を4球投げてフォアボール
4打席目 七回 星稜 2-3 明徳 2アウトランナーなし / ストライクゾーンから大きく外れるボール球を4球投げてフォアボール
5打席目 九回 星稜 2-3 明徳 2アウトランナー三塁 / ストライクゾーンから大きく外れるボール球を4球投げてフォアボール

試合後、明徳義塾高・馬淵史郎監督は「正々堂々と戦って潔く散るというのもひとつの選択だったかもしれないが、県代表として、ひとつでも多く甲子園で勝たせたいと思った」とコメントしています。星稜高・山下智茂監督は「甲子園で男と男の勝負をしてほしかった。残念です」とだけ述べました。

当の松井さんは、試合後インタビューで「正直いって野球らしくない。でも歩かすのも作戦。自分がどうこう言えない」というコメントに留めていました。

なお、星稜高の五番バッターは敬遠後に奮起して打席に立ったものの5打席0安打(スクイズの1点のみ)だったため、甲子園から帰った後、地元では後ろ指をさされ、自宅には敬遠の試合の感想を求める記者が殺到し、嫌がらせの投書が相次いで送られるなど精神的に堪えてしまい、進学が決まっていた大学の野球の練習に参加したものの、敬遠の試合のことで周囲にからかわれたりして、その後すぐに退学してしまいました。

退学後、野球から離れていましたが、軟式野球という形で再開し、少しずつあの試合について振り返ることが出来るようになり、軟式野球では逆に敬遠されることもあり、敬遠後に次のバッターにアドバイスを出来るようにもなったそうです。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
球場と野球場の違いを真剣に考えたことはありません。(。-`ω´-)キッパリ。

あの試合は、松井さんの試合ではあっても、自分の意思でコントロールできないものでしたから、もどかしかったに違いないです。

しかし、17歳とは思えないような、落ち着いた大人の対応で、一気に日本中の野球ファンを引き付けたと思います。
ですから、チームを越えて野球人としてその後も、愛され続けたのでしょうね。

記録や成績だけではないのも、魅力の一つですよね。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

はぃ!確かに3球場の持ち回りで行っています。
因みに野球場と球場って違いがあるのでしょうか?
阪神甲子園球場・・アメフトの甲子園ボウルもやるから球場?

松井さんの5打席連続敬遠は衝撃でしたね!
その後色々物議も醸し社会問題になりましたね。
明徳のピッチャーとは後で対談とかありましたけど確かに5番バッターのことにはあまり触れられなかった記憶があります。其方もきつかったでしょう!

多くの名選手が夏にも登場していますが光景が思い出されるのはそう多くありません。
松井さんは確かに甲子園に上陸した『ゴジラ』でした!
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