一門とは氏族あるいは家系を同じくする同族あるいは同族集団のことです。
源氏、平氏、藤原氏など氏族を同じくする血族集団とそれらの構成員を指したのが、事の始まりです。源氏一門、平家一門という呼称です。ちなみに鎌倉幕府を開いた源頼朝は源氏一門に対し、御家人たる武家の源姓使用を制限し、一門の中でも功績があり、また信頼のおけるものにのみ、御門葉の格式を与え、御門葉に限って源姓を公称することを許したそうです。
ちなみに、近年では主に武道や芸道において用いられる概念として使われており、親族関係を表す概念としては一般的ではなくなりました。
大相撲では相撲部屋の系統ごとに一門という人脈的派閥が存在します。
戦前まで、大相撲は年間2場所であり、当時は月給制が存在せず、力士や親方の経済基盤の多くは祝儀と巡業により成り立っていました。その巡業は一門を単位として行われるのが一般的でした。また、本場所では優勝決定戦等を除き一門系統別総当たり制であり、一門内の対戦を禁じていた時代でした。一門を超えて力士が交流するということもありませんでした。その後、1965年1月場所から部屋別総当たり制に改正されています。
それでも、現在でも日本相撲協会の人事、とりわけ理事の選出は一門の枠組みで決定されています。また一部の年寄株や行司の名跡にも襲名制限があります。協会からは毎年、各一門へ助成金が支給され、さらに一門の責任者が所属する各部屋に分配しており、一門に所属していない部屋には助成金は支給されません。
よって、ここでも数の原理が適用され、多くの部屋を抱えている一門の総帥は協会内の理事選出や助成金の支給には優位と言えると思います。また、ある一門に所属していた親方が、別の一門に所属を変更して部屋を開いた場合は外様の扱いになり、出羽海一門を破門された高砂一門の九重部屋が該当します。
現在、相撲界には全部で6つの一門があります。
<出羽海一門>
出羽海一門は、規則や規律に厳しい保守派の一門。日本相撲協会の理事長のほとんどが出羽海一門の出身であるなど、相撲界随一の名門として知られています。
出羽海部屋、春日野部屋、山響部屋、玉ノ井部屋、入間川部屋、式秀部屋、境川部屋、尾上部屋、藤島部屋、木瀬部屋、武蔵川部屋の11相撲部屋によって構成されています。各一門の中でも最大勢力です。
<二所ノ関一門>
二所ノ関一門は、撲界の中では新興勢力とされていて、1960年代から拡大していった一門です。
分家や独立を推奨してきた一門なので結束は弱いですが、一門の勢力としては相撲界の2番手となっています。
二所ノ関一門は、佐渡ヶ嶽部屋、片男波部屋、峰崎部屋、田子ノ浦部屋、尾車部屋、二所ノ関部屋、芝田山部屋、高田川部屋、鳴門部屋の9相撲部屋で構成されています。
<時津風一門>
時津風一門は、1940年代に活躍した横綱・双葉山が独立して打ち立てた一門。
二所ノ関一門と同様一門の歴史は浅いですが、相撲界の3番手に位置する名門です。
時津風一門は、時津風部屋、鏡山部屋、井筒部屋、伊勢ノ海部屋、陸奥部屋、荒汐部屋、追手風部屋、中川部屋の8相撲部屋が所属しています。
<高砂一門>
高砂一門は相撲界で最も歴史の古い一門で、その発祥は明治時代まで遡ります。
かつては主流派でしたが、出羽海一門の台頭によって反主流派へと回ることになりました。
高砂一門は、高砂部屋、東関部屋、九重部屋、八角部屋、錦戸部屋の5つの相撲部屋によって構成されています。
<伊勢ヶ濱一門>
伊勢ヶ濱一門は、もともと異なる一門や他の一門から独立した相撲部屋が集まってできた一門。
一門内の相撲部屋の閉鎖や独立によって、一門の名称も度々変わっています。
伊勢ヶ濱一門は、伊勢ヶ濱部屋、友綱部屋、宮城野部屋、浅香山部屋、朝日山部屋の5相撲部屋によって構成されています。
<貴乃花一門>
貴乃花一門は、二所ノ関一門を脱退した貴乃花部屋の貴乃花親方を中心とする一門。
相撲界の改革を訴え、2014年に始動した最新の一門です。
貴乃花一門は、大嶽部屋、貴乃花部屋、阿武松部屋、立浪部屋、千賀ノ浦部屋の5相撲部屋が所属しています。
なお、先日、湊親方、錣山親方と立田川親方3人が所属していた時津風一門を離脱し、無所属になりました。
ちなみに、先日、この相撲の一門を自民党の派閥に例えたら解りやすいということをTVで言っていました。
でも、元々の一門が血縁関係の結束から始まり、相撲の一門が師弟関係の結束であり、自民党(政治の世界)の派閥一門はお金での結束による非常に危うい物であることを忘れてはいけません。
なお、その昔、銭形平次が投げていたのは寛永通寶四文銭です。一文銭ではありません。
(パチモン、ポケモン、水戸黄門のようなオヤジギャグは本日は受け付けておりませんので…あと、一文字隼人も)