【ネクラのイメージ、いわれなき偏見は、捨て去るべし】
囲碁は、頭の良い人がやるものだから
私などにはできない、あるいは、やらない
というヒトがいるが、それは少々違う
理詰めの部分はあるが、感覚的なゲームである
囲碁は、所詮は勝負事なのだから
趣味としてはよろしくない
というヒトがいるが、かなり違う
〝盤上で決着がつく〟から良いのである
一度、碁盤を囲んだら
あれこれ話さずとも
すっと親しくなれる
これがまた不思議なことだ
しかも、勝負を争うから真剣になり
ふたりが最善の進行を目指し
美しい棋譜を描こうとすれば
ココロが通うのである
碁の別名が「手談」
といわれる所以である
遊びに違いないが
だだのゲームというには
懐が広く、余禄に満ちている
人間はその性質が
交際好き・交際上手であれ
孤独癖の持ち主であれ
突き詰めると、濃淡あれど
ひとりでは生きてはいけない
学校や職場でのイジメで
最悪の行為は「無視」であるが
碁は返答(着手か着手放棄か投了か)
しなければならない、と決まっている
これが人間関係を育むのである
チマチマやっているようにみえて
実は、美しく正しく打つことに
心を砕けば、清しい時が手に入る
碁を愉しむということはすなわち
親しきこと、仲良きことにつながる
時の過ごし方としては上等であろう
勝負にこだわり過ぎれば
碁の肝心を失うことにもなる
これは悲しいことだ
愉快に打ち、愉快に帰宅できれば
アマの特権を満喫できたと言えよう
このごろ、
こんな風に思えてきたのは
碁も人間も少しは熟してきた?
からかもしれない
▲日海は、のちの初代本因坊算砂。利賢は好敵手のひとり
信長のお声がかりで京都・本能寺で対局した際に
コウが3カ所で出来るという極めて珍しい局面が現れた
その後、ふたりが辞した後で、有名な歴史的事件が起きる
三コウは、不吉な兆候といわれるようになった
コウの取り合いが際限なく繰り返されるため
現行ルールでは「無勝負」と規定されている
相撲でいえば〝同体とみて取り直し〟である