黒8と頑張るのではなく、ここは放置してAと抱えるのが簡明(藤沢評)
白17コウトル 白19ツグ
黒18・20の消極策により、白に一本取られる
「初コウにコウなし」
上辺の非効率的な地と
左辺の効率的な地の比較で、白の大勝
241手完、白14目勝ち
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今回から
置き碁・置かせ碁に
いくつかの角度から光をあてます
【白番の作戦 ~ 4子局を自在に打ち回し、棋聖が快勝する の巻】
■名誉棋聖・藤沢秀行の著書の譜面より ~
実力十三段の無敵・本因坊道策(1645~1702年)に
4子置いて琉球碁士が挑戦した国際試合。
当時、独立王国だった琉球に向けた
朝貢使の随員として碁士が加えられていた。
ゴリゴリとした戦闘的棋風の相手に対し、
道策は序盤からトビツケを多用した華麗な離れ業から
終盤にはカウンターパンチを浴びせて圧倒し
ヨセ切って大差――。
道策は「手割り」という新理論を持ち込み
手筋と大局観を駆使する近現代碁の基礎を築いた。
実戦で鍛えただけの力碁では歯が立つはずもなかった。
◇
本因坊道策は強すぎた。
時代を超越していた。
他の家元(安井、林、井上)で対抗できる人材はいなかった。
名人碁所を申し立てた際、異論の余地は全くなかった。
手合い割が厳格だったこの時代、名人はつねに白を持つのだが、
道策が「生涯の一局」に挙げたのは「安井春知との2子局」。
1683(天和3)年11月19日の御城碁でのハンディ戦である。
道策は春知を翻弄しながらも1目負けたが、世評は白の名局。
置き石なしで打てる相手が一人もいなかった当時、
後にも先にもない名人に2子局1目勝ちは、
「コミ5目」が暗黙の了解だったのだから
勝負に勝っても内容で負けているとされた。
この棋譜を眺め、並べて思うに
ライバルに恵まれなかった孤高の碁打ちというものは
本当に仕合せだったろうかーー
ということである。
藤沢が説く「置き碁における白の精神」とは
一、形を決めない
一、守り三分
一、フリカワリ自在
一、コウで攪乱
一、リズムで崩す
一、勝負を急がない
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