【「押し売り」やら、「物もらい」やら
~ ふと、昭和の日常を想い出した……
~ ココロの中でバッサリ斬ってつかわそう
鬼平や中村主水のやうに の巻】
昭和の中頃に子供だったわたし。
地方官吏(といっても教員だが)の家庭だったので
貧乏というほどではないにしても
金持ちとは縁遠い つつましい暮らしだった。
地域社会で親は信用だけはあったようで
それをいいことに子供のくせに
漫画雑誌(少年マガジンか少年サンデーか)を
こともあろうにツケで買ってきて
お袋にしこたま叱られたことがある。
忘れられぬ半世紀以上前のほろ苦い記憶ーー。
小さな官舎の玄関先には
いろんな人がやってきた。
押し売り、物もらい、そして酔っ払い――。
PTAの酔いどれ役員以外は見知らぬヒト。
厚かましいというか、人と人との距離が近いというか。
いま考えると、そういう時代だったのか。
ついさきごろ在宅勤務の忙しいときに
契約しているとおぼしき通信業者の若い男が
インタホンを押して、なにやら難しいことを
あれこれ言ってきて――。
ふと、昔読んだ随筆を思い出し、書庫を漁った。
古い本をバラパラとめくってみた。
昔は日常にそんなことがよくあったようだが
いま我が家は「飛び込み営業お断り」のプレートを
門扉の柱に貼っているのが奏功してか、
頼みもせぬのにやってくる者はほぼない。
世の中、随分と変わったものである。
◇
尾崎一雄「冬眠居閑談」(新潮社、1969年)より抜粋
(赤文字は、読みやすいよう、わたしが施した)
私の地方では、都会と違って、
押し売りや物もらいも、余り悪質なのは見かけない。
従って、彼らをひどく冷たい目でみないようだ。
物もらいは大抵の家で何かにありついているようである。
先日、私一人で居るところへ、
ベルが鳴ったので出てみると、
みすぼらしい服装の若い元気そうな男が、
「今日は、好いお天気ですね」と言う。
「好い天気ですね。--あなたは?」
「はァ、おもらいさんです。お願いします」
「おもらいさんか。しかし、
自分でおもらいさんというのは、おかしいね」
「おかしいでしょうか」
「おかしいよ。自分に敬語をつけるなんて」
「はァ、そうですか。ああ判りました。
これから気をつけます」とまじめに答えた。
十円玉一つやったら、
「ありがとうございました」と言って
元気よく出ていったが、身体は丈夫でも、
頭は少しどうかしているらしく見えた。
またある日、ベルがなって、
高校3年の次女が出ていった。
「いらっしゃいまし」
「……………」
「あの、どちらさまでしょうか?」
「ぼ、ぼく中島です」
「あの、ご用件は?」
「ええッと、鉛筆を買って頂きたいと思って――」
「はァ?」
「こ、この鉛筆を――」
そこへ私が出て行って、
差し出した鉛筆二、三本買ってやった。
次女から尋常にあいさつされて、
うっかり名前を名乗ったトンマな押し売り青年は
頭をかきかき出ていった。
「なんだ、押し売りだったのか。失礼しちゃう!」
と次女はふくれた。
家人や娘だと つけあがり気味な奴は、
私が出て行って、追っ払ってしまう。
騒ぎを起こすほど悪質なのには
未だ出会っていない。
▼こうしてみると、「押し売り」「物もらい」と同根である、かも知れない
しかも国会答弁のデタラメ、ウソ合戦となったのはいつの頃からか
カネには困らずとも、ココロが貧困なのであろう
▼まれに「次の選挙、お願いします」といいたげな顔つきの人物が訪ねてくる
わたしは玄関先に護身用の木刀を置いているが、つかったためしはない
▼これが政権党の知性水準とは、トホホのトである