囲碁漂流の記

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ヴォルテールの趣味論

2021年09月12日 | 雑観の森/心・幸福・人生

 

 

【全ては無常

 ~ 「後戻りできる」との幻想から脱却せよ の巻】

 

 

フランスでは、一時、国の要人らが

文芸の修養に励んだ時代があった。

とくに、宮廷の貴族は熱心で、

この国で何よりも大事なこと

とされている放蕩や、

無意味な趣味や、

陰謀への情熱は、

すべてそっちのけにして、

これに加わった。

 

今日のフランスでは、私が思うに、

宮廷の貴族は文芸を尊重する趣味とは

まったく異なる趣味に熱中しているようである。

おそらく、もう少し時間がたてば、

少しはものを考える風潮も戻ってこよう。

国王はただ望むだけでよい。

この国民は王の望みどおりのものになる。

 

イギリスでは、

ひとはものを考えるのが普通である。

そして、文芸を尊重する点でも

イギリスはフランスよりまさる。

こうした長所は、

イギリスの政治形態の必然的な結果である。

 

ロンドンには、議会で演説をして

国民の利益を擁護する権利を持つ者が

およそ八百人いる。

そういう名誉を今度は自分に、

と主張する者は

およそ五千ないし六千人いる。

 

その他の国民はみんな、

こうした者たちを審判するのが

自分の役目だと思っている。

また、国民は誰でも、

公的な問題について

自分の考えを印刷して

発表することができる。

 

従って国民は全員、

どうしても識見を高める必要がある。

政治について、どこでも話題にされるのは

古代のアテネやローマのことばかりなので、

それを論じた著者の本をひとは

いやおうなしに読まざるを得ない。

この勉強が、ごく自然に文学につながっていく。


(「哲学書簡」第20信 文才を修養する貴族について)

 

 

   *  *  *

 


この文章は18世紀半ばに書かれた。

当時のフランス語は「第一の国際語」であり

20世紀になって英語にその座を奪われるまで

英語は海の向こうのマイナーな外国語だった。

フランス人はイギリスを見下していた。

 

この頃から、

フランスで「英国趣味」が大流行する。

「哲学書簡」はそのきっかけの一つ

であったのは言うまでもない。

 

平民出身のヴォルテールは

権力風刺の詩により

牢獄(バスティーユ)に入れられる。

貴族とのトラブルから2度目の投獄のあと

イギリスへの亡命が認められた。

権力側からすると「厄介払い」である。

 

32歳から2年半のイギリス滞在により

新しい世界と人々との出会いが

思想家の観察眼と発想力を磨き

それが「哲学書簡」として

一つの到達点となったのである。

 

人間長く生きていると、

経験したことへの愛着から

<因習を美化してしまう>

との愚に陥りがちである。

 

新型ウイルス禍が

「あと、いつまで続くのか?」

「早く元の生活に戻りたい」

などと口にするのは

果たしてどうなのだろうか。

 

世界はどんどんと先にゆき、

もう後戻りなどできない、

と思うべきではあるまいか。

 

「新聞は歴史の秒針である」と語ったのは

20世紀最大の哲学者ハイデガーである。

秒針の小さな動きが積み重なって

歴史が作られてゆくことを思うと

部分にこだわって大局を見失うという

のが凡人の凡人たるゆえん

と思えてならないのである。

 

 

 

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