囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

国破れて山河あり

2021年01月03日 | 雑観の森/芸術・スポーツ

 


文壇本因坊の著書を孫引きとして その16 の巻】

 


ヒロシマに原爆が落とされた時、

郊外で本因坊戦挑戦手合第2局が打たれていた。

おおまかには、こんなことのようである。

 

挑戦者の岩本薫七段が前日までの碁を並べようとした朝のこと、

広島市内の空に異様なものが光り、入道雲がキノコの如く膨れた。

数秒後、爆風が襲い、窓ガラスは全部割れ、壁も落ちた。

だがカーテンのお陰で、幸い誰もケガはなかった。

碁は終盤でヨセだけになっていたので

部屋を片付け、最後まで打った。

橋本宇太郎本因坊の五目勝ちだった。

 

「いきなりピカッと光った。

それから間もなくドカンと地を震わすような音がした。

聞いたこともない凄みのある音だった。

同時に爆風が来て、窓ガラスが粉々になった。(中略)

ひどい爆風で私は碁盤の上にうつ伏してしまった」

(岩本薫の回顧録)

 

当時、棋士は兵隊にとられたり、疎開したりしていた。

日本棋院の建物は焼失し、大手合は中止するしかなかったが、

棋界最高行事の本因坊戦挑戦手合だけは、地方に移しても続けた。

どんな嵐でも法燈を絶やすまい、という悲壮な意気。

安全と思われていた広島市内だが、空爆が激しくなり

市内で行われた第1局に続き、第2局を開催するにあたり、

数キロ離れた石炭統制会社の事務所を借りることが出来た。

対局場を郊外に移したことにより、結果として

遠い爆風を受けるだけで済んだのである。

 

これが有名な「原爆下の死闘」の局である。

その頃、文士に「文学報国会」ができたように

棋士にも「棋道報国会」が作られた。

八段から二段までが錬成会に出て

軍人の講演を聞いたり、

勤労作業をしたり、

ミソギをしたりした。

物書きや碁打ちにミソギをさせて風邪をひかせ、

それがどう戦力増強に、戦意高揚につながったのか。

しかし平場で口に出来るような雰囲気ではなかった。

 

用紙不足から新聞の枚数も減り、

新聞掲載用の対局もなくなっていった。

碁もまた「太平の逸民のわざ」である。

国が乱れては手も足も出ない。

とどめを刺すように、

赤坂溜池の棋院建物が大空襲で全て焼け落ち

碁盤・碁石、蔵書、記録が洗いざらい燃えた。

そこで第三期本因坊戦を広島で打つことになったのだ。

すべては流れのなか、運命的であり、夢のようであった。

「ヒロシマ開催」に奔走した地元名士たちも無傷では済まない。

日本棋院広島支部長と家族は死に、

地方行政の長はケガだけで助かった、

と記録に残っている。

 

         ◇

 

緊急事態であるか

緊急事態ではないか

勝負しない勝負の時

判断できず

決断できず

時は過ぎ

逡巡続く

誰も責任を取りたくない

2020衆院選の年明けなら

疫病退治より出馬準備か

ゆれる烏合の衆の心根悲し

 

 



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