囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

君死にたまうことなかれ

2020年12月10日 | 雑観の森/芸術・スポーツ

 

文壇本因坊の著書を孫引きとして その4 の巻】

 


1904(明治37)年9月、時は日露戦争の頃。

与謝野晶子が旅順包囲軍の中の弟を案じ

雑誌「明星」に発表した詩の題名である。

 親はやいばをにぎらせて、

 人を殺せと教えしや、

 人を殺して死ねよとて、

 二十四までをそだてしや

詩の文言・内容は痛烈そのものである。

さらに、

 旅順の城が落ちようと落ちまいと、

 商家に生まれた君とは何の関係もないことだ

と、言いにくいことを、はっきりと言っている。

 

この反戦詩が問題になったのは言うまでもない。

大町桂月などは

「皇室中心主義の眼を以て、

晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、

国家の刑罰を加ふべき罪人なりと

絶叫せざるを得ざるものなり」

と「太陽」誌上で非難した。

これに対し晶子は「明星」誌で

「歌はまことの心を歌うもの」

と堂々と反論している。

 

現在、桂月の評価が低いのは、

当時には「常識的」「多数派」だった発言が、

後年は国粋主義的と見られるためであった。

しかし、桂月は元々、晶子の才能を認め、親交も深かった。

第二、第三の桂月のような私設ケーサツは増えてゆく。

そんな危うい土壌が、この国全体を覆うのである。


しかし、そうはいっても

明治政府の頃は、同じ言論統制といっても

まだのんびりしていて、大きかった、のではないか。

誌上論争を垣間見るに、言論の自由度があった。

文化・学術への弾圧も本格化していなかった。

「自由」や「民主」が失われるのは時間の問題で

銃声を合図に坂道を転げるようにであった。

 

さらに陰湿にして強権になるのは、

もっともっと後のことである。

妖怪だの鬼だのが漆黒の闇にうごめく

そんな妖気を感じる昨今ではあるまいか。

 

 

         ◇

 

 

同じ戦いでも、盤面には国家もなければ軍閥もない。

どんなに大暴れしても、血が飛び交うわけでもない。

といっても、ただ指の運動よろしくポンポン打っては

工夫も、趣向も、上達も、へったくれもない。

少しは集中し慎重に打って、相手に痛打を与えてはどうか。

趣味の世界の戦争は すなわち平和と同義なのである。

 

 

 



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