囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

縁を切るか、座を降りるか

2021年02月23日 | 雑観の森/政治・経済・社会

 

老いた聖人の悲しみ ~ しかし、決断は峻厳であった の巻】

 

 


又、慈信房の、ほうもんのよう、みょうもくをだにもきかず

しらぬことを、慈信一人に、よる親鸞が、おしえたるなりと

人に慈信房もうされてそうろうとて

これにも、常陸下野の人々はみな

しんらんが、そらごとをもうしたるよしを

もうしあわれてそうらえば

今は父子のぎは、あるべからずそうろう


 (高田・顕智房が書写した「義絶状」より)

 


 善鸞が、この親鸞が言うたこともないことを

 夜中に善鸞だけに教えた と言いふらし

 関東の同朋たちを惑乱させている

 そんなことでは 親と子の縁を斬るより外はない

 

 


        ◇

 

 

余のひとびとを縁として

念仏をひろめんとはからいあわせたまうこと

ゆめゆめあるべからずそうろう。(中略)

これよりは、余の人を強縁として

念仏ひろめよともうすこと

ゆめゆめもうしたることそうらわず

 (御消息第7通より)

 

 権力者の力を借りて仏法を広めよなどとは

 決して考えてはならない

 

 

 

親鸞(しんらん) 鎌倉時代前中期に生きた浄土真宗の宗祖。法然を師と仰ぎ、独自の寺院を持たず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化。既成の仏教教団や浄土宗他派から疎まれて攻撃を受け、長く流罪にあった。

 

 


      ✕   ✕   ✕

 

 

齢八十四の老聖人が親子断絶せねばならなかった。

息子には、よほど許せぬ言動があったことは

想像に難くない。

 

さて、

これは許しがたいことなのか。

あくまで関係なしと言い逃れるか。

今、取るべき対応とは何かを考える時

二つに一つしかないのではあるまいか。

 

 

 



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1 コメント

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Unknown (dandelion-0120)
2021-02-23 03:30:10
うなりました。
これなら、TVみる。
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