koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

旧小田郡紀行-其乃壱「穀倉をゆく・・・」

2015年08月12日 22時15分52秒 | 旅行,および「鉄」

久々に東北道を北上。
・・・と言っても,家から5分の仙台宮城ICから2区間だけ乗って,大和ICで降りたのだが・・・。
途中,青葉区と泉区の境で豪雨に遭う。
数100m手前で,前線が通過して雨を降らせているのが見えた・・・。
ワイパーを最高速にしても,辛うじて前走車の尾灯が確認できる程度だったので,さすがに危険を感じて泉PA(ETC専用ICのところ)に非難。
二輪が続々と入ってきた。


10分程待ってリスタート。
避難の甲斐あって,前線は東に去り,雨はほぼ上がった。
大和ICで高速を降り,そのまま吉岡街道を東進する。
目的地は遠田郡涌谷町。
今まで通過はしたものの,下車して見たことは一切無いほぼ未知の地だ。
目的は2つ。
仕事絡みのフィールドワークと,天平ろまん館の学芸員に会って,仕事を依頼することだ。周知の通り,涌谷は古代の産金地として知られ,奈良の大仏の金が涌谷産であることは極めて有名である。
現地の者に頼んでも良い仕事ではあったのだが,責任者として一度も天平ろまん館や小金山神社を見たことがないというのも問題なので,ぜひこの目で・・・と思い立った。
だから,どうでも良いけど,今回は全くの奉仕である。


大郷の道の駅で土産の野菜を買い(トマト,茄子,胡瓜で320円),R346を鹿島台へ向かう。

周囲は一面の田んぼだ。
先週までの暑さのせいか,今年は稲穂の実りが良いのだろう。
既に黄金色に輝く田園風景が,遠く県境の船形連峰まで続く。
宮城県が全国有数の穀倉地帯であり,米の生産量で全国トップクラスなのも,この美田を見れば頷ける。
勿論,それは以前からそうであった訳ではなく,吉田川,鳴瀬川,江合川,迫川,そして北上川に挟まれた低湿地であった仙台平野北部は,古来幾度となく大きな洪水に悩まされてきた。
そして,それらの流れを変えるという大土木工事が藩政時代より幾度と為された。
近代では,品井沼の干拓に尽力した鹿島台の村長鎌田三之助の業績がよく知られている。
草鞋村長と呼ばれた三之助の銅像は,鹿島台の中心部に道路に面して立っていた。


鹿島台の中心部を抜けR346(通称佐沼街道)を北上して鳴瀬川を渡ったところが,旧南郷町である。
今は,南郷高校(かつては南郷農業)が辛うじてその名を留める。
平成の大合併により,県内北部は多くの市町村名が消滅したが,私に言わせるととんでもないことである。
地名の起源は,おそらく大和朝廷の時代に遡るだろうし(部,曲部とか),全国を五畿七道に分けて国名が付いたのは律令政権の時代だ。
つまり,地名とは1400年以上の歴史を有する文化遺産に匹敵する大事なものである筈だし,地形や氏姓等を伝承する往事を知る手掛かりともなる。
それを安直にも変えてしまうなどということが有って良いのだろうか・・・。
例えば,涌谷町に入る手前は美里町だが,これなど単なる語呂であり根拠のある地名ではない。
小牛田町と田尻町で何が悪いのか,行政上の理由など私には到底理解できん。
同様のことが,全国各地で行われているのが,実に堪えられない。
静岡県伊豆市と伊豆の国市だと・・・??
田方郡天城湯ヶ島町の方が,余程川端康成や井上靖の文学が香るではないか・・・。
山梨県南アルプス市だ?
愛知県に出来かけたという南セントレア市はぽしゃったのだろうか・・・。
とんでもない愚挙としか思われない。
勿論,上記のように私には理解の出来ない行政上の理由は大きいのだろう。
しかし,大多数の国民・市民がこれらに対して無関心であることの方が問題ではないだろうか・・・。
何の根拠もない地名を新しく付けて平気なのだから,信じられない。
その土地の方には申し訳ないが,山形県南陽市(赤湯で駄目なのか),東京都武蔵野市(吉祥寺の方が余程由緒がある)なんて地名は,必然性が何も無いとしか思われない(後者の場合は,武蔵野特有の雑木林が諸所に見られるから・・・という理由付けもあるかもしれないが・・・)


そんなことを憤りながら,出来川という小さな川を渡ると,涌谷の街に入る。
県内の未乗路線の1つである石巻線(小牛田-前谷地,石巻-女川間のみ乗車)の踏切を越えると,西側に涌谷駅の跨線橋が見えた。
如何にも良い意味での地方都市然とした駅を中心とする商店街を通り,江合川を渡るとかつて見た記憶のある城郭風の建物が目に入る。
涌谷城跡だが,鉄筋コンクリートの観光城だろう。
中は郷土館のようだが,帰途に寄ることにする。
涌谷城主について書き出すと,如何程の分量となるか全く見当が付かないので,次回に回そうと思うが,又してもほぼワープロ2ページを小一時間で書き殴ってしまった。
肝心要の天平ろまん館については,次回書けると良いのだが・・・。


ルドルフ・ケンペの忌日に10

2015年05月11日 23時11分53秒 | 音楽

1982年9月,NHK.FMからライブでオンエアされたその演奏は,聴いていた人々の度肝を抜いた。
曲目は,ブルックナーの交響曲第8番ホ短調(ノヴァーク版)。
演奏は,オイゲン・ヨッフム(1902-87)の指揮するバンベルク交響楽団。
南独のバイエルン州に属する地方都市のオーケストラで,正直言ってあまり期待してはいなかった。
ところが,この地方オケが,ブルックナー演奏の第一人者であった名匠ヨッフムの下,ものの見事な演奏を聴かせたのだった。
冒頭の神秘的な所謂「ブルックナー開始」に始まり,第一楽章終盤大詰めに全オーケストラが全奏で鳴り渡る中,金管による叩きつけるような「死の動機」が闇を劈く電光のように響き渡った時,これは只事ではない・・・と誰もが思った筈だ・・・。
そして続く古代チュートン人の祭りに霊感を得たとも聞く快速にして重厚なスケルツォと,清澄な響きが夏のアルプスの山塊を思わせるようなアダージョ楽章を経て,騎兵の行軍の如き勇壮なコラールが響き渡る終曲においても,オーケストラに疲労や疲弊は全く見られず,明るく大きく全曲が結ばれるコーダで最後のCdurの和音が鳴り響いたとき,久々に感動に打ち震える自分を抑えきることが出来なかった・・・。
この時の演奏は,コンパクトカセット2巻に納め,それこそ擦りきれるくらい聴いたのだが,今はCDで聴くことが出来る・・・。


WWIIの終結というかドイツの敗戦によって,ドイツの占領下にあった東欧諸国では「ドイツ人追放」が各地で起こった。
我が国も,北満や朝鮮半島,台湾,南方諸島から,多くの人々が必死の思いで本土へ帰還し,或いは私の伯父のように中途で帰らぬ人となった例も少なくなかったが,ドイツも亦,同様だったのだろう。
そうした中で,チェコから移ってきた人々が集まったことが,このバンベルク交響楽団の始まりで,終戦直後に発足したようだ。
その後,上記ヨッフムやカイルベルト,シュタインといったドイツ系の指揮者によって鍛えられ現在に至る。


ルドルフ・ケンペ(1910.6.14-76.5.11)。
ドレスデン近郊ニーダーボイリッツに生まれ,スイスのチューリッヒに没したドイツの名指揮者である。
毎年この日は,彼の残した演奏を偲び,代表的な演奏を紹介してきたのであるが,そのバンベルク交響楽団を指揮した演奏を採り上げてみたい。


ケンペは実は,レパートリーの広い指揮者であり,残された音源リストには,ショスタコーヴィチの第5交響曲や,コープランドの「エル・サロン・メヒコ」まで存在する。
勿論,彼のレパートリーがモーツァルト~ベートーヴェン~シューベルト~シューマン~ブルックナー及びブラームスへ連なる独墺音楽の本流にあったことは間違い無く,特にブラームスには2種の交響曲全集(50年代のベルリンpoと晩年のミュンヘンpo)が存在するほか,ロイヤルpoとの第4交響曲,そしてバンベルク交響楽団との第2交響曲が今もCDで聴くことが出来る筈だ。


推敲に推敲を重ね,20余年の構想の後に完成した第1交響曲(1868)が,重厚にして悲劇的なパッションを内包し,苦悩から勝利に至るのに対し,その翌年に南オーストリアの景勝地ペルチャッハで書かれたこの第2交響曲は,一気呵成に仕上げられた。
多分,ペルチャッハの明るい風光のせいであろうが,伸びやかで明朗な感性が充溢したブラームスには珍しい陽性の作品となっているのも大きな特徴である。
第一楽章冒頭の上降する低弦に導入されるホルンの響きから,既にどっぷりと中欧の風物に浸るようだ。
ケンペの指揮するバンベルク響の演奏は,その辺りから徐々に聴き手を響きの渦の中に巻き込んでいく。
澄み切ったバイエルンの青い空のように明るい弦楽の響きと,点在して咲く花のように明滅する木管の響きも美しい。
特別な仕掛けがある訳でも無ければ,驚くようなテンポの急変もない。
楽譜に忠実かつ正確。端正に演奏しているだけなのだが,この滲み出るような味わいの深さは何なのだろう・・・。
愁いに満ちた第2楽章の終盤を聴くと,ロマン派の作曲家にして厳しいまでの自己抑制を強いたにも関わらず,情感が溢れ出るという不徹底ぶりがブラームスの最大の魅力と思うが,そうした感性に一番ぴったり寄り添うのがこのような演奏なのではないか・・・と思う。
第3楽章冒頭のオーボエの艶やかな独奏は,この指揮者が元々はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席オーボエ奏者であったことを思わせるし,ブラームスの喜びが率直に再現された終曲の歓喜も,やや速めのテンポで十二分に再現される・・・。


以前も述べたが,この曲のCDの中では,ブルーノ・ワルター(独 1876-1962)が50年代前半にニューヨークフィルを指揮したCBS盤と,ピエール・モントゥ(仏 1875-1964)が最晩年にロンドン響と残したフィリップス盤が双璧と思ってきたが,ケンペによる2種のステレオ録音も,それに勝るとも劣らぬ名盤と思う。
繰り返し聴きたくなる飽きの来ない演奏とは,こういうものを言うのであろう。

全くの偶然であるが,近年このコンビによる同曲の映像がリリースされた。
それをこの場で見ることができるというのだから,凄い時代になったものである・・・。
70年代初期の映像だろうか。
VTR撮影で,思ったより鮮明であるが,音声がステレオではないのが残念・・・。
勿論,名匠の至芸を偲ぶには十分である・・・。


「ミステリーのオーラが,高度に洗練されてエレガントなルドルフ・ケンペを取り巻いている。彼の丈高いスリムな姿は,いつもすっくと立ったままである。ケンペは,没頭するのを好んだディオニソス的で華麗な技巧の要る楽節で,限度を超えようとする場合に於いてすら,規律正しいジェスチャーを保っていた。オーケストラは彼の明確なサインの言語を即座に了解し尽くした。この点にケンペが忽ちにして世界くまなく成功した要因がある。リハーサルで彼はほとんどしゃべらず,彼の名人芸的な棒さばきと,彼の長い表情ゆたかな両手によって,彼そのものを理解させた。」
                                                   (尾埜善司著「指揮者ケンペ」芸術現代社刊より)


Brahms - Symphony No 2 in D major, Op 73 - Kempe
 

 


若き日のこと・・・

2015年04月22日 22時10分02秒 | 音楽

ビゼー:「アルルの女」 第1組曲~No.2:メヌエット:前奏曲:クリュイタンス/パリ音楽院O
仕事の帰途,たまたま愛車のCDトレイに載せた音盤から流れてきた一曲。
弦楽合奏に始まる清冽なメヌエットだ・・・。
ラテンものに食指が動かない筈の私だが,突如これを聴いて若い頃に西新宿の東郷青児美術館で,有名なゴッホの「ひまわり」を見たときのことを思い出した。
あの時も脳裏にこの曲が明滅したものだった・・・。
未だに見たことのない南欧プロヴァンスの海と台地が想起され,その晩はワインを飲んだ筈だ・・・。
若き日への追想は,懐旧の念と焦燥が交錯する。
音楽というものは,その時代の風を纏っているものなのだろう・・・。
私が仕事帰りに聴いたのは,アバド指揮ロンドン交響楽団によるきりっと冴えた演奏だったが,これは名匠アンドレ・クリュイタンス(1908-67)が,今は亡きコンセルヴァトワールのオケを指揮した極めつけ・・・。
 


感謝のバトン5

2015年04月20日 21時52分00秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

いよいよ最終回です。
間一日置きましたが,何とか続けることができました。
最終回だからと言って,特別なことを書くわけではないですし,何か仕掛けがあるわけでもありませんが,平常心で淡々と綴っていきたいと思っております・・・。

⑬東北楽天ゴールデンイーグルスに感謝
73~78年という短い期間でしたが,東京球場を失ったロッテオリオンズが,仙台を準フランチャイズにしていた時代(否,それ以降も),何度か試合を見に行きましたし,自然にロッテのファンとなりました。
以来幾星霜,川崎~千葉とロッテが去った後,ようやく地元球団が出来たという夢のようなことを味わうことが出来ました。
一体何がどうなったのか,一昨年は球団創設9年目にして遂にリーグ優勝+CS突破+日本一・・・を味わうことができました。
強くても弱くても・・・否,負けが込む程,ファンで有り続けたいと思います。
願わくは,長期展望に立ってチームを強化するとともに,地域に密着したファンのための球団となって欲しいものです。
これからの季節の楽しみは,左翼席上段の「聖地」にて,目一杯声を張り上げて歌って応援をすることです。
そうした機会を得ることができたのも,おらほの球団があってこそです。
唯々感謝です・・・。

⑭知り合えた皆様に感謝
現在複数のSNSを掛け持ちしていますが,多くの方々と出会い,喜びや楽しさを共有してきました。
私のような者のところに来てくださる皆さんには,感謝以外の何もございません。
本当にありがとうございます。
私自身は誠に微力ながら,これからも皆さんと仲良くできるよう努力をしていきたいと思います。
どうぞ,宜しくお願いします。

⑮生きていることに感謝
未曾有の国難とも言うべき大震災より4年。
私がこうしていられるのは唯の偶然であり,沿岸部ではなく内陸部にいたから・・・ということになります。
なればこそ生きなくては・・・と,当時強く思いました。
多くの方々が犠牲になったあの大災害を経て,自分のやるべきことを全うすることこそ重要であり,今なお心の傷が消えぬ方々の為にも,自分のできる何らかのことを模索して行かなくてはなりません・・・。
そのためにも生きていることに感謝・・・否,生かされていることに感謝しなくてはなりません・・・。


・・・ということで,本家に投稿して,別のSNSにはリンクを貼りましたが,読んでくださった方に最後の感謝を送って,5日に渉った駄文の山を閉じたいと思います・・・。ありがとうございました。


感謝のバトン4

2015年04月19日 21時11分27秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

4日目。
ここまで来ると少し先が見えてきたかな・・・(と思いたい・・・)
さっそく書いてみませう・・・。


⑩文芸すべてに感謝
私に感銘を与えてくれた文学,音楽,映画,美術(これはそうでもないか・・・?)・・・といったものすべてに感謝したいです。
「信長の野望」や「実況パワフルベースボール」をプレイしてクリアしたとしても,感銘はありません。
所詮はゲームだからでしょう(勿論,それでも好きですが,そういうものを求めるものではないということでしょう)。
その点でも,文芸全般には人の心を動かす力があります。
本物だからに他なりません。
例えば,今まで心を揺さぶられたり,ガツンと頭を殴られたような衝撃を与えられた映画作品を挙げたら,枚挙に遑がありません・・・。
そうした作品は,やはり制作者の志が高いものばかりです。
感謝の言葉もありません・・・。

⑪愛車に感謝
5代目となる愛車に,丸9年間乗ってきましたが,故障もなく一応表面もてかてかのままです。
ま,たまに擦ったりしたこともありましたが・・・。
街乗りの四駆なので燃費は良くないですが,長距離クルージングでは一気にそれも解消。1時間運転すると飽きる私が,隣県から3時間のドライブで疲れを然程感じなかったのも愛車のおかげです。
9月の車検,どうするか迷いに迷っています・・・。

⑫野球に感謝
子どもの時から,するのも見るのも野球が一番・・・と思ってきました。
幾多の名勝負・名場面を見ることができたと共に,近年では地元球団を応援し,日本シリーズを観戦・・・という得難い体験もできました。
シューレス・ジョーが出て来る「フィールド・オブ・ドリームス」とか,ルー・ゲーリッグを扱った「打撃王」等,野球の映画が多いのは,やはりロマンをかき立てるスポーツだからであり,武道や格技の立ち会いにも似た絶妙の「間」があることが日本人に浸透した理由かと思います。
悪いけど,サッカーではそうはいきません・・・。


・・・ということで,極力悪い癖である大暴走しないように,極力シンプルに書いてきたつもりです(本当か?)。
これで4/5。
明日で終えることが出来るでしょうか・・・。


感謝のバトン3

2015年04月18日 22時53分44秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

3日目です。
中1日置いたけど無効・・・ってのもありなんでしょうか・・・。


⑦食べ物に感謝
以前も震災関連で描きましたが,幾ら米飯を食しても空腹感が無くならないことをあのとき知りましたし,如何に贅沢をしていたか,食糧が無い辛さを今まで知らなかったか・・・を痛感しました、
あのまま交通インフラが復旧せず,物流が回復しなかったら,最悪栄養失調や餓死も有り得る・・・という暗澹たる予感を忘れてはならないと思います・・・。
なればこそ,食べ物に感謝です。
出されたものは,文句を言わず全部食べる。
勿論何でも食べるし,食べられることに唯々感謝しか有りません・・・。

⑧仕事に感謝
はっきり言って薄給だし(泣),ストレスも少なくないけど,こうして20数年定職に就いていることに感謝しなくてはなりません。
若い頃は,幾らで仕事したいと思ったし,平気で9時10時まで残っていましたが,家族のある今は,何としても子どもの起きている時間に帰宅して,出来れば食事も・・・と思っています。
それも仕事が有ればこそ・・・です。

⑨IT全般に感謝
ここ20年で最大の生活の変化が,IT関連でしょうね。
PCに関して言えば,四半世紀前のMS-Dosの時代,初めてPCいじったときは,私の手に負える代物ではない・・・と思いましたが,Windiwsの出現は大きかったです・・・(Macでは,それ以前から同様のことが出来た訳ですけど・・・)。
個人的には,PCの無い生活は考えられません。
携帯有ればPCは不要・・・という人を見ますが,私からすれば絶対にそんなことは有り得ません・・・。
カメラが,銀塩からディジタルに移行したことも,私にとっては大きなエポックでした・・・。


・・・ということで3/5まで来ました。
いよいよ根多が尽きてきたかな・・・。


感謝のバトン2

2015年04月16日 21時18分24秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

1/5終了ということで,いよいよ第2弾です。


④この国に生まれたことに感謝
四季があり,水が綺麗で,山紫水明白砂青松。
世界に冠たる美しい国に生まれたことに感謝です。
自虐史観を教え込まれることもなく,周囲が反体制を唱えても,中韓に謝罪せよと言っても,結局耳を貸しませんでした。
勤勉で高潔な国民性を保持する国でもあるわけですから,これからも胸を張り,日本人であることに誇りを持って生きていきたいと思います。

⑤東北に生まれたことに感謝
何よりも海の幸が美味しいのが最高です。
肉を食べなくても良い・・・と言い切るくらい,魚好きになったのは,東北に生まれたからに他なりません。
体内に流れる猛き蝦夷の血に感謝です。

⑥アルコールに感謝
別に飲まなくても生きていくことができる訳ですけど,やはりあの美味しさを知らないのは不幸では・・・と,余計なことを思ってしまいます。
和洋中を問わず何でも好きですが,味わいも香りも最高なのは,やはり日本酒では・・・と思っています・・・。


よし,2日目完了。
明日は実家泊まりだから書けないでしょうけど,明後日気力が有れば続きを書きたいと思います。


感謝のバトン1

2015年04月15日 21時06分17秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

某SNSでお世話になっている方よりバトンをいただきました。
以前に比して,執筆意欲が著しく減退しているので,続くかどうか分かりませんが,これで数日は根多に困らないかも知れません・・・。
唯,ずぼらで怠惰な私のすることですから,3つの内容×5日間は続かないかも知れません。
その時は,やっぱりな・・・と,笑ってやってください・・・(笑)。
ま,日々の生活でも感謝することは多いのですが,果たしてどれぐらい書けることやら・・・。
ま,やってみましょう・・・。


①両親に感謝
 父は一昨年物故し,母も相当な老齢ですが,この世に生を与えて貰ったことに関しては,唯々感謝しかありません。
 生命の誕生は,神秘にして偶然であり神の領域と思いますが,その偶然に感謝しつつ,これからの人生を歩んでいきたいと思います・・・。

②祖父母に感謝
 私が生まれた当時は,初孫ということで,それはそれは大層な喜びようだったとのことでした。
 祖父母とも,私が高校に入った年に物故しましたが,今後も感謝の念を忘れては駄目だと思います・・・。

③家族に感謝
 家族が居るからこそ仕事で踏ん張る気にもなるし,早く切り上げて帰らなくては・・・とも毎日思います。
 家族有っての,家族に支えられての自分の生活であることを痛感させられます・・・。


・・・ということで,何か第一回目は月並みな内容となってしまいましたし,果たして5日も続けられるのか・・・という疑念は,一層大きくなりました。
明日書くことができるでしょうか・・・。


蚊が飛ぶ・・・

2015年03月30日 20時20分15秒 | 日々のこと,その他・画像等・・・

先々週金曜から目に異常を感じた。
丁度,午前中仕事を休んで,母を病院の内科外来に連れて行き,待合室でぐったりしていたときのことだ・・・。
目の前に,麦藁色の蚊が飛んだ。
ん・・・と思って払ったが,猶も飛ぶ。
目を閉じると,左目の奥に飛んでいるのが分かった。
そう言えば,弟が同じ症状だったことを思い出す。
緑内障かと思ったが,飛蚊症(ひぶんしょう)なる網膜の病気と分かった。
週明けの月曜夕方,1時間休みを取って眼科に行こうと予定したが,前述の通り,母の再入院騒ぎが起きてしまい,フイにしてしまった。
ようやく眼科に行ったのが木曜の夕方で,車で行ったので瞳孔を広げての精密検査は出来ないと言われ,日を改めて車を置いて来院するように言われた。
その時点で,左目の網膜に少し薄くなっている箇所があり,それが飛蚊症の原因になっているとも言われた。
そこで,本日車を置いて,約3kmちょい離れた眼科に精検に行ってきた。
その結果,少し眼圧が高い他,特に以上は無いので緑内障の視野の検査だけして,後はそのままでよいと言われた。
今も盛大に蚊が飛んでいるが,大丈夫だそうで,投薬も無かった。
今日1日車の運転は控えるように言われ,帰途は好天の下3kmちょいを歩くと,瞳孔が開いているせいか眩しくて仕方がなかったが,1時間程で緩和したので,午後は車を動かし仕事に行き,母を見舞ってもきた・・・。


休みを取っての遠出がフイになったことは,昨日SNS上で述べたが,眼までおかしくなってしまい,母の入院も重なって兎に角ろくなことがない。
せっかくなので明日も強引に休みを取って,憂さ晴らしに出掛けてこようと思う・・・。
因みに,一昨年夏に逝った父は,60代から緑内障を患い,点眼はしていたように見えたが,晩年は殆ど視力を失っていたようだ。
なので,後半生の楽しみのためにも眼だけは大事にしていかなくては・・・。


永遠の栄光の火・・・

2015年03月11日 21時12分02秒 | 時事問題,ニュース

4年目のこの日を迎える。
前日の3/10は,10万人が命を失った無差別爆撃の東京大空襲から70年目。
3/10といい3/11といい,3月のこの時期は鎮魂の時だ・・・。


あの日は金曜日だったので,夜に食料の買い出しに行こうと思っていたし,ガソリンも安くなってポイントも倍の週末に入れようと思っていたので,残量は僅かだった。
それがすべて暗転した。
暗闇の中,帰宅したときは水もガスも出たし,先の宮城県沖地震の時は,その晩のうちに電力も回復した。
なので何とかなるのでは・・・と思って,その日は体力温存と思って早く寝たのだが,翌日も電力は回復しなかったし,水もガスも止まっており,前日辛うじて使えた携帯も,UPSが時間と共に逝って圏外表示となっていた・・・。
自信の前日選択に風呂水を使った上に,水は出るから大丈夫と踏んで,風呂桶に給水・貯水しなかった迂闊さを悔やんだが後の祭りだった・・・。
それとしても,私なんか殆ど被災していないに等しいのであるが,あの時は,このまま物流が回復しなかったら,最悪栄養失調と餓死も有り得る・・・という暗澹たる思いがあった・・・。


それが4年を経て,完全に風化してきたことを感じる・・・。
私が不自由だったのは,せいぜい一ヶ月風呂に入ることが出来なかったことぐらいで,生活を根こそぎ奪われ,多くの痛ましい犠牲者を出した沿岸部の方々の辛苦に比べると,本当に微々たるものであはるのだが,あの時覚えた暗澹たる思いを忘れてはなるまい・・・。今後私に出来ることは,4年前のことを知らない世代に伝えていくことと,実に微力ではあるが,被災地を訪れて香華を手向けた後,少しでも消費に協力していくことだろう。
昨年は,石巻市の門脇地区と大川地区,女川町,南三陸町志津川地区,そして仙台市若林区荒浜地区を訪れたが,季節が良くなったら今年は亘理町や山元町,新地町や相馬市まで行ってみたいものだ・・・。


・・・ということで,鎮魂の一曲を貼る。
ショスタコーヴィチ(1906-75ソヴィエト)作曲,ノヴォロシースクの鐘(永遠の栄光の火:1960)。
ノヴォロシースクとは,件のクリミア半島東端の都市ケルチ(鉄か石炭を産出と中学で習った記憶が)から黒海を経たところに位置するロシアの都市で(ソチの北),ドイツ軍が攻め倦ねた要塞が有った。
本来は,独ソ戦の戦死者を悼む曲だが,鎮魂の気持ちを込めて・・・。
唯,演奏はテオドール・クチャル指揮ウクライナ交響楽団なので申し分がないが,何で画像がディズニーランドなのか不明だ。
もう1つの動画は,赤軍兵士の写真だったので,そちらよりは良いかと・・・。
冒頭のチェレスタの音型から始まる2分半ちょいの短い曲だが,副題に相応しい内容と思う・・・。
 


目出度くもなき日に・・・

2015年03月01日 21時11分13秒 | 音楽

今年もまた,この日が巡ってきた。
もはやこの年になると目出度くも何ともない日ではあるのだが,SNSに多くの方々からお祝いの言葉をいただき,唯々感謝の気持ちが湧く。
そうした意味でも,やはり幾つになっても大切にして特別な日なのだろう・・・。
SNSを始めて10年になるが,この日は各年毎にお気に入りの楽曲を紹介してきた。
ブログに動画や音声を貼り付けられるようになってからは,完全に恒例の行事となっている・・・。


かつての選曲を眺めてみると様々である。
その年の境遇とか心理・精神状態とかに大きく左右されているというのもあるし,自虐的な選曲だったり,必死に精神を鼓舞するような選曲だったり,自分でも呆れるくらい脈略も節奏も無い・・・。
ま,私のやることだから当然なのだが・・・。


05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年 交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
13年 歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)
14年 「坂の上の雲」サウンドトラック~少年の国(久石譲)


最初の3年は,まともというか晴れやかにして穏やかな曲と,喜悦に満ちた曲になっているが,2010年のシベリウスの第1交響曲や12年のブラームスのピアノ四重奏(シェーンベルクによるオケ版)など,完全に自虐以外の何者でもないし,その次のワーグナーなんてのは波乱の予感そのものである。
そうした中,昨年は希望と推進力に満ちた明朗な楽曲を選んだつもりだったのだが,肝心の動画が削除された・・・(泣)。
そうした中での今年の選曲である。


序曲「謝肉祭」作品92(ドヴォルザーク)。
有名な新世界交響曲を作曲する少し前,敬愛するブラームスの協力もあって,作曲家としての名声を高めていたドヴォルザークが,ニューヨークのナショナル音楽院の院長に招かれて渡米する直前に作曲された演奏会用序曲三部作の中の一曲である。
その三曲は「自然と人生と愛」という名称でくくられ,それぞれ「自然の中で(かつては自然の王国でという和訳だった)」,「謝肉祭」,「オセロ」という題名が付く。
「自然の中で」は文字通りチェコの豊かな自然の賛美であり,「オセロ」はシェイクスピアの悲劇から題名が採られた。
そしてこの「謝肉祭」は,その喜悦に湧く曲想から,間違い無く人生の喜びを具現したものであろう。
冒頭の沸き立つような喜悦は,ワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲中間の「ヴェヌスブルグの音楽」からの影響が見られるともいわれる・・・。


10代の頃から親しんで大いに気に入っていた曲なのだが,残念ながら今まで演奏する機会には恵まれなかった(上記「自然の中で」は,オケでの演奏の機会があった)。
幾多の演奏をCDで聴いてきたが,やはり颯爽と駆け抜けるようなスピード感のある演奏が好みであり,9分台以上時間のかかる演奏は気に入らない。
そうした意味では,最高のドヴォルザーク振りであった同郷チェコ出身のラファエル・クーベリック(1914-96)がミュンヘンのバイエルン放送局のオケを指揮した演奏を愛聴してきたのだが,今は何と言ってもテオドレ・クチャル指揮ヤナーチェクフィルハーモニーの演奏が全てだ。
嵐のように激しく駆け抜ける演奏で,オケの機能も優秀である。
名前から察するにウクライナ人のようだが(私と同年らしい),ドヴォルザークの序曲・交響詩集,ショスタコーヴィチの管弦楽曲集を聴いて以来,すっかり填ってしまった・・・。
でもって貼る動画は,何と洗足学園大学の学生オケによる演奏である。

指揮は,名匠秋山和慶。
ビギナーズオーケストラチャレンジとか銘打ってあるので,新入生による講座の発表なのかもしれないが,颯爽とした演奏聴かせる。
最後でTbが音を外したのが惜しいが,細かい音型をシングルストロークで打つタンブリンの妙技は見物である。
音大のオケの中でも,近年の洗足の演奏は勢いが感じられる。
ついでに音声だけだが,上記クチャルの演奏も貼っておく。

比べてみるのも一興だし,9分以上かかる他の演奏が生温く感じられると思う・・・。


・・・ということで,今年はわりとまともな選曲だったと思う・・・(本当か??)。
人生の喜びを大いに味わう1年にしたいものだ・・・。


 


風立ちぬ・・・

2015年02月21日 11時29分19秒 | TV&エンターティメント

封切られた去年の夏,これは何としても見ずば・・・と思って,単身映画館に赴いて,10年ぶりに封切りを・・・とも考えたのですが,これは内容的にも家族に見せておきたい・・・と考え,レンタル解禁を待って,週末にショップに走り,ラスト2枚というところでゲット。
残念ながらBDはすべてレンタル中でしたので,DVDでの視聴となりました。


木村秀政(1904-86),土井武夫(1904-96)と並ぶ航空工学の権威である堀越二郎博士(1904-82)については,中学生の頃,航空評論家の佐貫亦男氏(1908-97)の著作で読みました。
何せ,当時はご存命でしたので,私としては,つい最近の方という印象を拭えません。
ですから,我が国が世界に誇る偉大なる零式艦上戦闘機(と九六艦戦,雷電,烈風)の設計者としては勿論,戦後国産旅客機のYS11(屋久島便に乗ったのは,貴重な体験でした)の設計者として,航空界の大物である堀越氏の半生をどのように描くか,興味津々でした。
原作は,私の愛読書の1つである「モデルグラフィックス」誌に連載されていたもので,幾つかの類似共通点が垣間見られる「紅の豚」と被ります(原題は「飛行艇時代」。数年前入手)。
尤も,MG誌では,登場人物が擬人化された動物だったのですが・・・。
でもって,土曜の夜,子どもを寝かしつけて,ビールとワイン,日本酒を冷やしておいて,ビールを開栓と同時に視聴を開始しました・・・。


う~ん・・・,評価が難しい・・・。
私のような頭からつま先まで,完全な昭和の男にとって,描かれた風物は,ある種のノスタルジーを伴って迫ってきますし,若い頃とち狂ったように読んだ堀辰雄の諸作品の影響や,夢の中でのカプローニを代表とする飛行艇時代への憧憬(これも「紅の豚」ともろに被ります),そして仰角や主翼前縁30パーセントに重心を持ってくる模型飛行機(ペーパークラフト)を夢中で作った子ども時代への個人的追想など,多くのファクターが去来しました。
前半は,カプローニとの出会い(但し,夢での)から九試艦戦の設計まで,わりとさくさくと進んだのに対して,後半は多分まるっきり創作(というか,題名も含めての堀辰雄作品へのオマージュでしょう)である恋愛模様・・・と,良い意味でのコントラストがはっきりしていたと思うのですが,個人的にはどうもその辺りの統一感というか,作品を貫く芯がぶれたような感覚は最後まで付いて回りました。
勿論,2時間強,飲み続けていたにも関わらず,トイレにも立たないで,画面に釘付けになっていた(AVアンプに灯を入れ,サラウンドスピーカーを鳴らしつつ)ことは,言うまでも有りません・・・。
碓氷峠(新幹線開通で,これが失われたことは痛恨でした)の石橋を登るアプト式鉄道と草軽交通(私が生まれる前に廃線),旧軽井沢銀座の賑わい,正確な考証に基づいて描き込まれた車両の数々等に指を鳴らし,登戸行きの電車は小田急だろうが,菜穂子の家は上野だったのではとか,「風立ちぬ」のヒロインは,確か節子という名前だったとか,ヒロインの菜穂子の名は「楡の家」~「菜穂子」から取ったとか,氷室で雨宿りする場面が出てきたら完璧なオマージュだったとか,菜穂子が入った療養所(サナトリウム)は,作中にも出てきたように浅間高原の軽井沢ではなく八ヶ岳山麓の富士見高原だったとか,作中の「草軽ホテル」は旧軽井沢のアカシアの小径の奥にある「万平ホテル」のことだろうとか,「会議は踊る」(31)の音楽だ・・・とか,余計なことをたくさん思いながら見ることが出来たので,楽しめたことは間違いないでしょう・・・。
零戦(21型)の登場シーンは最後の一瞬のみで,九試艦戦(量産型は九六式艦戦)のプロトタイプによる初飛行成功でストーリーが完結しているのは,やはり旧式化による劣勢と戦局の悪化,特攻と敗戦ということが頭にあったからなのでしょう・・・。
誰にでも楽しめる・・・とは,無条件では言えませんが,当時の時代背景や堀辰雄の諸作品(上記2作と「美しい村」あたり)を読めば,さらに理解が深まって楽しめると思います。大いに気に入ったら,BD買おうかと思っていましたが,現段階では躊躇しています。
次は,来月発売の「永遠のゼロ」を何としても見ないと・・・。
でもって,作りかけの九六艦戦と宮部久蔵搭乗の台南航空隊所属の零戦21型を組まないと・・・。
 


關西紀行-其之廿七:お土産編参-洛中編弐

2015年02月05日 21時08分58秒 | グルメ

いよいよ,最終回となります。
画像貼るだけですが,簡単なキャプションも入れることができたら・・・と思います。

お土産を買いそびれたまま,新幹線の改札を通ってしまった・・・。
ホームじゃたいしたもの売っていないし・・・と,思っても大丈夫です。
京都駅は,新幹線の待合室周辺の店が充実しており,待ち時間に買い物ができます。
今回紹介するのは,いずれも300円台と廉価な上に,見栄えも悪くない(と思われる)ものばかりですので,ぜひ機会が有れば冷やかしてみることをお勧めします。

ご存知生八つ橋の皮(井筒生八つ橋)。昨年から填っています。
西尾の八つ橋で,こういうものを出しているんですね。
 
何となくお洒落なパッケージの夷川五色豆(豆政)。 


關西紀行-其之廿六:お土産編弐-洛中編

2015年02月04日 22時44分32秒 | 旅行,および「鉄」

関西へ旅した帰途はいつも京都駅。
近鉄の下で,新幹線乗り場にも程近い近鉄名店街みやこみちが便利であることは以前も書きましたが,その中でも一番手前にあるHarvesなる近鉄系の店(近商ストア) によく行きます。
土産物コーナーと食料品コーナーがあるのですが,後者は地場産のお菓子やお総菜が割と安く手に入ります。
最終日の夕食は,よくここで求めますし,酒も置いています。 
200円しない蕎麦ぼうろとか,一袋100円前後の一味唐辛子(今回買うのを忘れた)とか,数が欲しいときに重宝しています。
・・・ということで,今から紹介したいと思います。

ご存じ京ばあむ。豆乳+抹茶が最高。

進々堂謹製黒糖ラスク。値段は内緒・・・(爆) 



關西紀行-其之廿伍:お土産編壱-南都編

2015年02月03日 20時16分56秒 | 旅行,および「鉄」

これこそ,画像が無いとどうにもならないのですが・・・。
奈良で求めたのは,以下の通りです。
丹波黒を奈良で買うというのも変だけど,お洒落なパッケージに惹かれて・・・。寛永堂は京都三条が本店だった・・・。
これは紛れもなく奈良だ。三笠だから・・・
シールの奈良の文字が怪しいけど,これも地場のもの。大仏殿の前の出店で買う。