珍しく夕方5時台に食事を済ませたので,家族全員で見ました。
さあ,何が出てくるのか最終回。
毎回毎回のサプライズの応酬に,ちょっとやそっとじゃ驚かないぞ・・・と,期待に胸を弾ませて見ました・・・。
時は豊臣家滅亡後の元和元(1615)年秋。
おっと,竹松もとい景明-否,字(あざな)だと平八か-元気じゃねーか。
生来病弱だったんじゃなかったのか・・・。
・・・で,
「人望が厚いのは父親譲りじゃの」
と来たもんだ。
お得意のとってつけたような兼続・景明賛美。
何の伏線も無いので,私は未だに兼続が何で人望があって家老に抜擢されて,一切合切を任される程の人物なのか,このドラマからは理解できませんでした・・・。
尤も,景明は大坂の役から二ヶ月後の同年7月12日に逝去しているので,秋(7月は確かに旧暦で秋ですが)にああして領内を走り回っていたとは思われません。
TVとは異なって前年の冬の陣(鴫野の戦い)で感状貰う程の活躍をした後に江戸で療養していたと思われるので,多分米沢へは帰らず江戸で逝ったのではないでしょうか・・・。
因みに継嗣にはめぐまれませんでしたが,景明は妻帯していました。
近江膳所城主戸田氏鉄の女と伝わっており,景明没後は京都所司代板倉重宗に再嫁したことになっています。
そのあたりは全く触れられず,短い生涯を独身だったという設定だったのでしょうか・・・。
やがて大御所家康も斃れます。
駿府に兼続が見舞いのため登城したのは事実のようです。
ただ,政宗と一緒に呼ばれることはなかったと思うのですが・・・。
で,家康が後事をこの2人に託すとも思われないですし,直江状のことを十数年ぶりに混ぜっ返したり,政宗の肚はお見通しみたいなことを家康が言うとは思われないのですが・・・。
おねいさんが訪ねてきたのはその2年後でした。
頭が白くなった兼続に対して,おねいさんは全く変わっていないというのは,いかがなものでしょうか・・・。
幸村姉という設定ですから,兼続と同世代の筈ですが・・・。
かつて豊臣政権の黎明期に,真田が北条と結ぼうとした際に(註:そのような事実は全く無く,むしろ逆です)それに反対して家を追われたという設定だったようなので(忘却の彼方),弟が大坂の役で討死した際も出なかった・・・ということでしょうか・・・。
で,南蛮に行くとは・・・。
ま,強引な帳尻合わせですな・・・。
元和4(1618)年,兼続がすべてから解放されて越後に夫婦で・・・というくだりと,景勝が兼続を岩屋に連れて行った部分は必然性のない創作でしょう。
前々回だかに,突然独眼竜が米沢にやってくる場面がありましたが,幕府は常に諸大名の動きに目を付けており,自由に夫婦で旧領を見て回るなどということは不可能,と断言しても差し支えないと思います。
また,初代謙信を初めとする歴代藩主の墓は,最後の「天地人紀行」にあったように米沢市内の上杉家廟所にありまして,春日山城にも米沢領内にも毘沙門天を祀った岩屋が有るとは到底思われません。
・・・ということで,最後の最後まで突っ込んでしまいました。
いろいろと評判の芳しくない「天地人」でしたが,毎回の突っ込みどころだけでも十分私は楽しみましたので,今となってはそれも良かったか・・・と思います。
いずれにしても,一昨年の「風林火山」に次ぐ大河コンプリートとなりましたので,めでたしめでたし。
次の「龍馬伝」はどうでしょうね・・・。
岩崎弥太郎が竜馬に関与したのは長崎時代以降だから,せいぜい2年程度・・・。
それを強引に絡ませるとしたら苦しいかな・・・。
それよりも,来週からの「坂の上の雲」です。
阿部寛の秋山好古と高橋英樹の児玉源太郎は,やはり格好良い。
村田雄浩の伊地知幸介と竹中直人の小村寿太郎,江本明の乃木と渡哲也の東郷は見てみないと何とも言えませんが・・・。