4年目のこの日を迎える。
前日の3/10は,10万人が命を失った無差別爆撃の東京大空襲から70年目。
3/10といい3/11といい,3月のこの時期は鎮魂の時だ・・・。
あの日は金曜日だったので,夜に食料の買い出しに行こうと思っていたし,ガソリンも安くなってポイントも倍の週末に入れようと思っていたので,残量は僅かだった。
それがすべて暗転した。
暗闇の中,帰宅したときは水もガスも出たし,先の宮城県沖地震の時は,その晩のうちに電力も回復した。
なので何とかなるのでは・・・と思って,その日は体力温存と思って早く寝たのだが,翌日も電力は回復しなかったし,水もガスも止まっており,前日辛うじて使えた携帯も,UPSが時間と共に逝って圏外表示となっていた・・・。
自信の前日選択に風呂水を使った上に,水は出るから大丈夫と踏んで,風呂桶に給水・貯水しなかった迂闊さを悔やんだが後の祭りだった・・・。
それとしても,私なんか殆ど被災していないに等しいのであるが,あの時は,このまま物流が回復しなかったら,最悪栄養失調と餓死も有り得る・・・という暗澹たる思いがあった・・・。
それが4年を経て,完全に風化してきたことを感じる・・・。
私が不自由だったのは,せいぜい一ヶ月風呂に入ることが出来なかったことぐらいで,生活を根こそぎ奪われ,多くの痛ましい犠牲者を出した沿岸部の方々の辛苦に比べると,本当に微々たるものであはるのだが,あの時覚えた暗澹たる思いを忘れてはなるまい・・・。今後私に出来ることは,4年前のことを知らない世代に伝えていくことと,実に微力ではあるが,被災地を訪れて香華を手向けた後,少しでも消費に協力していくことだろう。
昨年は,石巻市の門脇地区と大川地区,女川町,南三陸町志津川地区,そして仙台市若林区荒浜地区を訪れたが,季節が良くなったら今年は亘理町や山元町,新地町や相馬市まで行ってみたいものだ・・・。
・・・ということで,鎮魂の一曲を貼る。
ショスタコーヴィチ(1906-75ソヴィエト)作曲,ノヴォロシースクの鐘(永遠の栄光の火:1960)。
ノヴォロシースクとは,件のクリミア半島東端の都市ケルチ(鉄か石炭を産出と中学で習った記憶が)から黒海を経たところに位置するロシアの都市で(ソチの北),ドイツ軍が攻め倦ねた要塞が有った。
本来は,独ソ戦の戦死者を悼む曲だが,鎮魂の気持ちを込めて・・・。
唯,演奏はテオドール・クチャル指揮ウクライナ交響楽団なので申し分がないが,何で画像がディズニーランドなのか不明だ。
もう1つの動画は,赤軍兵士の写真だったので,そちらよりは良いかと・・・。
冒頭のチェレスタの音型から始まる2分半ちょいの短い曲だが,副題に相応しい内容と思う・・・。