1982年9月,NHK.FMからライブでオンエアされたその演奏は,聴いていた人々の度肝を抜いた。
曲目は,ブルックナーの交響曲第8番ホ短調(ノヴァーク版)。
演奏は,オイゲン・ヨッフム(1902-87)の指揮するバンベルク交響楽団。
南独のバイエルン州に属する地方都市のオーケストラで,正直言ってあまり期待してはいなかった。
ところが,この地方オケが,ブルックナー演奏の第一人者であった名匠ヨッフムの下,ものの見事な演奏を聴かせたのだった。
冒頭の神秘的な所謂「ブルックナー開始」に始まり,第一楽章終盤大詰めに全オーケストラが全奏で鳴り渡る中,金管による叩きつけるような「死の動機」が闇を劈く電光のように響き渡った時,これは只事ではない・・・と誰もが思った筈だ・・・。
そして続く古代チュートン人の祭りに霊感を得たとも聞く快速にして重厚なスケルツォと,清澄な響きが夏のアルプスの山塊を思わせるようなアダージョ楽章を経て,騎兵の行軍の如き勇壮なコラールが響き渡る終曲においても,オーケストラに疲労や疲弊は全く見られず,明るく大きく全曲が結ばれるコーダで最後のCdurの和音が鳴り響いたとき,久々に感動に打ち震える自分を抑えきることが出来なかった・・・。
この時の演奏は,コンパクトカセット2巻に納め,それこそ擦りきれるくらい聴いたのだが,今はCDで聴くことが出来る・・・。
WWIIの終結というかドイツの敗戦によって,ドイツの占領下にあった東欧諸国では「ドイツ人追放」が各地で起こった。
我が国も,北満や朝鮮半島,台湾,南方諸島から,多くの人々が必死の思いで本土へ帰還し,或いは私の伯父のように中途で帰らぬ人となった例も少なくなかったが,ドイツも亦,同様だったのだろう。
そうした中で,チェコから移ってきた人々が集まったことが,このバンベルク交響楽団の始まりで,終戦直後に発足したようだ。
その後,上記ヨッフムやカイルベルト,シュタインといったドイツ系の指揮者によって鍛えられ現在に至る。
ルドルフ・ケンペ(1910.6.14-76.5.11)。
ドレスデン近郊ニーダーボイリッツに生まれ,スイスのチューリッヒに没したドイツの名指揮者である。
毎年この日は,彼の残した演奏を偲び,代表的な演奏を紹介してきたのであるが,そのバンベルク交響楽団を指揮した演奏を採り上げてみたい。
ケンペは実は,レパートリーの広い指揮者であり,残された音源リストには,ショスタコーヴィチの第5交響曲や,コープランドの「エル・サロン・メヒコ」まで存在する。
勿論,彼のレパートリーがモーツァルト~ベートーヴェン~シューベルト~シューマン~ブルックナー及びブラームスへ連なる独墺音楽の本流にあったことは間違い無く,特にブラームスには2種の交響曲全集(50年代のベルリンpoと晩年のミュンヘンpo)が存在するほか,ロイヤルpoとの第4交響曲,そしてバンベルク交響楽団との第2交響曲が今もCDで聴くことが出来る筈だ。
推敲に推敲を重ね,20余年の構想の後に完成した第1交響曲(1868)が,重厚にして悲劇的なパッションを内包し,苦悩から勝利に至るのに対し,その翌年に南オーストリアの景勝地ペルチャッハで書かれたこの第2交響曲は,一気呵成に仕上げられた。
多分,ペルチャッハの明るい風光のせいであろうが,伸びやかで明朗な感性が充溢したブラームスには珍しい陽性の作品となっているのも大きな特徴である。
第一楽章冒頭の上降する低弦に導入されるホルンの響きから,既にどっぷりと中欧の風物に浸るようだ。
ケンペの指揮するバンベルク響の演奏は,その辺りから徐々に聴き手を響きの渦の中に巻き込んでいく。
澄み切ったバイエルンの青い空のように明るい弦楽の響きと,点在して咲く花のように明滅する木管の響きも美しい。
特別な仕掛けがある訳でも無ければ,驚くようなテンポの急変もない。
楽譜に忠実かつ正確。端正に演奏しているだけなのだが,この滲み出るような味わいの深さは何なのだろう・・・。
愁いに満ちた第2楽章の終盤を聴くと,ロマン派の作曲家にして厳しいまでの自己抑制を強いたにも関わらず,情感が溢れ出るという不徹底ぶりがブラームスの最大の魅力と思うが,そうした感性に一番ぴったり寄り添うのがこのような演奏なのではないか・・・と思う。
第3楽章冒頭のオーボエの艶やかな独奏は,この指揮者が元々はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席オーボエ奏者であったことを思わせるし,ブラームスの喜びが率直に再現された終曲の歓喜も,やや速めのテンポで十二分に再現される・・・。
以前も述べたが,この曲のCDの中では,ブルーノ・ワルター(独 1876-1962)が50年代前半にニューヨークフィルを指揮したCBS盤と,ピエール・モントゥ(仏 1875-1964)が最晩年にロンドン響と残したフィリップス盤が双璧と思ってきたが,ケンペによる2種のステレオ録音も,それに勝るとも劣らぬ名盤と思う。
繰り返し聴きたくなる飽きの来ない演奏とは,こういうものを言うのであろう。
全くの偶然であるが,近年このコンビによる同曲の映像がリリースされた。
それをこの場で見ることができるというのだから,凄い時代になったものである・・・。
70年代初期の映像だろうか。
VTR撮影で,思ったより鮮明であるが,音声がステレオではないのが残念・・・。
勿論,名匠の至芸を偲ぶには十分である・・・。
「ミステリーのオーラが,高度に洗練されてエレガントなルドルフ・ケンペを取り巻いている。彼の丈高いスリムな姿は,いつもすっくと立ったままである。ケンペは,没頭するのを好んだディオニソス的で華麗な技巧の要る楽節で,限度を超えようとする場合に於いてすら,規律正しいジェスチャーを保っていた。オーケストラは彼の明確なサインの言語を即座に了解し尽くした。この点にケンペが忽ちにして世界くまなく成功した要因がある。リハーサルで彼はほとんどしゃべらず,彼の名人芸的な棒さばきと,彼の長い表情ゆたかな両手によって,彼そのものを理解させた。」
(尾埜善司著「指揮者ケンペ」芸術現代社刊より)
Brahms - Symphony No 2 in D major, Op 73 - Kempe
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