あー,そう来たか・・・三谷脚本。
出浦がカウンタースパイとは気付きませんでした。
まんまとしてやられました。
脱帽です。
しかし,なんで上杉への密使に信幸使うかな・・・。
囮としては分かるけど,命落としたら身も蓋もない・・・。
でもって,将来親子の確執を描こうという見え見えの伏線・・・。
でもって,お前が家督だ・・・で,疑念が氷解する信幸・・・。
作為以前の問題でしょう・・・。
しかし,出浦盛清って,武田の忍者であることしか知りませんでしたが,信濃の国衆だったんでしょうか・・・。
村上義清の葛尾城のあった埴科郡坂城の出身だそうですが,井上氏や高梨氏のような信濃源氏の一族だったのかどうか・・・。
でも,真田に与力したのって翌年以降,つまり信長の本能寺横死を受けて,信濃衆は海津城にあった森長可に裏切ったのに対し,出浦のみ従ったので,徳川~羽柴と信州の支配が変わる時期を生き残ってからではないかと思われます。
そして,実際にこの時期の昌幸は,実際何処にいたのでしょうね・・・。
真田氏は真田の庄に居た方が分かりやすいのでしょうけど,多分この時期の昌幸の本城は,上州岩櫃城だったのではないでしょうか・・・。
ま,織田軍が信州に侵攻してくるということで・・・という設定でしょうけど・・・。
多分,武田家が在りし日は,岩櫃から上州吾妻郡と信州小県郡-つまり現在の菅平高原から浅間山の北麓,西上州を押さえる中信地方の一大勢力だったのでしょう。
現在の長野県の地勢同様,中世の信州は,木曽郡の木曽,諏訪郡の諏訪,埴科・更級郡の村上,筑摩郡の小笠原(守護),安曇郡の仁科,佐久郡の平賀・・・といったように,国衆が割拠していたのでしょう。
甲府盆地に地勢が集約する隣国甲斐のように強力な統一政権が出なかったのは,山国故に盆地が散在したから・・・ということと思われます。
武田勝頼・信勝父子が天目山に自害して,源平時代より続いた甲斐源氏の名門である武田氏は滅びますが(続いた系統については,いずれ述べてみたいものです),信長(と穴山梅雪)の命も,それから僅か三ヶ月なんですね。
所行無常というか盛者必衰というか・・・あまりに儚いとしか言いようがありません・・・。
その信長横死の後,信濃を押さえていた代官であったのが上記森長可でしたが(甲斐は河尻秀隆),所謂天正壬午の乱によって,上信甲三国は大混乱します。
その辺りがどう描かれるのか,気に掛かるところです。
考えてみたら,上州と小県郡に配されたのは,上記森長可ではなく,滝川一益なので,今後どう関わってくるかも見どころとなることでしょう。
昌幸と滝川一族の関わりは,この時期に始まるでしょうから・・・。
・・・ということで,長澤まさみ嬢のご登場と相成りました。
しかしまあ,「巧妙が辻」の小りんといい,「天地人」の幸村妹役といい,今回といい,何か大河では役に恵まれていないのでは・・・と思ってしまいました・・・。
家老の高梨内記の娘が,城主の若殿とため口・・・。
有り得ません・・・。
ま,大河に色恋沙汰は不要・・・と(石が飛んできそうですが),断じておきましょう。
・・・にしても,源二郎酷すぎ。
男として最低の部類では・・・と,思ってしまいます。
武士階級の自由恋愛など考えられない時代ですし,殿様のお手が付いて・・・という時代でしたから,やはりこうした色恋沙汰を挿入すると無理があるような気がします。
因みに,この時点(天正10年3月)で,信幸は数えで17歳,信繁は16歳という設定ですので,信幸に夫人が居てもおかしくはないのですが,こう・・・はて,清音院殿のことでしょうか・・・。
何か病弱という設定で,将来が無いような気がするのですが・・・。
・・・ということで,今日も書き殴ってしまいました。
面白いのですけど,何かやたら軽い気がするのは私だけでしょうか・・・。
子どもの頃,訳分からずに垣間見た「竜馬がゆく」や「天と地と」は,もっと重厚で,高尚な感じがしたと思うのは,今だからでしょうか・・・。
否,物心つきつつある時分に見た「花神」や「草燃える」,結構いい年になってから見た「翔ぶが如く」も,もっと緊張感があったような気がするのですけど・・・。
吉川英治や司馬遼太郎の歴史小説のページを繰る際に覚えたわくわく感は,過去のものなのでしょうか・・・。