週末が近づくと疲労も溜まる・・・。
そんな夜に一服の清涼剤のような曲を・・・。
居ながらにして,ウェールズやハイランドの緑なす草原へトリップ。
灰色の曇天の下,草原や木々は深い緑を湛える・・・。
う~ん,堪らん。
癒される・・・。
夜で気温2℃。
あちこちで雪が溶け始め,雨樋から流れ落ちる音がする。
考えてみたら,2月も下旬なので,少しずつ春に向かっているということなのだろう。
雪解けというと,ついついスターリン没後のフルシチョフ政権下での東西融和を思い出すのだが,今日感じたのは,純粋に雪が溶けることだった・・・。
そして,長い北国の冬が終わりを告げ,春の訪れと共に,このような曲を想起する・・・。
Alla marcia~Karellian suite op.11(Jean Sibelius,1893)
カレリア組曲より行進曲風に(シベリウス)
30年程前,日曜の夜にやっていた「音楽の旅はるか」という番組のテーマとして使用されていた曲でもある。
フィンランドを代表する作曲家であるシベリウスが,新婚旅行で訪れたカレリア地峡の印象を綴ったもので,本来は劇伴の為の音楽を3曲の組曲に再構成したものである。
第1曲の間奏曲や第2曲のバラードも素晴らしいのだが,この終曲は紛れもない名曲と思う・・・。
本来は,秋の収穫を祝うフィン族の農民による粗野な舞曲がベースにあるそうだが,私には,上記の如く渇迎した春の訪れを喜ぶような曲想に感じられてならない・・・。
貼ったのは,フィンランドの作曲家でもあるレイフ・ゼーゲルスタムが指揮するエーテボリ交響楽団。
つまり隣国スウェーデンのオケだが,手慣れた演奏を聴かせる。
かつて,2度の欧州入りの際,カレリア地峡からフィンランド湾を経て北海へ抜けて,ロンドンへ南下というコースだったが,湖沼地帯であるカレリア地峡の地形は,機上からもよく見えた。
フィン族の故地とも言うべきカレリアは,ロシア領となって1世紀を超えたと思われる。WWIIで,旧ソ連と戦ったフィンランドの人々は,どう思っているのだろう・・・。
スワスティカの付いたF2AとかMe109Gを作りたくなった・・・。
因みに,この曲を演奏したことは,オケ等で数回有る。
何度やっても,また演奏したくなる希有な曲の1つかもしれない・・・。
千住明独特のテイストが最大限に発揮された1曲を,ガンダム系以外で。
大まじめでこうした曲を演奏しているのが,何とも素晴らしい。
中盤の転調なんて,鳥肌もんだ・・・。
チェロとホルンのユニゾンが,朗々たるメロディを奏でる背後で動き回る高弦のパッセージが,如何にも千住だ・・・。
TV版のオープニングも見たくなった・・・。
昨日の全日本女子フィギュアSP,今井遥選手の嫋やかな演技に感じ入って,そのプログラムで使用したそのものを貼ります。
メンデルスゾーン作曲,無言歌ニ長調op.109。
モーツァルトやベートーヴェンが,不幸な生涯を送った典型とすると,このメンデルスゾーンなどは,まさにその正反対で,絵に描いたような幸福な生涯を送った典型ということらなるのかもしれません。
富裕なユダヤ人の銀行家の家庭に生まれ,早熟の天才として頭角を現し,数々の名曲を世に問うと共に,バッハの「マタイ受難曲」蘇演,ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団創設,職業的指揮者の草分け・・・等々,音楽史上の功績も甚大です。
唯一の不幸は,30代後半で生涯を終えたことでしょう。
富にも名誉にも女性にも恵まれたメンデルスゾーンですから,その音楽はあくまでも上品にして典雅な趣に富んでおり,激高したり絶叫したりするような部分は,見あたりません・・・。
メンデルスゾーンには,ピアノ独奏の為の「無言歌集」なる楽曲がありますが,この遺作の1つでもあるニ長調の曲は,チェロとピアノの為に書かれました。
作曲されたのは1845年。
亡くなる前々年,フランスの女流チェリスト,リザ・バルビエ・クリスティアーニ(1827-1853)の為に作曲され,彼女に献呈されました。
リザ・バルビエ・クリスティアーニは,残念ながら伝染病に罹患して,ロシアへの演奏旅行中に亡くなりましたが,音楽性も容姿も魅力的な女性だったのでしょう・・・。
弦楽器が最も美しく鳴ると言われるニ長調。
上品,高雅,嫋々,伸びやか,明朗・・・といったメンデルスゾーンの天衣無縫な音楽性が,躍如しています。
静かに耳を傾けるにはうってつけ・・・というか,私などは,ついつい過ぎ去りし日々を追想してしまいます・・・。
演奏は,多発性硬化症なる難病のために,若くして演奏家としての道を断たれ,夭折した女流チェリスト,ジャクリーヌ・ドュ・プレと,ハンガリーの俊英ミクローシュ・ペレーニ(私が初めて聴いたドヴォルザークの協奏曲は,ペレーニの独奏でした)の演奏がありましたが,敢えて若手による演奏を・・・。
季節が合いませんが,これ聴くと,よく晴れた春の野に天高く雲雀が鳴いて・・・(「おお雲雀」などという歌曲も,メンデルスゾーンか)という光景が想起されます・・・。
ゲルマン及びアングロフリークを自認する私ですが,時々こうしてラテンものに浮気したりします・・・。
今年の夏の終わりから秋口にかけて,俄ドビュッシーフリークとなりましたし,ラヴェルは元々好んで聴きました。
フランスロマン派の走り(というか近代管弦楽法の生みの親)とも言うべきベルリオーズの幻想交響曲なんて,アブノーマル極まりないプログラミングが,もろ私のストライクゾーンだし,バイロン「チャイルド・ハロルド」に霊感を受けたという「イタリアのハロルド」なんてのも分熱い音像が堪りません・・・。
でもって,今宵はフォーレ(1845-1924)です。
この季節,宗教的カタルシスと敬虔なカトリシズムが顕著な「レクイエム」を聴くことが多いのですが(ラシーヌの雅歌とかパヴァーヌとかも・・・),今日は敢えて小品を聴きたいと思います。
組曲「ドリー」op.56。
1898年,名ピアニストアルフレッド・コルトー(と,エドゥアルト・リスラー)によって初演されたピアノ連弾用組曲です。
妻のマリーを通して知り合ったエマ・バルダック(後のドビュッシー夫人)の娘エレーヌの誕生祝いに作曲された何とも愛らしい佳品です。
ドリー(Dolly)とはエレーヌの愛称だそうですが,その名の示すとおりお人形のように可愛らしい・・・とでも訳せばよいのでしょうか・・・。
組曲は,以下の6つの短い楽章から成ります。
1.子守歌
揺りかごのように上降するアルペジオに乗り,穏やかで優しい旋律がたっぷりと歌われます。既にして,エスプリと抒情に満ちた世界へトリップ・・・。
2.ミ・ア・ウ
猫の鳴き声のような題名で,実際子猫が飛び跳ねているようなワルツですが,エレーヌが兄のラウルを呼んだ幼児語を題名にしたそうですが,出版社の間違いで,猫の鳴き声のようになってしまったらしいです・・・。
3.ドリーの庭
自作のヴァイオリンソナタの終曲の旋律を転用した部分がある穏やかな曲想。巧みな転調がが顕著。
4.子猫のワルツ
原題はKitty-valseですが,これも出版社の間違いだそうで,フォーレが当初示したのはKetty Valseとのことです。ケティとは,上記ラウルの飼い犬の名だそうです。
5.優しさ
変ニ長調という珍しい調性で書かれた曲。題名の割に落ち着かない印象を与えるのは,その調性と転調のせいでしょうか・・・。
6.スペインの踊り
華やかな終曲。快速なピアノ版とゴージャスなオケ版は好対照・・・。
原曲であるピアノ連弾の演奏は,ロベール&ギャビーのカサドゥシュ夫妻による59年の録音を貼っておきます。
この時代の録音は,何とも古雅にしてエレガントです・・・。
ボストンsoの指揮者(後任が名指揮者ピエール・モントゥ)を務めたアンリ・ラボー(1873-1949)によるオケ版は,なかなか良い動画が無いので,取り敢えず下記のものを貼ります(CD棚には小澤~ボストンsoのDG版のみがありました)。
木管の音色とピッチ(ホルンもやっちゃっている),そしてテンポ感に注文がつきますが,全容を知る上では問題ないでしょう。
殆ど別の曲のように聞こえるのは私だけでしょうか・・・。
実は,若い頃から何度か演奏する機会を持ちながら,結局演奏しないまま,今に至っています。
あまり知られた曲ではないということで,演奏会の曲目選定で,ついつい刎ねられてしまうのと,フランス音楽特有の色彩感やアトモスフィアを表現する難しさが原因ですが,私なんぞには最も似合わない曲想であろうことは,述べるまでもありません・・・て,述べましたけど・・・(笑)。
・・・ということで,ぜひ冒頭の「子守歌」から,典雅な世界を覗いてみることをお薦めします・・・。
心身ともに参っているときは,こうしたものに走ったりする・・・。
ベルギーの作曲家,セザール=オーギュスト=ジャン=ギヨーム=ユベール・フランク(1822-90)による唯一のVnソナタ・・・。
今を去る30年以上前,当時来日中だったメニューインによるライブを聴いたのが最初だったと思う。
この終曲のロンドは,既に冒頭のVn独奏から私のツボだった・・・。
バッハの研究に基づく対位法の処理や,同一の主題が回帰する循環形式,そして網の目のように繊細にして大胆な転調の妙。
室内楽を聴く楽しみを十二分に堪能すると共に,その典雅な味わいもまた魅力的である・・・。
チェロやフルート独奏の版も聴いたことがあるが,何とオケパートの付いた協奏曲版もあるらしい・・・。
聴いてみたいものだ・・・。
古いところだと,やはりユボーとコルトーによるオールフレンチの演奏が有名だが,私が持っているのは,パールマンとアシュケナージによる60年代後半の録音と,ジョシュア・ベルによる80年代の2種であった・・・。
で,最近の若手はよく分からないが,見事な演奏を見つけた。
最後のAdurの和音が多少薄く響くのを除けば,実に見事な演奏と思った・・・。
美音が疲れた心と体に染み渡る・・・。
つい先日もmixiで述べたばかりなので,多少憚られる部分もあるのだが,本日のエントリは,何と言ってもこの曲でなくてはならない・・・。
交響曲第3番へ長調作品90(ブラームス)。
北国の鉛色の曇天の下,力と寂寥感が交錯し,鋼のように強力な構成感が顕著でいながら,このストイックな作曲家特有の抑制とそれをかいくぐるようなロマンティシズムの発揚。
第一楽章冒頭の四度のFdurの和音によるコラールから,既に晩秋の中欧にトリップ。
第二主題は,クラリネットによって典雅な舞曲風に奏でられるが,それもまた激しい曲想に飲み込まれていく・・・。
続く第二楽章は,茜さす夕陽が西の彼方に没する晩秋の野をそぞろ歩きするような趣に溢れた緩抒楽章だが,孤愁の色が濃く,生涯独身だったが女性を愛すことができたというこの作曲家の心中を垣間見るような雰囲気を醸し出す・・・。
第三楽章は,以前も述べたように,イングリッド・バーグマンとイヴ・モンタンが競演した映画「さよならをもう一度」(原作はサガンの「ブラームスはお好き」) に使用され,典雅さと憂愁を湛える。
そして終曲。
全編を覆ってきた古典的な様式感と均整感,典雅な響きと憂愁,そして孤愁と死の影・・・といった要素は,激烈な闘争心とパッションに姿を変え,青白い炎を発して熱く燃え上がる。
やがて,それもFdurの和声の中に埋没するように,静かに前編が結ばれる・・・。
魂の安息なのか,死の影なのか・・・,それは聴き手の感性に委ねられることになろう・・・。
かつてこの曲に関して語ったことは2度程有ったが,既にして10代の後半から,人生の秋を感じさせるようなこの作曲家の作品に夢中になっていったことも,以前述べた。
晩年の作品を敢えて好んだのは,完全に若い日々特有の衒いだったと思うが,後に音楽のみならず,サッカーやF1という欧州産のスポーツに触れるに至って,ラテンではなくゲルマン・・・という好みが分化するに至ったのは,今となってはこの時期の音楽体験が大きかったと想像される。
居間のCD棚に,ブラームスの作品が溢れていることは以前述べたとおりだが,交響曲全集は多分10種を超え,この第3交響曲単品も相当な数がある筈だ・・・(改めて数える気力は無い・・・)。
自らの意志で初めて通して聴いたのは,ケンペ~ミュンヘンフィルによる滋味溢れる佳演だつたが(その10数年前にベルリンフィルを振った演奏も堪らない),今回リンクを貼るのは,バーンスタインがウィーンフィルを指揮した81年のライブである。
ゲルマンフリークの私が新大陸の演奏家を好む筈が無いのだが,何故かバーンスタインだけは例外で,歌い泳ぎ叩き踊るようなマーラーを聴いて以来,すっかり虜となっている。
でもって,何故本日のエントリがこの曲だったかというと,今を去る130年前の1883年12月2日,ウィーンの楽友協会大ホールに於いて,ハンス・リヒター(1843-1916,ウィーンフィルやロンドン響の指揮者を務めた)の指揮にて初演されたからであった。
そして,その100年後。
当時の若者が,なけなしの小遣いから4,200円を投じて,その年に発売が始まったCD(さらに前月に発売されたばかりの上記演奏者のもの)を1枚買った。
勿論,初演100周年を知っていた当時の私に他ならない・・・。
昨日の鷲の優勝パレード。
オープニングセレモニーなるものが有ったことを,TVの録画を見ていて知った。
仙台フィルが出演となっていたから,いったい何をやるのかと思ったら,テープカットの際に,常任指揮者のパスカル・ヴェロの棒で,何とポール・デュカス(1865-1935)によるバレエ「ラ・ペリ」のファンファーレを演奏していた。
フランス人のヴェロだからこその選曲だろうし,前日の定期でオールフレンチプロを指揮した直後でもあったから・・・。
ブラスセクションのみで演奏されるので,私はこの曲を直接演奏したことはないが,学生の頃,定期演奏会の掉尾を飾ったのはこの曲だった(英国の作曲家,サー・アーサー・ブリスの英雄のファンファーレというのもあった)。
ついつい遠い昔を思い出すとともに,如何にもフランスものらしい洒脱なエスプリと輝かしい音色と色彩感に溢れるこの曲を,久々に聴きたくなった。
生憎,私のCD棚には見あたらず(アンセルメ指揮スイス・ロマンドとブーレーズ指揮NYフィル以外の全曲版って有るのだろうか・・・),サイトを漁った。
上記アンセルメのほかに,レナード・スラットキン~フランス国立管と,ヘスス・ロペス・コボス~シンシナティ響の演奏が出てきた。
さすがに今聴くと,定評有るアンセルメの演奏は,各楽器の音程や音の厚みの点で多少物足りないし,米国人が本場フランスの名門オケを指揮した演奏も悪くはなかったが,心に残らず,最後のスペイン人がアメリカの地方オケを指揮した演奏が,一番聴き映えがした。以前,故エリック・クンツェルが指揮したこのオケ(正式にはポップスオーケストラ)を生で聴いたことがあり,その威力に魂消た記憶が残っているが,とにかく輝かしく爽快な演奏となっていた・・・。
・・・ということで,この「ラ・ペリ」のファンファーレを貼っておきます。
気分は,パリのガルニエか,セーヌ河畔のチェイルリー公園,或いは唯一のパリ滞在で私が歩いたクリシー大通りの風物と雑踏が思い出されます・・・。
ポール・マッカートニーの来日公演初日が,京セラドームで行われたようだ。
ポールというと,個人的には,80年の来日中に大麻騒ぎを起こして逮捕されたことや,同年暮れのジョン・レノン射殺事件を経て,翌年にウイングスが解散したこと,親日家と思いきや,鯨を食す日本人を非難したり・・・と,結構なお騒がせキャラといったイメージが強い。
勿論,私の如き洋楽素人が何だかんだ言うのも憚られるので,今回は彼の過去の作品の幾つかに耳を傾けてみた。・・・。
ビートルズからウイングスまで,お気に入りを年代順に挙げると,以下の通りになる。
「ハード・デイズ・ナイト」(64)
「ヘルプ」(65)
「エリナー・リグビー」(66)
「ペニー・レイン」(67)
「ハロー・グッバイ」(同)
「レット・イット・ビー」(70)
「マイ・ラブ」(73)
尤も,ポールとジョンの共作とは言え,「ハード・デイズ・ナイト」はジョン,「ペニー・レイン」や「レット・イット・ビー」はポール・・・といった具合に,実質的な作曲者がいずれかになる例もあるようだが・・・。
でもって,今宵の一曲として,ウイングス時代の「Live and Let Die」のリンクを貼っておく。
「007死ぬのは奴らだ」の主題歌であるが,颯爽たるデビューをしたロジャー・ムーアのジェイムス・ボンドの格好良さとも相俟って,アヴァンギャルドな曲想が何とも心地よい。ライブでは,変拍子の主部に入る際に,盛大に打ち上げ花火が上がり,熱狂的に盛り上がるのだが(何でも,ポールの持論だと,「007」は何と言っても銃声と爆発だからだぞうだ・・・),個人的には,フルオケをバックに,分厚いサウンドが炸裂するオリジナルサントラがお気に入りだ・・・。
これを運転中に聴いたりすると,ついついボルテージが上がって,危険なことに・・・。
・・・という訳で,慣れぬ洋楽根多を珍しく書いたりすると,後が続かないのである・・・(泣)。
明日は久々の本番。
週末でへろへろな上に,ホールでの練習に参加して,ふらふらで帰宅。
今から,夜半過ぎまで,譜をさらうことになりそうだ・・・。
オープニングからアンコールまで,10曲。
とにかく年々しんどくなる・・・。
今日なんか,仕事が終わらず1時間半しか練習に参加できなかった為,ホールの音響特性と,初めて触る楽器(何せでかいので,毎回借りるしか無い)の感触と手応えを探っただけで終わってしまった。
明日午前のゲネプロが全てだ・・・。
どれも難曲揃いだが,特に下記の2曲が超やばい・・・。
今から必死にさらわねば・・・。
何もしたくない,何も考えたくない日曜の晩・・・。
何と幾10年ぶりに,こういうものを聴きました。
ぼ~っとして,今迄行ったことも見たこともない,中央アジアの平原にて,茫洋たる風景を眺める・・・。
遠くからキャラバンが次第に近づき,やがて遠ざかる・・・。
音楽を聴き始めた頃,LPを持っていた記憶があるが(オーマンディ指揮フィラデルフィア管の廉価盤),CDは果たして有ったか・・・(チェクナボリアン指揮アルメニアpoの爆演が有ったような・・・)。
ほんの僅かな時間だけど,茫漠たるステップに身を置いて,現実を忘れる一瞬・・・。
俄ドビュッシーフリーク,止まりません・・・(爆)
2つしか無い演奏したことのある曲目の1つである「夜想曲」~第2曲,祭です(あと1曲は,アンリ・ビュッセルが編曲した「小組曲」。これについては,確か震災直前に述べた記憶が・・・)。
夜想曲=ノクターンですから,フランス語表記だとノクチュルヌとなるのでしょうか・・・。
いや~,堪りません。
冒頭の6/8拍子の刻みを聴いただけで,ぞくぞくします。
調製は,単純に考えると,長調と短調ですが,これなんてどちらにも属さない,所謂古代旋法を用いているので,何とも異次元の音楽のように響き,SFチックというか宇宙的というか,独特の世界観を以て聴き手に迫ってきます。
特に,一度盛り上がりを見せて,静まりかえった中,低弦とティンパニ+ハープによる刻みに乗せて,まるでエコーのようにミューティングしたトランペットによるアルペジオが舞台裏から聞こえ,各楽器が次々に増えてクライマックスに達する部分などは,筆致に尽くせぬエネルギーを感じます・・・。
「祭」という題名ではありますが,決してお祭り騒ぎを描いた標題音楽ではなく,作曲者の心象風景とも言うべきものなのでしょうか。
私が千余の言語を尽くしたとしても,絶対に語ることなど不可能なものがここにあります。せめて,断片的に思ったことを書き連ねてみます・・・。
夜の深い闇を切り裂くような雑踏と声,祭の中に割って入る行列,強烈な色彩に彩られた踊りのリズム,煌めく光,そして,宴の後のアンニュイ・・・。
CD棚を漁ると,4種類出てきました。
録音年代順だと,ブーレーズ指揮ニューフィルハーモニア管,アバド指揮ボストン響,マルティノン指揮フランス国立放送管,M・T・トーマス指揮フィルハーモニア管。
いずれも定評有るところですが,いずれもが中間部(上記の低弦の刻みの部分)に入っても,インテンポを崩しません。個人的には,ここでぐっとテンポを落とす演奏は好みではないです・・・。
貼ったリンクは,デュトワ指揮モントリオール響の定評有る演奏です。
先日物故した父が残したCD棚には,この演奏が有りました(何とゴールドCDだった)。
尤も,父はドビュッシーの管弦楽曲には殆ど関心を示さず,オーディオチェック用に高音質ということで買っただけなので,専ら聴いていたのは私でしたが・・・。
ついでに,アバドとスカラ座の演奏も貼っておきます。、
80年代でしょうか。
さすがに瞬発力があります。
但し,音質・画質共に???ですし,オケも今二つ・・・。
昨日のエントリにいただいたコメントに完全にインスパイアされまして,独墺至上主義を公言して憚らなかった厚顔無恥な私が,俄にドビュッシーづいています。
でもって,昨日ちょろっと述べた「スティリア風のタランテラ」で,いきたいと思います。
タランテラとは,毒蜘蛛タランチュラに由来されるというイタリアの伝統的な舞曲のことで,有名なところではメンデルスゾーンの第4交響曲の終曲(サルタレロとも)や,チャイコフスキーの第6交響曲「悲愴」の第3楽章(スケルツォとマーチの融合)のような6/8,或いは12/8拍子のアップテンポの舞曲のことです。
ドビュッシーの「スティリア風のタランテラ」は,通常は舞曲(タランテラ風)とか,舞曲「スティリー風タランテラ」と表記されているようです(或いは,単に「舞曲」とも)。
スティリアとはシシリー(シチリア)のことですから,まさに南イタリアの音楽が霊元感となっているのでしょう。
当時の作曲家たちの登竜門と言われたローマ大賞を狙っていたというドビュッシーですから,こうした音楽に興味を示したのも必然なのかも知れません・・・。
勿論,原曲はピアノ独奏なのですが,個人的には色彩感とエスプリに満ちたラヴェルによる絶妙なオーケストレーションが遺憾なく発揮されたオケ版が好みです。
冒頭のホルンの跳躍音型(難しいだろうな・・・)と拍遅れの伴奏音型に惹き込まれます・・・。
疾走感に満ち満ちているせいか,重ったるさとは無縁で,発止と打ち込まれる打楽器のアクセントも効いています。
CD棚を漁ると,何故か3種類の録音が出てきました。
マルティノン~ORTF(ドビュッシー管弦楽曲全集),J・サイモン~フィルハーモニア管(管弦楽編曲集),そしてインバル~ORF(ラヴェル管弦楽曲全集のうち,「展覧会の絵」のフィルアップ)です。
甲乙付けがたいですが,強いて言えば3つ目かなと・・・(時代は違えど,1と3のオケは同じ)。
でもって,原曲を聴くと・・・(ギャビー・カサドゥシュの演奏を見つけましたが,さすがに録音が古いので,疾走感があるコチシュにしました)。
これまた捨てがたい魅力がありました・・・。
CDは1枚も持っていませんでした。
ミケランジェリやベロフが録音したとも思えません・・・。
サッカーもF1も音楽も,ラテンと新大陸は趣味ではないと公言して憚らない私ですが,時折こうして例外的にドビュッシーを聴いたりします・・・。
曲名がRêverieですから,すばり「夢」と訳すのでしょうが,「夢想」という表記も時折見受けられます。
1890年の作曲ということなので,印象主義の作曲家として名を成す前の作品ということで,「2つのアラベスク」や「スコットランド風行進曲」,そして私の大のお気に入りである「スティリア風のタランテラ(舞曲)」(ラヴェルによるオーケストレーションが絶妙・・・)といった初期の名作が次々と生み出された時期でもあります。
尤も,ドビュッシー本人は本作を気に入らず,お蔵入りになりかけたらしいですが・・・。
冒頭のアルペジオから,既に調性や和声を超越した独特の夢幻な世界へトリップします・・・。
あとは,凡百の私が能書きたれるより,聴いていただけば心地よい世界に浸れること請け合いです・・・。
因みに,他のドビュッシーのピアノ諸作品同様,この曲もオケ編が存在しますが(数年前に,指揮していただく機会を得た保科洋先生のアレンジもありました),この曲の夢幻的なイメージは,やはりピアノ独奏で味わうのが一番かも知れません。
勿論,オケの色彩感も魅力的ですが,音が分厚すぎるきらいがあるようで・・・。
20年ちょい前,私は故モニック・アースの演奏するCDを愛聴していました。
70年前後のステレオ録音にしては,抜けない音質で今二つでしたが,雰囲気は抜群にある演奏でした。
変わったところでは,冨田勲御大によるシンセサイザー版もありました。
考えてみたら,一番始めに聴いたのは,これだったかも知れません・・・。
↑保科洋編
↑別verのオケ編
↑冨田版
これは4月に一度mixiで,紹介したものなのだけど・・・。
こうした曲を,自らの意志で聴くことは滅多に無いのだが,やはり改めて聴いてみると,古典主義から浪漫主義への過渡期の所産としても,凄い曲だと思う。
長くても30分前後のハイドンやモーツァルトの交響曲に対して,本作は1楽章だけでもリピートを含めると17分を超える。
ジャンルは違えど,ゲーテやバイロンと共に,浪漫主義芸術の旗手たるベートーヴェンの面目躍如というところだろうか・・・。
交響曲第3番変ホ長調op.55「英雄」〜第1楽章Allegro con brio。
今は自らベートーヴェンを聴くことは滅多に無いと述べたばかりだが,学生時代,銀の装丁のカートンボックスに入ったバーンスタインとウィーンフィルによるベートーヴェンの交響曲全集のLPを月賦で買って,貪るように聴き,狂ったように片っ端からボーダーレスで音楽を聴き,書を読みふけったのもこの時期だ(何せ,就職に失敗したので,卒業後,時間は山のように有った・・・)。
最初が77年録音の第5で,最後が79年の第9。
あとは78年に一気にライブ録音された。
ベーレンライター版の新全集が世に出る10年以上前のことである。
旧全集版による最後の名演とでも形容としたら良いのだろうか。
颯爽としたテンポと,シェイプされた鋭敏なリズム。
抉りの効いたダイナミズム。
そして,新大陸の活力と欧州の伝統の幸福な融合・・・。
この第3番「エロイカ」は,決然とした明るい響で始まる。
推進力と弾力に満ちた進行と,明るく弾けるような音色とリズム。
コンマスは,93年にザルツで亡くなった故ゲルハルト・ヘッツェル。
アクセントの効いた硬質なティンパニは,先頃水戸室内管弦楽団へも客演した,ローラント・アルトマン。
ホルンの首席はギュンター・ヘグナー,フルートは,ウォルフガング・シュルツ,オーボエは,アルフレート・トレチェク,そしてチェロの首席はノルベルト・シャイヴァインだろうか・・・。
当時のウィーンフィルが,如何に高水準にあったかを物語ると同時に,停滞なんかとは無縁な,一瞬たりともダルな瞬間の無い見事な演奏が,精神を鼓舞して止まない・・・。
疲れたり,凹んだりした時は,これを聴いて精神力を高揚させるに限る。
そう,停滞なんかしていられない・・・。