確か吉川英治の「新平家物語」だったと思う。
平治の乱が終結し,首魁だった藤原信頼が捕らえられ,京の刑場(多分六条河原)で勝者である平氏によって斬られる。
実際に戦闘は源氏の長たる源義朝に任せただけではなく,敵を目の前にして逃亡し捕らえられて斬られるという余り名誉ある最期ではなかった。
その信頼の亡骸を彼の生前にひどい目にあったという者が竹でめった打ちにする,という場面があった。
それを見た平氏の長,清盛はその者を捕らえ,即刻断罪した(首を刎ねたのか追放したのか,手元に原作がないので確かめられないが)。
「新平家」は清盛の果断な性格に光を当て,今までの概念を覆した国民文学の名著だと思うが,清盛がただの成り上がり者ではなく,人情に厚い人間であったことを物語る重要なエピソードだと思う。
仏教の世界では死すれば皆仏である。
そこには現世における恩讐は関係ない。
先月30日に死刑に処されたイラクのサダム・フセイン元大統領の死刑執行時の映像が横流しになったことは知られているが,今度は死刑後の様子を捉えた映像も流布したという。米国ではフセインの絞首刑の真似をして2人の子どもが誤って命を失ったそうだが,父親はその子どもに「最高に悪いことをした人だ」と教えていたそうだ。
フセインは従容として刑場の露と消えたという。
人間最期の時に真価が問われると言われるが,生前の行為は別として見事な最期であったと思う。
その様子を流布するなどというのは,まさに死者に鞭打つことにならないだろうか・・・。
流したのは回教徒なのか耶蘇教徒なのか,確かめるべくもない。
しかし,彼等の行為は我が国の800年以上も前の為政者の足下にも及ばない。
これ以上今は亡き一人の人間の尊厳を貶めることのないことを願いたい。
勿論,異教徒・異民族に対して行った彼の行為は許されざるものである。
しかし,それを断罪したのは,かつて1979年の隣国の革命以降彼の国を支援し,国益最優先の某大国なのであるから,不条理甚だしきものがある。
願わくは,世の多くの人がフセイン=イラク=悪,米英=正義,などという上っ面だけの単純論に陥らないことを願う。
何度も言うが,国際級の紛争・戦争に善悪や正義など無いのであるから・・・。
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