私の家では、「ごめんなさい」は禁止です。
かわりに「ありがとう」を使います。
仕事場では、「ごめんなさい」は、ありになっています。
ごめんなさいの代わりにありがとうを使うことは、一瞬「全部は無理でしょう」と思ってしまいます。
しかし、少し視点を変えると可能になりそうです。
「××で、迷惑をかけてしまった」「ごめんなさい」
↓
「××で、迷惑をかけてしまったのに、文句を言わなかった」「ありがとう」
「興奮して、ついきついことを言ってしまった」「ごめんなさい」
↓
「興奮して、ついきついことを言ってしまったのに、本心に気づいてくれた」「ありがとう」
「きついことを言ったのに、ちゃんと聞いてくれた」「ありがとう」
「××すればいいよ。というのが間違ってた」「ごめんなさい」
↓
「××すればいいよ。というのが間違ってたのに、平気だよと言ってくれた」「ありがとう」
いくつか考えていくと、「素直さ」が大事なことに気が付きます。
「間違ってた」というのを認める素直さです。本当は、難しくありません。認められないのは、「認めると××になってしまう」という不利益な未来を予測するからでしょう。
素直な直感で感じ取れば、全ての人は正しいことを知っています。
「俺は間違っていない」と言ってしまうと多くの場合は、対立が発生すると思います。(一人で頑張らないといけない場面もありますが)
弱い私は、言ってしまうと引っ込みがつきません。
そうなる前に、認めることさえ出来れば、「ありがとう」につながる関係が生まれます。
「この事象(話や出来事)の本当の意味はなんだろう?」「この事象から何を学べるだろう」と考えることが出来れば、何にでも感謝することができます。
怒りがこみ上げたときが、意外とチャンスです。
そのときに、事象と自分自身の感情を見つめるチャンスがやってきます。
そして、「ありがとう」に変えるにはどうしたらよいかを問うことが出来れば、出来事・人間関係のストレスから解放される自分作りのチャンスになります。
一度おためしあれ。
かわりに「ありがとう」を使います。
仕事場では、「ごめんなさい」は、ありになっています。
ごめんなさいの代わりにありがとうを使うことは、一瞬「全部は無理でしょう」と思ってしまいます。
しかし、少し視点を変えると可能になりそうです。
「××で、迷惑をかけてしまった」「ごめんなさい」
↓
「××で、迷惑をかけてしまったのに、文句を言わなかった」「ありがとう」
「興奮して、ついきついことを言ってしまった」「ごめんなさい」
↓
「興奮して、ついきついことを言ってしまったのに、本心に気づいてくれた」「ありがとう」
「きついことを言ったのに、ちゃんと聞いてくれた」「ありがとう」
「××すればいいよ。というのが間違ってた」「ごめんなさい」
↓
「××すればいいよ。というのが間違ってたのに、平気だよと言ってくれた」「ありがとう」
いくつか考えていくと、「素直さ」が大事なことに気が付きます。
「間違ってた」というのを認める素直さです。本当は、難しくありません。認められないのは、「認めると××になってしまう」という不利益な未来を予測するからでしょう。
素直な直感で感じ取れば、全ての人は正しいことを知っています。
「俺は間違っていない」と言ってしまうと多くの場合は、対立が発生すると思います。(一人で頑張らないといけない場面もありますが)
弱い私は、言ってしまうと引っ込みがつきません。
そうなる前に、認めることさえ出来れば、「ありがとう」につながる関係が生まれます。
「この事象(話や出来事)の本当の意味はなんだろう?」「この事象から何を学べるだろう」と考えることが出来れば、何にでも感謝することができます。
怒りがこみ上げたときが、意外とチャンスです。
そのときに、事象と自分自身の感情を見つめるチャンスがやってきます。
そして、「ありがとう」に変えるにはどうしたらよいかを問うことが出来れば、出来事・人間関係のストレスから解放される自分作りのチャンスになります。
一度おためしあれ。
とても素敵な提案ですね。
そういう目でみると、随分いろいろなことで、無駄な言葉を使っているように思います。
早速私もやってみようと思います。
ありがとうございます。
いらっしゃいませ。yohkoさん。
ことばの持つ波動は、軽視できないようです。
「ありがとう」や「愛」の持つ波動(ことばの響きと言ってもよい)は、すごくよく、その音だけで何か、よい感じを受けます。
逆に波動の低いことばは、単純に嫌な気分になります。
ことばを大切にし、乱れた波動のことばを世の中から無くしたいですね。
みんなでやれば、どんどん変化が波及すると思います。
ありがとうございました。