昨晩の荒尾中央小学校道場は前に少年スポーツらしい団体が使っていた。
そして我々使用時刻午後7時に迫っても終わる気配がない。
7時から使うと責任者に告げて、結局練習が終わり皆がその場を出たのは7時10分程。
我々の感覚は、後片付けなと終えて時刻までには撤収するのに、今のスポーツ団体とはそんなもの?
その場には子供たち40人程と迎えに来ている保護者多数。
そして感じた事、
保護者達は終わり時刻が迫り、側で空きを待っている私たちを見て何とも思わないのだろうかと。
時間も守らずのいい加減さを見せて我が子の教育になるのか、恥ずかしくはないのかと?
今のスポーツとはルールを守るようにとは教えないの?
守れと教えても、時間は守らなくても良いと教えている?
指導する大人が保護者がルーズな見本を示している。
子供たちも良い勉強の場になった事だろう、「時間は守らなくて良いんだ」と。
何と素晴らしいスポーツ教育?
自身のコロナ感染は無く、まだ抵抗力は有るようだ。
半世紀以上身体を動かし、今でも子供たちと一緒に動いていれば少しは違うのだろう。
強さとは何だろうと考えるに色んな意味で、何時(何歳)まで他人の助けを受けず借りずに動けるかの能力だと思う。
空手の中には強さを謳う道場も多いけれど、素手での闘いは手に物(武器に値する物)を持った時点ですでに終わっている。
それは1968年のSF映画、2001年宇宙の旅の類人猿同士の戦いで象徴的に描かれる。
今はそれが弾丸やミサイルに変わり、究極は核兵器になっているのだから。
となると強い強いと喧伝する空手は要らない、むしろ「能ある鷹は・・」の実社会に出てからの人間力。
会の子達にはそうなって欲しいそれは内に秘めて、見せる強さは要らない。
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2001年宇宙の旅はスタンリー・キューブリック製作監督の作品で1968年のSF映画。
上の説明は類人猿が相手グループとの戦いで動物の骨を持ち、打ちのめすシーンとして始まりから16~19分頃に描かれ、素手での戦いは終わったと暗示させる演出は凄いイメージとして残っている。
何とも不思議なモノリスの出現や、宇宙船内コンピューターの造反などを描いた作品で、派手なアクションシーンを期待する人には解らない抒情(事)的SF映画。