笑顔君の物語は、淡々と
その時の出来事を書いてしまって
私の心情は書いてないことに気が付く
だから別にして平行して書いていく
笑顔君がおなかの中に来てくれた時
父が白血病で入院していた。
だから切迫流産で入院しても
母は父の付き添いでいたので
一人で心細く入院していた。
最初の赤ちゃんは稽留流産だった。
付き添いはいらないと母が帰ったら
夫さんの両親がやって来て
なんで流産するんだと責めに来た。
産めるものなら産むわよ
お腹の中でお空に帰ってしまったのに
後3日で3か月になるから
それまでお腹に入れておけと夫さん
3か月だと出産祝い金が出るからだと
私の体よりお金かよ
これには産科の先生たちも怒ってた
それに胞状奇胎でもあったため
高熱が出て1か月入院した。
その後妊娠の許可が出るまでは
妊娠出来なかった。
それから笑顔君がやってくるまでは
私だけが、責められた。
子宝の湯だとか
子宝神社の秘伝とか
私だけ不妊の検査とか
最初の赤ちゃんのことを知らない人達に
遊んでないで早くつくったらとか言われて
そんなこんな時笑顔君がやって来た。
うれしかったしこの腕に抱きしめたかった。
約2週間で退院予定だったけど
家に母がいないこともあり
ベテランの看護師さんが
安定するまで置いてもらったほうがいいと
言ってくれたので、安定期に入るまで
入院していた。
ただ、何もしないで置くわけにはいかないと
1日おきに流産止める点滴をされていた。
ちょっとの出血だったのに
日程君の時も初期に出血したけど
なんの治療もしなかったから
不要の治療されていたのかもと思うと
この薬の影響は笑顔君になかったのか
わからないけど・・・・
笑顔君安定期に入る頃
父が8か月の闘病の末亡くなった。
58歳だった。もう父の歳を超えた私
妊婦だったから、葬式には参加出来なかった。
そんな悲しみの中
笑顔君の妊娠は喜びをもたらした。
赤ちゃん用品を買ったり
名前を考えたりとみんな笑顔になった。
そして7か月にはいった頃
激しい頭痛と呼吸困難になり
切迫早産にもなってまた入院になった。
張り止めの点滴の毎日
点滴外すとお腹が張る張る
点滴の針さすとこなくなった。
そして10か月になったから
一旦退院になった。
そして予定日に陣痛が10分間隔できたので
産婦人科医院まで車で50分もかかるから
早めに入院することになった。
だんだん陣痛の間隔が5分おきになって
診察したけどまだ子宮口があいていないからと
羊水の袋を破って陣痛促進させることになった。
お腹の中で笑顔君が苦しくなって
動かなくなると看護師さんがお腹を揺すって
動かすということを3日もほっとかれて
次の子のために産道を広げておいた方がいいとかで
羊水も緑色になってきたのに
でも、3日目ベテランの看護師さん2人の時
昼休みでどこかへ行こうとした医師を踏んず構えて(笑
緊急帝王切開してくれた。
帝王切開になるから夫さんに来てほしいと
電話をするが、仕事だからと来なかった。
会社に言えば帰してくれただろうに😠
臍の緒が巻き付いていて産声を上げなかった。
でも、その後の措置が良かったのか
生きて産まれて来た。真っ白な顔色で
母子手帳には胎児仮死帝王切開と
ハンコが押されていたけど
帝王切開と胎児仮死はセットなので
あまり気にしないようにと言われた。
産声聞こえなかったんだぞ~~
仮死状態で産まれたんでしょ(怒
産院は母子同室じゃなくて
ミルクの時間になったら
新生児室に飲ませに行く
だから、なにかあっても
私はわからなかったよね
そして退院してきて
母の知り合いの助産師さんに
おっぱいマッサージしてもらった。
でもミルクを飲む力がないのか
おっぱい吸えなかったよね
産後21日の床上げのお祝いの宴をして
みんなに抱っこしてもらって
夫さんがフラッシュたいて写真撮影
このフラッシュも原因かしら?
このころからちょっとピクピク
そして生後24日目の夜から
頻繁にピクピク左口角や目の横が
うーうー唸るので
時計を見ながら記録
尋常じゃなかったから
地元の県立病院に電話したら断るなんて
役に立たない病院だ(--〆)
総合病院に入院の時
最初こそは夫さんが送ってくれたけど
何回も入退院すると
ぼく、明日仕事だからと言って
送ってくれなくなった。
だんだん当てにしなくなっていった。
市民病院に入院して「てんかん」の
診断が下ると
家の家系にはいないとのたまう夫さん。
救急救命センターに移ることに
なった時は、母も一緒に付き添いを
お願いしたけれど看護師さんに却下され
面会時間が終わって母は帰って行った電車で
携帯電話なんて持ってない時代
心細くて夫さんに電話するも
泣いてもしょうがないでしょと言われ
ばあちゃんが帰ってきたら送っていくから
待ってなさいとつっけんどんな言い方
期待はしてなかったよ、でももっと
寄り添って欲しかったな
この頃から夫さん抜きで子育て
していた気がする