忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

荒れる結婚式と荒れる入社式がない理由

2011年01月12日 | 過去記事
今年の成人式も楽しかったようだが、左翼の植民地である沖縄でも大層盛り上がったようで結構なことだ。羽織袴を着た新成人がオープンカーに数人、飲酒運転で蛇行運転を繰り返し、停車させた警察官にも掴みかかる元気の良さだ。

そういえば一昨年だったか、テレビで「荒れる成人式」とかやっていたら、私の大嫌いな「高野孟」とかいうコメンテーターが「これ、警察もどうですかね?煽っていることになりませんか?」と言って擁護したからひっくり返ったことがあった。つまり、警備する警察がいるから、新成人が暴れるのだという論理だった。今年も面白コメントを期待していたのだが、残念がならテレビを見ていなかった。このクソのようなジジイは「日本兵に腕を切られた中国人の話」が大好きで、涙ながらに日本軍の悪行を伝える仕事をしているが、それを西尾幹二氏に「そんなの有名な作り話だ」とツッコまれたら激昂して暴言を吐いたこともあった。お若い。

しかしまあ、私も年を取ったから、こういう「若気の至り」は大目にみたい。サルはサルだからサルなのであり、馬鹿は死んでも治らない。それにこれほどの馬鹿ザルならば、左翼集会の人員として動員される程度の役割しかなく死んでいくわけだから、日本にとっても大きな害でもない。と、まあ、私がそれよりも不気味に感じるのはこっちだ。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110110-OYT1T00122.htm?from=top
<自立はいつ?…成人式、目立つ親子同伴>

冗談みたいだが、最近の親は子の「入社式」やら「面接」にまでついて行くとか。パチンコ屋のときも「欠勤の電話を親がしてきた」から驚いたこともあった。その「子供」は20代半ばだった。私は「職場は学校ではありませんから、本人に連絡させてください」と言うのが精一杯だったが、あと、もうすっかり大人であるのに、退社後に荷物を取りに来たのが「お姉ちゃん」だったりするのもいた。気不味いのはわかるが、いやはや、どうしたものか。ま、記事を読んでみよう。



<8日、金沢市石引の「本多の森ホール」で開かれた成人式では、約800人の新成人が出席。その周囲をコの字に取り囲むように座っていたのが、普段着姿の保護者たち、その数は約150人に上った。
 
同市田上新町の男性会社員(47)は、会社を休んで娘の晴れ姿を見に来ていた。「20歳はまだまだ子ども。就職して社会人になるまでは責任を持って、面倒を見ないと」と目尻を下げていた。
 
企画者の一人で、俵公民館の主事を務める小倉弘美さんは「5年前は、成人代表者の保護者が来ていただけだったのに」と驚きを隠せない様子だった。
 
9日に市内のホテルで開催された式でも、新成人220人が座る後方で、60人の保護者が3列になり、真剣な表情でビデオカメラを回していた。列にいた男性会社員(50)は、「成人式は単なるお祭り。家族で楽しむものだ」とあっけらかんと話していた。
 
親子同伴の成人式について、新成人の間からは「仲がいいのは良いこと。見たいなら来てもいい」「育ててくれたし当然」との声も上がり、当然と受け止めている人も多いようだ。しかし、同市の大学2年生の男性は(20)は、「学生で経済的には親に依存しているものの、成人式は自立の出発点。親が来るのはおかしい」といい、親子で出席する同世代の感覚に首をかしげていた>



この男性会社員(47)もおかしなことを言う。親から面倒を見てもらわなくなることを「社会人」という。「社会人になるまで面倒を見ないと」とは、我が子が初めて自転車に乗る荷台を支えながら「手を離しても運転できるまで手を離さない」と言っているほどの矛盾である。もはや馬鹿が過ぎてどうしようもない。こんなの63歳児の鳩山前総理と同じく、後ろで親が面倒をみている限り、その子は保護者に面倒を見てもらう児童である。

次の50歳の男性会社員もおかしい。<成人式は単なるお祭り。家族で楽しむものだ>というなら家の金でヤレ。また、それをいうのは「結婚式」のときだ。あれほど私的な行為もあるまいから、本人らが十分楽しんでやっている姿こそ、参加者も幸せな気分で楽しめることになっている。公式なモノを「単なるお祭り。家族で楽しむ」とする感覚からは、とても「新成人として社会の一員になる」という自覚は期待できそうもない。

また、親ならばそういう「子の晴れ姿」が「みたい」のと「汚す」のとどちらを優先させるかは大事なところだ。例えば、私は娘の結婚式には渋々ながらも出席した。バージンロードも歩いた。ぜんぜん感無量にもならなかった。どころか、スッとボケた顔で待つトカゲに殴りかかりそうで、それを我慢するのが精一杯だった。新郎気取りのトカゲ野郎に、これまで大事に育ててきた娘を渡さねばならない屈辱、不条理、爬虫類、いろんなことが頭を巡り、私はずっと機嫌が悪かった。しかし、だ。

娘が初めてアルバイトしたとき、妻とこっそりストーキングしに行ったことがある。レジ打ちのバイトだったが、私は妻に止められるまで、正面入り口のガラスに張り付いてずっとみていた。もう少しで通報されるところだった。警備員がめっちゃ見てた。しかし、娘が真面目な顔して「いらっしゃいませ」とかやっているのをみると、もう、涙が出てきてどうしようもなかった。これが「親の気持ち」だと思う。

それでも娘の成人式にはついて行かなかった。妻もだ。そもそも「ついて行く」という発想もなかったし、娘も当然ながら「なんで?かんべんしてw」と言ったことだろうと思う。だって、そういう風に育てたからだ。

もちろん、着付けやらなんやらは妻がついて行ったし、写真もたくさん撮っていた。また、娘もリアルタイムで写メとかはくれた。妻と「同じ画像」を見せあいっこもした。「これみてこれみて!」「おんなじ写真やんけ!」を12回繰り返した。トカゲも「おとーさん!この写真みてください!」とか言うから「持ってるわい!おとーさんいうな!それよりも貴様、嫁が成人式とかどういうAVだ、それは?」とかでからんで殺して埋めた。また、それらを急いでパソコンに取り込み、スライドショーを夫婦で見ながら大騒ぎした。

でも、ついては行かない。それは「晴れ舞台を汚す」ことになるからだ。社会人の一員になることの妨げにもなろう。もう、我々は保護者ではなく、娘も保護者の管理下にある児童ではない。単なる「親と子」の関係である。どこにでもある「親子関係」に過ぎない。

最悪、どーしても「観に行きたい!」と我慢できぬなら、我ら夫婦のように「こっそりと」が原則であろう。偶然、その近くのコンビニで2時間いたとか、道に迷っていたら奇跡のタイミングでみかけた、などという状況を作り出さねばならない。「カメラを回す」なども友人らに任せておけばいい。子供は子供の世界を作るし、また、それは作らせねばならない。いつまでも干渉したい気持ちは死ぬほどわかるが、子供が可愛いならば知らん顔すべきだ。



しかし、まあ、これら馬鹿親の出現は当然と言えば当然であった。彼らは成人式の前に、親も同伴する義務教育における「入学式」や「卒業式」を壊してきたのだから、20歳になったとはいえ公的な儀式に対応できるはずもない。自分らが主役なのに自分らが好きなようにやって何が悪いのか?と本気で考えていることだろう。嘆かわしいことだ。


これらは言うまでもなく、日教組らによる儀式の破壊、あるいは「権威」というものに対する拒絶からなる「人格破綻者」の大量生産であった。教師も親も友達であり、人類はすべからく平等に存在するという出鱈目を正当化するための破壊工作の堂々たる結果である。

「荒れる成人式」を擁護するつもりは毛頭ないが、それならそれで「ちゃんと参加するなど馬鹿らしい」というサルが出現しても、何ら不思議ではないほどの「儀式の無意味化」を許してしまったのだ。今ではもう、国会議員が秋篠宮殿下に「早く座れ」という無残である。成人式だけマトモに行われる、などと思うほうがどうかしているのだ。

元鎌倉市議の伊藤玲子女史は「まっとうな教育」を推進しておられたが、市議を辞めてからも「建て直そう日本」という女性塾などを通じて学校教育に対する警鐘を鳴らし続けている。伊藤氏の著書でも日教組教育による惨状を取り上げておられるが、今更ながら、それはもう酷いものである。いわゆる「モンスターペアレンツ」というのも、もはや戦後教育を受けた世代のことであり、日教組の「日本人破壊工作」はすでに数段階を達成しており、もうすぐその成果を目の当たりにすることになろう。我々は「万引きをした子供の親」が「金払えばいい」とする非常識に愕然とするが、それ以前に日教組教育における「万引きもひとつの経験」という腐臭のする連中を教育の場から追い出さねばならないのである。

伊藤氏は卒業式における「頂きます」に4年間費やした、と書かれている。どういうことかといえば、卒業証書を受け取る生徒が「今日、わたしたちは卒業証書を手にします」と言うのを聞いて、在職中の伊藤氏は大変おどろくことになる。それはそうだろう。「手にする」という表現は、あまりにおかしすぎる。主体性があり過ぎるのだ。

会社で昇進した人間が、帰りの赤提灯ではなく、辞令を受け取る際の挨拶として「今日、わたしは部長昇進の辞令を手にしたわけですが・・」とやれば、どれほど傲慢な人間かと疑われることになる。ここはやはり「公的な表現」としては「辞令を頂きましたが・・」とするのが常識というものだ。これを日教組は嫌がる。変態なのだ。

翌年には「受け取ります」に変更されていたという。鎌倉市の日教組が悩んで変更したのだろうが、その思考経路の節々から気味の悪い妥協が垣間見える。伊藤氏はこれにも注意すると、その翌年からはついに「卒業証書」という文言が消えたと呆れておられる。「わたしたちは今日、卒業してゆきます」だったとのことだ。何が何でも子供らに「頂きます」と言わせてたまるかという怨念が感じられる。

ちなみに日教組の言い分は「教師も親もなく、人間とは全て平等だと教えているから」という破廉恥なものだった。そもそも彼らの言う「手にする」とは権利のことだ。闘争を経て「権利を勝ち取る」という表現を好む変態の集団だから、生徒は卒業することで晴れて「自由を手にする」とでも言いたいのだろう。まあ、こんなのに我が子を預けているのかと思うと、実に不気味でたまらない。さすがは民主党の支援組織である。

日教組は認めたくないだろうが、物事には何でも順序というものがある。だから成人式を正すには高校の卒業式からだ。中学の卒業式からだ。先ずは公的な儀式であるのに国旗国歌を外す変態教師どもを外さねばならない。政治を取り戻すのも急を要するが、日教組から「日本の子供達」を取り戻すのも急がれる。

4 コメント

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Unknown (久代千代太郎)
2011-01-16 13:04:34
>からす さん

もうすぐ「葬式」まで親が付いてきますね。


親:「この子が一人で死ねるか心配で死ねない」


ww



>し様


そうか、子供も嫌がれよ、ということだなw

そんな我が家の倅は4月から2万円徴収w20歳からは5万円。これでも良心的!



>し様


そうか、子供も嫌がれよ、ということだなw

そんな我が家の倅は4月から2万円徴収w20歳からは5万円。これでも良心的!
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びっくり ()
2011-01-15 23:04:29
とんでもないですねー。
それに違和感を覚えない子供が気持ち悪い。

そりゃ~~親が就職の手伝いをするわけだ……。
私の就活の時期(2003年)には「えっ、親にリクルートスーツ代出してもらうの!?
面接の交通費まで?」という風に衝撃を受けたもんですが…

過保護を通り越して自立の妨げでしかないですよね。
そんな親に育てられた子供が不憫…。
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びっくり ()
2011-01-15 23:04:17
とんでもないですねー。
違和感を覚えない子供が気持ち悪い。

そりゃ~~親が就職の手伝いをするわけだ……。
私の就活の時期(2003年)には「えっ、親にリクルートスーツ代出してもらうの!?
面接の交通費まで?」という風に衝撃を受けたもんですが…

過保護を通り越して自立の妨げでしかないですよね。
そんな親に育てられた子供が不憫…。
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Unknown (karasu)
2011-01-15 13:04:02
やはり現実はここまできていたのか・・

先週だかに、友人と成人式に親が付いて来るなんてことは、まあ、ないだろうなーとか言う話しをしたばかりでしたから・・
やはりと言うか、呆れましたね

親は親だ!
子は子だ!

やがて、子は親となり

見習うのは親・・


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