■2009/07/03 (金) 歯が痛い理由→「歯医者があるから」1
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090703/stt0907031200008-n1.htm
<「決戦の夏がやってきた」 鳩山民主党代表が第一声>
<コンクリートよりも人を大切にする政治をつくる夜明けがやってきた。民主党を通じてこの国を私たちの手に取り戻す。>
・・・・・。
なるほど。さすがは友愛戦士。
金>>>>>ひと(支那朝鮮人)>>>はと>>コンクリート>>>ひと(日本人)
,..--‐‐‐‐‐‐‐‐---..
/::::ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)
.|::::::::::/ ヽヽ
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||/〔.|」;| -=・=‐ .‐=・-.|
〔 ノ´`ゝ 'ー-‐' ヽ. ー' |
ノ ノ^,-,、. /(_,、_,)ヽ |
/´ ´ ' , ^ヽ / ___ .| もしもし?
/ ヽ ノ'\ノエェェエ> | 鳩山由紀夫を告発する会ですけど
人 ノ \/ ー--‐ /|:\_
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・・・・・。
・・・・・。車の中でテレビを見てた(音だけ)。TBSだ。
「2」へ
■2009/07/03 (金) 歯が痛い理由→「歯医者があるから」2
水戸黄門の再放送が視聴率トップという放送局は、私に感謝すべし。誰も見てないTBSをちゃんと見てあげているのだぞ(音だけ)。らいよぉ~~ん!
こんなニュースがあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090702-00000471-yom-soci
<「刃物手に突進」強盗未遂男に警官発砲、腹部に命中→逮捕>
農協に包丁持った男が強盗にやってきて、お巡りさんが駆け付けたら刃物振りかざして襲ってきたから、鉄砲でパキューン!って撃ったらお腹にあたって犯人のおっさんぶっ倒れたから逮捕しましたおしまい。というだけの話であったのだが・・・
この出演者のおっさんの発言で、私はびっくらぽんとなり、誰もいない車の中で「はぁぁぁああ??」と声を出してしまった。らいよお~~ん!
おっさん:「この発砲については“正当性”を調査しなければなりませんね、」
「正当性」という言葉を使った。あまりに酷い言葉である。ここは100歩譲ってサヨクチックに申しても、だ。「適正」という言葉を使わねばなるまい。つまり、
『拳銃の発砲に関しては、これが適正だったかどうかを調査せねばなりません。』
となる。これならば、それはそうかもしれんと納得してもいい。しかし、「正当だったかどうか」となれば、話は別である。この強盗犯に「正当性」がないのは自明であり、その逮捕に関する一連の行動にこそ「正当性」とやらはあるのである。
問題は「拳銃の発射が適正だったのか」、つまり、「拳銃を発射」せずとも逮捕できた可能性がどれほどあったのか、また、その際に発生する警察官への危険性はどの程度だったのか、を吟味するならば、100歩譲ってわかるというのである。
ここで意図的に「正当性」という言葉を使用する場合、これは「武器を使用する必要性」自体を問う意味となり、つまるところ、「犯人の人権」や「犯人の生命」におけるフォローはどうなっているのかという問題提起ともいえる。
「3」へ
■2009/07/03 (金) 歯が痛い理由→「歯医者があるから」3
またこれは「強盗したくらいでさえ、拳銃で撃たれるのか?」もしくは「警察官個人の判断で、万が一、犯人を射殺してしまう可能性がある武器を使用してよいのか?」というクレームですらあるのだ。もちろん言うまでもなく、警察官の安全などは二の次であり、拳銃という武器、公権力というものを暴力装置とみなした発言である。
このTBSの出演者のような感覚は、例えば「田母神論文」に端を発したシビリアンコントロールに関する問題や、インド洋で海賊対策を担う海上自衛隊に対する批判、あるいは北朝鮮の弾道ミサイルに対する迎撃ミサイルへの避難などと通ずる、左派売国勢力の「論点すり替え」による危険なプロパガンダなのである。
例えば、この出演者が夜道に暴漢に襲われ、刃物を突き付けられたとする。そこには明白な殺意を感じるとしよう。金を出しても拒絶され、命乞いをしても許してくれないと悟り、もはやこれまで、絶望と恐怖の中で放心状態になったそのとき、一発の銃声が響きわたり暴漢はもんどりうって倒れこむ。呆気にとられていると、「お怪我はありませんか?」という警察官の声。両脇を抱きかかえられ静かに立たせてもらうと、あとから数人の警察官が暴漢を連れて行った。そして、言うのだ。
「今の発砲に正当性はあったのか??」
これは過日、海上自衛隊派遣反対を声高に発する社民党に属する「辻本清美」が運営するピースボートが、まさにそのインド洋を航行する際に「反対していた」にもかかわらず派遣された海上自衛隊に護衛してもらうという恥知らずな、恩知らずな連中と似るのだ。
-
また―――――
最近、つくづく感じるのだが、左派売国勢力などが主張する「憲法9条」や「反戦平和」あるいは「死刑制度反対」や警察や自衛隊に対する「武器の使用」を殊更に問題視する論調などから感じ取れるのは「恥知らず・恩知らず」という感想が共通するのである。
例えば「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺」や「沖縄の集団自決」などの、いわゆる「旧日本軍悪玉史観」による過去の日本、及び、日本人に対する愚劣な捏造においては、もう、恩知らずでは済まされない“悪の巨塊”(笑)であるが、その腐ったイデオロギー臭漂う言動すべてが哀れな「恥知らず・恩知らず」であると思う。
「4」へ
■2009/07/03 (金) 歯が痛い理由→「歯医者があるから」4
よく「あの戦争に踏み切ったこと自体が愚かであった」と左側から聞こえる。そして右のほうに耳を傾けると「じゃあ、戦争を避ける手段はあったのか?」と問う声が聞こえてくる。んで、いやいや、そうじゃない、あのときはこうだった、いや、それは間違い、こうだったとされている、なんの、じゃあ、これはどうなんだと、議論が展開されるわけだ。
そして、様々な事件や出来事において、双方の「言い分」が垂れ流されることになる。ちなみに量が多いのは左側だった。また、現状、できるだけ公平に見るに左側は「量で勝負だった。それだけだった。」と明白になりつつもある。細部がどうでもよくなっている、くだらない大味な議論がまかり通ってきたわけだ。それがインターネットの普及により、少しずつ状況が変わってきた。しかし、あんなものたかが便所の落書き、ノイズマイノリティだと、内心ビクビクしながら馬鹿にしてきた左派売国勢力ではあったが、実のところ、それらは真の意味でのサイレントマジョリティだったと明白になりつつある。
いずれにしても、遠くない過去において、だ。その当時の日本人は必死になって生きていたわけだ。それでも生き抜いて行こうと耐え忍んでいたわけである。そして、当時の日本、及び、日本人が「ただ生きていく」だけでなく、どう生きていくのか、なぜ生きていくのかを懸命に考えた形跡というものは厳然としてある。左派売国勢力のいう「あの戦争」へと突入していったのもまさにそれなのである。
「ただ生きていく」だけで良しとするならば、左派売国勢力の言うとおりでいい。
最初から両手を挙げてヘラヘラと降参する日本人をアメリカも皆殺しにはしまい。名実共にアメリカの保護国として暮らしていけばいい。他国のように「米ドル」を通貨とし、英語を公用語とし、明日、4日になればアメリカの自由と独立を列島は「州をあげて」祝うことになろう。小浜氏の「オバマガール」も馬鹿にされまい。極東に浮かぶ列島に「黄色いアメリカ人」が存在する。ただ、それだけの話なのだから。
「5」へ
■2009/07/03 (金) 歯が痛い理由→「歯医者があるから」5
しかし、言うまでもなく、当時の日本人たちはそうしなかった。だから、今現在も日本国は主権国家なのである。だから総選挙もできるし、マスコミはそれを政治ショーにしてメシを喰えるのではないか。だから、左派売国勢力も「国を売る」ことができるのだ。
また、それらは現在においてもそうなのである。
改革クラブの西村眞吾先生は「国防は最大の福祉である」という。まったくその通りなのだが、自衛隊が日本国を護るのも、警察官が日本国民を護るのも、火事になったら消防車がきて、急病なら救急車がくるのは、すべからく福祉なのであり、日本国民、あるいは日本に住む外国人でさえ、それらの公共サービスは受けることができる。
左派売国勢力は地震で家屋の下敷きになり、火の手が迫って死を確信したとき、自らの命を危険に晒しながらも救助に駆けつける自衛隊や救助隊をして、「税金払ってるんだから当然じゃん」と言えるのか。たかが「金」で生命を賭して、どこの誰があなたを助けてくれるのか。夫婦喧嘩から交通事故まで、このあくまで「個人的な出来事」に対して、真摯に対応してくれること自体が「国がしてくれること」ではないのか。
それとも、弁護士を雇うように「警察官も雇う」ような国がいいのか。自分たちの生活と安全を護ってくれる組織や人に対して、もう少し敬うべきではないのか。あまつさえ、それらを唾棄し、蛇蝎のごとく忌み嫌う、それもイデオロギーで、偽善で、付き合いで、金儲けで、保身でとは、なんたる「恥知らず・恩知らず」なのか。
「6」へ
■2009/07/03 (金) 歯が痛い理由→「歯医者があるから」6
身勝手な理由で人様を脅し、もしくは傷つける、命を奪うかもしれない強盗犯に対し、それを防ぐ、あるいは被害を出さないために、例え額を打ち抜いたとしても、それは仕方のないことではないのか。少なくとも、ピストルで撃たれる覚悟のない「農協を襲う強盗犯」は減少するだろう。しかも、マスコミなどは、だ。もし、この警官が発砲せず、農協の客に死傷者でも出れば叩くと知れているのだ。実に「恥知らず」なことである。
-
これらも擦り切れるほど言われていることだが、例えば、「憲法9条はすばらしい!」という連中が北の将軍様を説き伏せ、核放棄させて拉致被害者奪還を成したならば、いくらでも「布教活動」してもいい。というか、すべきなのである。まさに「一発の銃弾」も使用せず、支那のミサイルを撤去し、チベットを開放し、東トリキスタンを開放し、民主的な国家に生まれ変わらせたのならば、「世界9条」として崇めてもいい。というか、すべきだ。
平和な日本国内で、言論の自由も、集会の自由も保障されている日本国内で騒いでいる左派売国勢力とは、そう、まるで、大人しい子供を集めて「ケンカはダメよ」と言っている阿呆教師に等しいのだ。隣のクラス、隣の校舎では話の通じん不良どもが釘バットを持って闊歩しているのに、それは見ない、見えない、もしくは小さい声で非難するのである。
「無防備宣言」とか「反戦平和」などという戯言は、ナイフをチラつかせる不良どもの眼前に立ちはだかり、
「ナイフを捨てろ!」
と言える者が訴えるときのみ心を打つ。人に響くのである。
ゴキブリがいるから殺虫剤はある。犯罪があるから警察がある。火事があるから消防署はある。病気があるから病院もある。交通事故があるから保険は成り立つ。
ミサイルを撃ち込んでくる国があるから国防は必要なのである。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090703/stt0907031200008-n1.htm
<「決戦の夏がやってきた」 鳩山民主党代表が第一声>
<コンクリートよりも人を大切にする政治をつくる夜明けがやってきた。民主党を通じてこの国を私たちの手に取り戻す。>
・・・・・。
なるほど。さすがは友愛戦士。
金>>>>>ひと(支那朝鮮人)>>>はと>>コンクリート>>>ひと(日本人)
,..--‐‐‐‐‐‐‐‐---..
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・・・・・。車の中でテレビを見てた(音だけ)。TBSだ。
「2」へ
■2009/07/03 (金) 歯が痛い理由→「歯医者があるから」2
水戸黄門の再放送が視聴率トップという放送局は、私に感謝すべし。誰も見てないTBSをちゃんと見てあげているのだぞ(音だけ)。らいよぉ~~ん!
こんなニュースがあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090702-00000471-yom-soci
<「刃物手に突進」強盗未遂男に警官発砲、腹部に命中→逮捕>
農協に包丁持った男が強盗にやってきて、お巡りさんが駆け付けたら刃物振りかざして襲ってきたから、鉄砲でパキューン!って撃ったらお腹にあたって犯人のおっさんぶっ倒れたから逮捕しましたおしまい。というだけの話であったのだが・・・
この出演者のおっさんの発言で、私はびっくらぽんとなり、誰もいない車の中で「はぁぁぁああ??」と声を出してしまった。らいよお~~ん!
おっさん:「この発砲については“正当性”を調査しなければなりませんね、」
「正当性」という言葉を使った。あまりに酷い言葉である。ここは100歩譲ってサヨクチックに申しても、だ。「適正」という言葉を使わねばなるまい。つまり、
『拳銃の発砲に関しては、これが適正だったかどうかを調査せねばなりません。』
となる。これならば、それはそうかもしれんと納得してもいい。しかし、「正当だったかどうか」となれば、話は別である。この強盗犯に「正当性」がないのは自明であり、その逮捕に関する一連の行動にこそ「正当性」とやらはあるのである。
問題は「拳銃の発射が適正だったのか」、つまり、「拳銃を発射」せずとも逮捕できた可能性がどれほどあったのか、また、その際に発生する警察官への危険性はどの程度だったのか、を吟味するならば、100歩譲ってわかるというのである。
ここで意図的に「正当性」という言葉を使用する場合、これは「武器を使用する必要性」自体を問う意味となり、つまるところ、「犯人の人権」や「犯人の生命」におけるフォローはどうなっているのかという問題提起ともいえる。
「3」へ
■2009/07/03 (金) 歯が痛い理由→「歯医者があるから」3
またこれは「強盗したくらいでさえ、拳銃で撃たれるのか?」もしくは「警察官個人の判断で、万が一、犯人を射殺してしまう可能性がある武器を使用してよいのか?」というクレームですらあるのだ。もちろん言うまでもなく、警察官の安全などは二の次であり、拳銃という武器、公権力というものを暴力装置とみなした発言である。
このTBSの出演者のような感覚は、例えば「田母神論文」に端を発したシビリアンコントロールに関する問題や、インド洋で海賊対策を担う海上自衛隊に対する批判、あるいは北朝鮮の弾道ミサイルに対する迎撃ミサイルへの避難などと通ずる、左派売国勢力の「論点すり替え」による危険なプロパガンダなのである。
例えば、この出演者が夜道に暴漢に襲われ、刃物を突き付けられたとする。そこには明白な殺意を感じるとしよう。金を出しても拒絶され、命乞いをしても許してくれないと悟り、もはやこれまで、絶望と恐怖の中で放心状態になったそのとき、一発の銃声が響きわたり暴漢はもんどりうって倒れこむ。呆気にとられていると、「お怪我はありませんか?」という警察官の声。両脇を抱きかかえられ静かに立たせてもらうと、あとから数人の警察官が暴漢を連れて行った。そして、言うのだ。
「今の発砲に正当性はあったのか??」
これは過日、海上自衛隊派遣反対を声高に発する社民党に属する「辻本清美」が運営するピースボートが、まさにそのインド洋を航行する際に「反対していた」にもかかわらず派遣された海上自衛隊に護衛してもらうという恥知らずな、恩知らずな連中と似るのだ。
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また―――――
最近、つくづく感じるのだが、左派売国勢力などが主張する「憲法9条」や「反戦平和」あるいは「死刑制度反対」や警察や自衛隊に対する「武器の使用」を殊更に問題視する論調などから感じ取れるのは「恥知らず・恩知らず」という感想が共通するのである。
例えば「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺」や「沖縄の集団自決」などの、いわゆる「旧日本軍悪玉史観」による過去の日本、及び、日本人に対する愚劣な捏造においては、もう、恩知らずでは済まされない“悪の巨塊”(笑)であるが、その腐ったイデオロギー臭漂う言動すべてが哀れな「恥知らず・恩知らず」であると思う。
「4」へ
■2009/07/03 (金) 歯が痛い理由→「歯医者があるから」4
よく「あの戦争に踏み切ったこと自体が愚かであった」と左側から聞こえる。そして右のほうに耳を傾けると「じゃあ、戦争を避ける手段はあったのか?」と問う声が聞こえてくる。んで、いやいや、そうじゃない、あのときはこうだった、いや、それは間違い、こうだったとされている、なんの、じゃあ、これはどうなんだと、議論が展開されるわけだ。
そして、様々な事件や出来事において、双方の「言い分」が垂れ流されることになる。ちなみに量が多いのは左側だった。また、現状、できるだけ公平に見るに左側は「量で勝負だった。それだけだった。」と明白になりつつもある。細部がどうでもよくなっている、くだらない大味な議論がまかり通ってきたわけだ。それがインターネットの普及により、少しずつ状況が変わってきた。しかし、あんなものたかが便所の落書き、ノイズマイノリティだと、内心ビクビクしながら馬鹿にしてきた左派売国勢力ではあったが、実のところ、それらは真の意味でのサイレントマジョリティだったと明白になりつつある。
いずれにしても、遠くない過去において、だ。その当時の日本人は必死になって生きていたわけだ。それでも生き抜いて行こうと耐え忍んでいたわけである。そして、当時の日本、及び、日本人が「ただ生きていく」だけでなく、どう生きていくのか、なぜ生きていくのかを懸命に考えた形跡というものは厳然としてある。左派売国勢力のいう「あの戦争」へと突入していったのもまさにそれなのである。
「ただ生きていく」だけで良しとするならば、左派売国勢力の言うとおりでいい。
最初から両手を挙げてヘラヘラと降参する日本人をアメリカも皆殺しにはしまい。名実共にアメリカの保護国として暮らしていけばいい。他国のように「米ドル」を通貨とし、英語を公用語とし、明日、4日になればアメリカの自由と独立を列島は「州をあげて」祝うことになろう。小浜氏の「オバマガール」も馬鹿にされまい。極東に浮かぶ列島に「黄色いアメリカ人」が存在する。ただ、それだけの話なのだから。
「5」へ
■2009/07/03 (金) 歯が痛い理由→「歯医者があるから」5
しかし、言うまでもなく、当時の日本人たちはそうしなかった。だから、今現在も日本国は主権国家なのである。だから総選挙もできるし、マスコミはそれを政治ショーにしてメシを喰えるのではないか。だから、左派売国勢力も「国を売る」ことができるのだ。
また、それらは現在においてもそうなのである。
改革クラブの西村眞吾先生は「国防は最大の福祉である」という。まったくその通りなのだが、自衛隊が日本国を護るのも、警察官が日本国民を護るのも、火事になったら消防車がきて、急病なら救急車がくるのは、すべからく福祉なのであり、日本国民、あるいは日本に住む外国人でさえ、それらの公共サービスは受けることができる。
左派売国勢力は地震で家屋の下敷きになり、火の手が迫って死を確信したとき、自らの命を危険に晒しながらも救助に駆けつける自衛隊や救助隊をして、「税金払ってるんだから当然じゃん」と言えるのか。たかが「金」で生命を賭して、どこの誰があなたを助けてくれるのか。夫婦喧嘩から交通事故まで、このあくまで「個人的な出来事」に対して、真摯に対応してくれること自体が「国がしてくれること」ではないのか。
それとも、弁護士を雇うように「警察官も雇う」ような国がいいのか。自分たちの生活と安全を護ってくれる組織や人に対して、もう少し敬うべきではないのか。あまつさえ、それらを唾棄し、蛇蝎のごとく忌み嫌う、それもイデオロギーで、偽善で、付き合いで、金儲けで、保身でとは、なんたる「恥知らず・恩知らず」なのか。
「6」へ
■2009/07/03 (金) 歯が痛い理由→「歯医者があるから」6
身勝手な理由で人様を脅し、もしくは傷つける、命を奪うかもしれない強盗犯に対し、それを防ぐ、あるいは被害を出さないために、例え額を打ち抜いたとしても、それは仕方のないことではないのか。少なくとも、ピストルで撃たれる覚悟のない「農協を襲う強盗犯」は減少するだろう。しかも、マスコミなどは、だ。もし、この警官が発砲せず、農協の客に死傷者でも出れば叩くと知れているのだ。実に「恥知らず」なことである。
-
これらも擦り切れるほど言われていることだが、例えば、「憲法9条はすばらしい!」という連中が北の将軍様を説き伏せ、核放棄させて拉致被害者奪還を成したならば、いくらでも「布教活動」してもいい。というか、すべきなのである。まさに「一発の銃弾」も使用せず、支那のミサイルを撤去し、チベットを開放し、東トリキスタンを開放し、民主的な国家に生まれ変わらせたのならば、「世界9条」として崇めてもいい。というか、すべきだ。
平和な日本国内で、言論の自由も、集会の自由も保障されている日本国内で騒いでいる左派売国勢力とは、そう、まるで、大人しい子供を集めて「ケンカはダメよ」と言っている阿呆教師に等しいのだ。隣のクラス、隣の校舎では話の通じん不良どもが釘バットを持って闊歩しているのに、それは見ない、見えない、もしくは小さい声で非難するのである。
「無防備宣言」とか「反戦平和」などという戯言は、ナイフをチラつかせる不良どもの眼前に立ちはだかり、
「ナイフを捨てろ!」
と言える者が訴えるときのみ心を打つ。人に響くのである。
ゴキブリがいるから殺虫剤はある。犯罪があるから警察がある。火事があるから消防署はある。病気があるから病院もある。交通事故があるから保険は成り立つ。
ミサイルを撃ち込んでくる国があるから国防は必要なのである。