忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「暴力夫の殺し方」

2008年06月05日 | 過去記事
■2008/06/05 (木) ガチコメ的「暴力夫の殺し方」1

妻に指摘されて気付いたのだが・・・

「おとしゃんは、“おまえ”とか“こいつ”とか“ぶち殺す”とか言わんね?」

ふむ。最後のはともかく、ホントだ。そういえば「妻には」言わない。

なんでだ?無意識に区別しているのだろうか・・・?

言わない対象→年上・妻・知らない人・し―様
言う対象  →年下・子供・餓鬼・阿呆・犬・猫・うさぎ・虫

むぅう・・・明らかに「差別」であるな。

気をつけよう(なにお?)

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http://www.asahi.com/national/update/0604/TKY200806040287.html
<夫に殺意を抱くとき…見えないDV、受けてませんか>

家庭ではMV(メタボリック・バイオレンス)と非難され、職場ではMH(メタボリック・ハラスメント)と糾弾される私であるが・・・・って、どっちも太ってるだけぢゃないかぁ!という今日この頃、ええ、もちろん、スキ焼は飲み物です。ちよたろです。

<夫の死を願う妻がいる。そんな事件を見てみると、背景にドメスティック・バイオレンス(DV)の存在が浮かび上がるケースがある。殺した夫をバラバラにしたとして殺人罪などに問われ、4月に東京地裁で懲役15年の判決を受けた三橋歌織被告(33)の場合もそうだった。>

恐ろしい・・・私は殺されてバラバラにされるのは嫌だ。断る。というか、妻では無理だ。私の脚一本も持てない。それに、私の皮膚は刃物を通さない。チェーンソーが刃毀れする。拳銃を使用する場合も至近距離で頭か心臓を狙うことをお勧めする。外したらアウトだ。

瞬間、私のてぃんこに寄生している「謎の生命体・モグ―」が襲いかかるだろう。寄生獣?よ、読んでないよ。そ、それに、だ。妻も私の殺害を決意したならば、間違いなく爆発物を使用するはずだ。もしくは、共犯の「し―様」と毒殺・・・?

ともかく、殺される覚えはない助けて。

「2」へ

■2008/06/05 (木) ガチコメ的「暴力夫の殺し方」2

<埼玉県の女性(48)は過去に3度、キッチンから包丁を持ち出し、寝ている夫の枕元に立ったことがある。 「この人がいなくなれば、私はやっと呼吸ができる、と思いました」 肉体への暴力。でも、耐え難かったのは精神的な暴力だった。ささいなことで怒る夫に家を追い出され、大切な物を壊された。そのたびに「お前が悪い」と言われた。>

我が妻ならば「鎌」だな。カマ。コーナンで買った「カマ」だ。

既に「護身用」として渡してある「ピンクあざらしくん」でビリビリされて、弱ったところを「鎌」でグサリ。で、私は次の日、頭から鎌を生やしたまま出勤するわけだ。

いや、だから、ともかく、

別れちゃえばいいぢゃん ヾ(。・ω・。)

ということだ。

もう、ほんっと「よく聞く話」過ぎる。
食傷気味である。お腹いっぱいだ。

体にアザつくりながら、酷いのになるともう、ただの傷害事件と思しき暴力行為に晒されながら、まぁだ、別れずにウダウダしている女をみると、もう、なんか「酔ってるんぢゃないの?勝手にしなさい。」とか思ってしまう。「色んな事情がある」ということも踏まえて言うが、それでも「暴力」からは逃げるに限る。そして、ちゃんと報復するのだ。

でなければ、黙って耐えろと言いたい。なにを甘えているんだと言いたい。殴っても警察に駆け込まんなら、今度、思いっきり殴らせてくれ。

世の女性たちよ。

いいか?

日常的に「女を殴る男」はキチガイなのだ。なんであろうがカスなのである。ここは譲れない。で、キチガイは病院だ。怪我したら警察だ。それだけの話だ。

修行の足らん男が、カッとなって手を出してしまったという状況はあろう。そして謝罪して許してもらえれば、それはそれで結構。相手の親にでもなんでも言って、約束させればいい。「次は離婚」と念書を書かせるとかな。つまりは家庭内の問題、私的(プライベート)な問題であるのだ。

「3」へ

■2008/06/05 (木) ガチコメ的「暴力夫の殺し方」3

それに、はっきりと言っておきたいことは、

妻に優しくできない夫が「良き父親」になることなど、あり得ないザーなのである。

“結婚には歩け。離婚には走れ。”(ユダヤの諺)とも言う。「暴力夫」とは、一秒でも早く別れることだ。間に人を入れて、毅然と明確に「離婚」を突き出す。「できない」というなら、まだ結婚するには子供だっただけだ。いずれにしても「やり直し」をお勧めする。

<浮気をとがめると、髪をつかまれて引きずり回されたり、けられたりした。ほおをたたかれて、首の骨がずれたこともあった。そんなとき、「おれにここまでさせたお前が悪い」と言われた。診断書をとると体への暴力はなくなった。代わりに、「言葉の暴力」が始まった。「おれが一番えらい」が口癖で、謝らない。口げんかになると、謝るまで責められた。その場を収めるために、土下座をしたこともある。>

人生、結婚だけが幸せではない。たしかに人生における「重大なことのひとつ」には違いないが、何年も理不尽な暴力に耐える必要性は全くない。なんの経験にもならない。「辛い過去」がひとつできるだけだ。もちろん、PTSDに陥る危険性もあろう。

そして、何度でも言うが、人は「苦痛」や「辛苦」には慣れてしまう。耐えられるのだ。その悲しき自己防衛が、いったい何から守ろうとしているのかと問えば、それは「変化に伴う不安」からである。人は「慣れた辛さ」よりも「新しい変化」を恐れる。人が真に恐怖するのは「不安」なのである。

この「首の骨がずれた」という女性が20年も耐え続けることができた理由とは、決して「夫に対する無償の愛」を基盤とした将来的展望のある理由からではないと自明である。この女性はただ「不安」を恐れた。「夫と離婚して新しい人生を歩む」という選択肢から派生するであろう「様々な変化」による「予測できない不安」を恐れていた。

その多くは「経済的不安」を訴える。そして、たちまち生活が立ちいかなくなるという、すぐそこにある「不安」を嘆く。女性であるという弱さを前面に出し、専業主婦であったことからの社会的な経験の無さ、自分自身の市場価値の低さに絶望する。

「4」へ

■2008/06/05 (木) ガチコメ的「暴力夫の殺し方」4

そういえば、失明の危険があったというほどの怪我をしながら「別れられるなら、とっくに別れている」と、相談相手である私に逆上する女性もいた。私が、

『仕事を掛け持ちするとかしてでも、生活の基盤をつくらないと仕方がない。』

というと、「体が弱いから無理」だという。ならば、

『市役所にでも相談に行ってみれば?』

というと、「旦那が絶対離婚してくれない」という。ならば、

『弁護士に相談してみたら?』

というと、「そんなお金はない」という。ならば、

『とりあえず、実家にでも戻ってみれば?』

というと、「実家もそれどころではなく、追い出される」という、ならば、

『友達とか、知り合いに頼ってみれば?』

というと、「そんな友人はいないし、旦那にすぐに見つかる」という、つまり、

もう、私が、

『よし。わかった。私のところに来なさい。何の心配もいらない。私が守ってあげるからね。よしよし、かわいそうだったね。お腹は空いていないかい?そうだ。キミが元気を出すために、なにか、買い物でもでかけよう。そして、なにか、欲しいものを買ってあげるよ。素敵なお店があるんだ。借金なんかも心配しなくていいよ。私が何とかするからね。』

というほかないではないか。
ふざけるなと言いたい。殴ってやろうかと思った(笑)。

“こんな旦那とは絶対にわかれたい。でも、どうすればいいのかわからない”

アレは嫌。コレは無理。ソレはダメ。話にならん。

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私も若くして娘を嫁に取られたが、娘本人にも旦那(トカゲ)にも厳重に言い渡していることがある。娘には、

「殴られるようなことがあれば我慢するな。」

と言ってある。これは娘の年齢も関係している。まだ餓鬼だからである。その代り、

「それ以外はお前らの責任だから、どんなに辛くとも乗り越えろ。」

とも言ってある。これには年齢など関係ない。夫婦として親として乗り越えねばならんことは当然ながらある。自分たちが決めたことだ。責任も自分たちにある。

「5」へ

■2008/06/05 (木) ガチコメ的「暴力夫の殺し方」5

で、旦那(トカゲ)には、

『手を出したら最後。おまえの嫁と子供は私がもらう。二度と会えないと思え。その覚悟をしてから、拳をみて、決めろ。そして、私はその瞬間から、おまえの嫁の父親でなく、ひとりの男としておまえに接する。どうしようもない悪意を持った、おまえにとって非常に困る存在となる。もし、娘にアザができたら写真を撮るだろう。泣きながら帰ってきた娘をビデオにも撮ろう。警察に言うためではない。私はそれを毎日毎日眺めながら、お前に対する憎悪を育てることになる。絶対に忘れず、許さず、金も人脈も、私の持てるすべてを導入して敵に回る。そしてきっと、私は娘が不憫で哀れで気が狂うだろう。だから今、私が正常なうちにアドバイスしておくが、もし、万が一、そうなったら日本から出たほうがいい。これは脅しではなく、ひとりの父親としての覚悟だ。』

と、何度も摺り込んである。マインドコントロールとも言う(笑)。

で、当然、私の妻にも父親がいる。妻は父親のことを「はげおとうしゃん」と呼んでいる。つまり、はげている。妻はどうやら「ハゲとデブ」に縁があるようだ。

「はげおとうしゃん」は、元航空自衛隊で飛行機に乗っていた。朝鮮人とパチンコ屋が大嫌いな選民思想丸出しの右翼主義者である(笑)。事実、私は殺されるかと思った。

私は「はげおとうしゃん」を想う。だから、絶対に妻には「おまえ」とか「こいつ」と言わない。私が聞くと嫌な思いをするように、きっと「はげおとうしゃん」も嫌なはずだ。

私はこの「はげおとうしゃん」に、

「娘をよろしゅう」

と言われ、ようやく最近、

「後はよろしゅう」

と信頼されるに到ったことは、私の人生における「宝」であり「誇り」である。

邪険にするはずもない。

1 コメント

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Unknown (娘だったワタシ・・・)
2011-07-12 14:02:17
素敵です。娘は殴られたくないですね、絶対に・・・。
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