忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

社説を貼ってみた

2010年08月11日 | 過去記事
産経新聞 【主張】日韓併合100年 「自虐」談話は歴史歪める

<与野党で異論が相次ぐ中、日韓併合100年に合わせた菅直人首相談話が閣議決定された。談話発表が強行されたことは、極めて遺憾である。

 首相談話は日本政府の公式な歴史的見解としての意味があり、後の内閣の行動などを事実上、拘束する。それだけに歴史を歪(ゆが)めた私的な見解は断じて許されない。必要なはずの国民的な合意づくりも一切、欠落していた。

 菅首相談話の最大の問題点は、一方的な歴史認識である。

 談話は「(日本の)植民地支配によって、(韓国の人々は)国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられた」として、「多大の損害と苦痛」に対する「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明している。

 日本の「植民地支配と侵略」を謝罪した平成7年の村山富市首相談話を踏襲したように見えるが、それ以上に踏み込んだ内容だ。菅談話は明治以降の日本の先人たちの努力をほぼ全否定し、韓国の立場だけを述べている。どこの国の首相か疑ってしまう。

 35年間に及ぶ日本の朝鮮統治には、反省すべき点もあるが、鉄道建設や教育の普及など近代化に果たした役割は大きい。朝鮮名を日本式の姓名に変える創氏改名や日本語教育も行ったが、それらは強制されたものではない。

 歴史教科書の記述や学校の授業では、菅談話や村山談話などにこだわらず、日本の朝鮮統治について、事実に即して光と影の部分をバランスよく伝えるべきだ。

 ≪疑問多い対韓支援事業≫

 菅談話のもう一つの問題点は、日韓基本条約(昭和40年)で解決済みの対韓補償問題が蒸し返される恐れもあることだ。

 談話は、日本に保管されている「朝鮮王室儀軌(ぎき)」などの古文書の返還に加え、在サハリン韓国人支援などの人道的協力を「今後とも誠実に実施」するとしている。

在サハリン韓国人支援とは戦時中、朝鮮半島から樺太(現ロシア領サハリン)へ渡り、すぐに帰国できなかった韓国人への支援事業のことだ。仙谷由人官房長官が深くかかわってきた。

 多くの人は企業の募集などに応じて渡航し、残留を余儀なくされたのは戦後、サハリンを占領した旧ソ連が国交のない韓国への帰国を認めなかったからだ。

 しかし、「日本が強制連行し、置き去りにした」とされ、韓国への永住帰国者のアパート建設費や一時帰国する人の往復旅費、サハリンに残る人のための文化センター建設費など70億円近い支援を日本政府が負担させられてきた。

 まだ、日本の補償が必要というのだろうか。日韓基本条約で日本は無償供与3億ドルと政府借款2億ドルの経済協力を約束し、双方の請求権は「完全かつ最終的に解決された」と明記されている。

 菅首相は補償・請求権の問題について「日韓基本条約の考え方を確認し、法律的な形のものは決着済みという立場だ」と述べた。それならなぜ、その点を菅談話に盛り込まなかったのか。

 仙谷氏は先月、新たな個人補償を検討する考えも示している。菅談話をたてに、韓国側が対日補償請求を蒸し返してくる可能性がある。際限のない補償は日韓基本条約に反し、許されない。

 ≪国民的な合意なく発表≫

 首相談話を出すこと自体に反対論や慎重論を唱えていた与野党の有力議員らの言動が、中途半端に終わったことも理解に苦しむ。

 玄葉光一郎公務員制度改革担当相(民主党政調会長)は閣僚懇談会で、「早い段階で、より詳細な相談が(民主党側に)あってしかるべきではなかったか」と官邸側の拙速な対応を批判した。

自民党の谷垣禎一総裁も5日の記者会見で「(首相談話を)出す必要があるのかどうか、大きな疑問だ」と言っていたが、談話発表の直前には菅首相に「村山談話を逸脱しないよう」求めるにとどめた。野党のリーダーがこのような認識では、姿勢が疑われる。

 日韓併合100年の節目はまだ先だ。併合条約は明治43(1910)年8月22日に調印され、29日に公布・施行された。議論する時間は十分にあったはずだ。

 村山談話も事前に閣僚らへの詳しい説明がなく、唐突に閣議決定された。自民党を中心に、秋の臨時国会などで、菅談話や村山談話の作成から閣議決定に至る過程について徹底追及すべきだ>





読売新聞 日韓併合談話 未来志向の両国関係に弾みを

<政府は、日韓併合100年の「首相談話」を閣議決定した。

 談話は「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛」に対し「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明した。戦後50年に当たる1995年に発表された村山首相談話の内容を踏襲したものだ。

 三・一独立運動にも言及し、韓国の人々は「その意に反して行われた植民地支配」により「民族の誇りを深く傷付けられ」たと、踏み込んだ表現も盛り込まれた。

 補償問題には一切触れられておらず、この問題を決着済みとする従来の政府の立場に変更はない。当然のことだ。

 その上で、未来志向の日韓関係の構築を強調するなど、妥当な内容と言えよう。

 菅首相から電話で談話の説明を受けた李明博大統領は、「より強い協力関係を築くことが出来る」と歓迎の意向を示したという。

 1965年の日韓基本条約締結の際、日韓両政府は共に請求権を放棄し、日本が韓国に有償・無償5億ドルの経済支援を行う旨を定めた協定を結んだ。

 仙谷官房長官は記者会見で、首相談話について「個人補償、請求権については決着済みという前提に立って作成した」と述べた。

 だが、先月には補償に関して、「政治的な方針を作り、判断しなければならない」などと含みのある発言をしていた。

 これに対し、両国間で解決済みの補償にかかわる談話を出すのは問題だとして、与野党内から強い反発や不満が出ていた。仙谷長官は、内外に誤解を招くような不用意な発言は慎むべきだった。

 今回の首相談話により、韓国国内で元「従軍慰安婦」などに対する補償を要求する声が再燃する可能性もある。

 しかし、新たな請求権は認めないとする日本政府の立場は堅持すべきだ。韓国側には冷静な対応を求めたい。

 植民地時代に日本に渡り、日本政府が保管する朝鮮王朝ゆかりの「朝鮮王朝儀軌」などの図書を韓国に引き渡すことも決まった。

 植民地時代に朝鮮から日本に渡った文化財は、確認されただけでも約6万点に上る。

 日本側に引き渡す義務はないが、韓国側から要望のあった文化財を譲渡することで、和解を進める狙いがあると見られる。

 首相談話を契機にして、経済、文化、人的交流などを含め、今後の日韓関係に弾みをつけることが肝要だ>






毎日新聞 社説:併合100年談話 未来へ向け日韓の礎に

<政府は日韓併合100年に当たり菅直人首相の「首相談話」を閣議決定した。韓国に対する植民地支配への反省とおわびを盛り込み、未来志向の日韓関係構築への決意を表明した内容だ。

 政府は1995年に戦後50年の「村山首相談話」、05年に戦後60年の「小泉首相談話」を発表し、アジア諸国の人々におわびを表明している。今回は併合100年の節目をとらえ韓国だけを対象にした。

 談話は日韓併合条約の締結によって植民地支配が始まったと指摘し、次のような歴史認識を示している。

 「3・1独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられた」

 植民地支配がもたらした損害と苦痛に対し「痛切な反省と心からのおわび」を表明している点は村山談話や小泉談話と同じだが、「反日独立」の象徴といえる3・1独立運動への言及や、植民地支配を韓国の人々の意に反したものと位置付けた点は新しい。

 昨年政権交代を果たした民主党にとっては政権政党として初めて迎えた8月だ。そして、100年前のこの時期に併合条約が締結・公布され日本による植民地支配が始まった。談話は、その節目にあたり新政権として意思表明を行ったものとして意義がある。前向きに受け止めたい。

 菅首相は植民地支配時代に日本に流出し宮内庁が保管している儀典書「朝鮮王室儀軌(ぎき)」を韓国に引き渡す方針も明らかにした。

 韓国民個人の請求権や文化財返還問題について日本政府は、65年の日韓基本条約締結時に解決済みとの立場だ。このため談話では「返還」の言葉を避け「お渡ししたい」との慎重な表現にした。

 また、談話発表にあたっては民主党や自民党の一部から反対・慎重論が出た。戦後補償問題の再燃を懸念してのものだ。しかし、談話は補償問題につながるような記述は避けた。現実的な対応として理解できる。

 併合から100年の日韓の歴史のうち戦後の期間の方が戦前よりはるかに長い。戦後の歴史は、時には波風を立てながらも比較的安定して推移してきた。貿易関係は着実に拡大し、人の往来は年間500万人に迫る。若者文化の相互浸透も安定した関係を支える貴重な要因になっている。

 外交・安全保障面では、北朝鮮の核開発や拉致問題に対処するため日韓の連携がこれまで以上に必要になっている。今回の首相談話を、未来に向けた日韓関係構築の出発点にしたい>








朝日新聞さま 併合100年談話―新しい日韓協働の礎に

他国によって国を奪われ、母国語を自由に話せなくなり、戦地や工場に動員される――。そんな屈辱的で悲痛な体験を朝鮮の人たちに強いた日本による「韓国併合」から今月で100年である。

 菅直人首相はきのう発表した談話で「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明した。

 首相談話として初めて、植民地支配について「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々の意に反して行われた」と位置づけた。「民族の誇りを深く傷付けられた」とも述べ、韓国民の心情に思いを寄せた。

 共感できる認識だ。私たちも重く受け止めたい。

 植民地支配を正面から取り上げて「深く陳謝したい」と語った1993年の細川護熙首相発言に始まり、戦後50年の村山富市首相、同じく60年の小泉純一郎首相の両談話と続いた流れに沿った内容ではある。それでも、併合100年という節目に焦点を当て、国家指導者が歴史認識を語り、将来に向けた期待と方針をあらためて示したことには大きな意味がある。和解と信頼獲得にもつながってほしい。

 だが、自民党など野党だけでなく与党民主党内にも、談話発表に反対や慎重論があった。「決着済みの補償問題を蒸し返す」などという批判だ。保守系の議員グループは「国民や歴史に対する重大な背信だ」とする声明まで出していた。浅く、また見当違いの見方ではないか。

 これまで、首相談話を出しても、自民党や閣僚の中から、それを否定するような発言が出て、日本の真意はどちらかと、外から不信のまなざしを向けられることが繰り返された。もう、そんなことに終止符を打つべきだ。

 談話にある通り、勇気と謙虚さを持って歴史に向き合い、過ちを率直に省みることが必要だ。深い思慮に基づく冷静な言動を心がけてこそ、未来志向の関係を構築できる。

 そのためには、談話だけでなく、誠実な行動を積み重ねることが大切になる。その点で今回、日本政府が保管する朝鮮王朝の文書を韓国に渡すようにしたのは良いことだ。

 アジアにおいて日本と韓国は、最も手を取り合うべき間柄にある。中国の台頭、温暖化やエネルギーといった地球規模の課題を前に、その連携をさらに強めていかねばならない。

 談話に北朝鮮問題についての言及はなかったが、不安定な北朝鮮情勢に対応し打開していくためにも、日韓の協調がさらに求められる。

 両国は歴史や領土問題をめぐって、わだかまりをまだ抱えている。そんな問題をうまく管理し、和解と協働の新たな100年へ、この首相談話を礎石にしたい>




おまけ 天声人語

<北朝鮮の特別機で、平壌からソウルまで飛んだことがある。9年前、欧州連合の訪朝団に同行した時だ。モデルのような乗務員が、軍用らしい真空パック詰めのピーナツを配ってくれた▼いったん公海上に出た旧ソ連製の機体は、できたばかりの仁川(インチョン)空港に降りた。北の飛行機は珍しく、韓国の取材陣が待ち受けていた。青い光に浮かぶ新鋭ターミナルを窓から見て、乗務員の表情が陰る。別れ際、失礼を承知で当夜の宿泊地を聞くと、「このまま祖国に帰ります」と冷たく返された▼平壌―ソウルは、東京―長野ほどの距離だ。同じ民族が半島の南北に分かれ、いがみ合う不条理。塗炭の現代史の根っこで、日本も軽からぬ責めを負う。極東の安定に資する明るい日韓関係は、暗い過去に向き合わねば始まらない▼韓国併合から100年にあたり、菅首相が談話を出した。日本式の名前を押しつけるなど、国と文化を奪ったことに「痛切な反省と心からのお詫(わ)び」を表し、未来志向の付き合いを呼びかけた内容である。韓国大統領も喜んだという▼謝罪で始まる関係はそろそろ終わりにしたい。それには、先方の意に反して植民地にし、民族の誇りを傷つけた史実を直視するほかない。またぞろ保守派が「謝罪外交」などと言い出せば、進むものも進まない▼あの乗務員は南の発展をどう伝えただろう。いや、口外はできまい。すべては北の独裁者のせいだが、半島の変転に深く関与した国として、この地の将来に無関心ではいられない。日韓で手を携え、別の100年を紡ぎたい>






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