忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

コマネチマンからの警句

2010年08月13日 | 過去記事
管直人もしばしば「成功例」として取り上げる「イギリス」だが、オピニウムという英調査会社によれば「職場で最も嫌われるオフィス用語」は「thinking outside the box」とのことだったとロイター通信が報じている。意味は「既成概念にとらわれないで考える」だ。

オフィス用語と言えば、今ではもう、すっかり懐かしい社長マンは「Compliance」が好きだった。しかしながら、ずっと「こんぴらあいんず」とか「こんぷらぷらす」などと意味不明な供述を繰り返しており、それはもう「こんぴらさん」になるまであと少しだった。そういえば社長マンが店長時代、月に一度の「店長会議」に持参する報告書は、副主任時代の私が作成していたが、一度、ムカついたので意地悪をしたことがあった。社長マンは「読むだけ」だとして目を通さないのであるし、その態度がもう「俺の考えをお前なりにまとめておいてくれ」みたいな素っ頓狂、己の無能を棚上げした上から目線だったから、これは一度、ぎゃふん!と言わせておく必要があった。

私はもう、辞書まで引いて横文字だらけにしておいた。文体を捻じ曲げ、捏ね繰り回し、無理矢理に話をややこしくもした。会議の内容に「中途採用者の早期退職について」などがあったので、そこからも中身を展開させ、深く広く論じてやった。その「単なる月会議の報告書」は膨大なテーマを扱うことになり、新規採用者の初期心理状態から慢性的怠惰への移行、労働環境におけるリメイクの効果、あるいは不要な社内セクトからなる不満分子の発見、労働者の精神的適合性に配慮した評価システムの構築など、私はその報告書の中で「社内退職者」などの造語まで創りだし「視認できる離職願望」や「風土と化したサボタージュ」などというサブテーマまでつけて、いつもの数十倍の量のレポートをファイルして手渡していた。私には思わず達成感があったほどだ。誤字脱字のチェックをした読後感も素晴らしかった。よくまとまっていた(笑)。

また、今までの心優しい私は「コレ、読めるかな?」と思う漢字などにもルビを振り、その横には括弧で意味まで書いてあったが、今回はそれもなしである。名刺に「CEO」と偉そうに書いてありながら、飲みに行った韓国クラブの朝鮮ホステスに「CEOって何の略?」と聞かれ、当たり前のドヤ顔で「かんぱにー・・・」と言ったまま固まっているから、思わず私が「チーフ・エグゼクティブ・オフィサー・・・かんぱにーってww」と教えてあげるも、「ちーふ?ちーふはTちゃうんか?」とか言うから、んじゃ、もう、勝手に馬鹿のままいればいいじゃんか、こっち見るなよ、と言うほどの社長マンは案の定、その店長会議でも大恥かいて戻ってきた。「途中で止められた」というのであるw

雇い主であり、義父でもある会長から「ちょっと、なに言ってるか、わかんないww」とされたのである。また、同席していた若社長からは「それ、そこの副主任の文章でしょう?」とズバリ指摘もされたと後から聞いた。若社長は入社後すぐに「今の会社を変えたい」として、職責や職位を超えて私に相談しに来てもいたから、私の書く文章を読んだことも多々あった。本人曰く「爆笑を堪えるのに必死だった」とも聞いた。私もその場で聞きたかった(笑)。

そして、恥をかかされた社長マンは明らかに憤慨していた。もちろん、私の悪意にも気付いていた。しかし、まさか、「俺の頭に合わせてゴーストをしろ!」とは言えまい。ンで、偉そうに店長席に座り、不満げな表情を浮かべた社長マンはひとこと、私にこう訊ねた。

「・・・・えっと、こ、この、る・・?ルサンチマンってだれや?」

私は自分の頭上から向日葵が咲いたのを確認してから、そのまま二階事務所の窓を突き破り、駐車場にブチ落ちてから血塗れになり、折れた右膝を庇いながら、

「なんじゃそりゃ!」

と叫ぶ他なかったが、私は「ああ、それはルサン・チマンという19世紀のフランスの社会学者です。労働心理学などの研究で有名ですね。日本ではたしか“子供にお手伝いはさせるな”という本も出してます。彼はその本の中で、労働と対価の関係性を論じながら、日本の子供は無償でお手伝いをさせられるが、欧米の子供は自転車を買ってもらったり、グローブを買ってもらったりしなければ家の手伝いをしないと紹介し、実に合理的で社会的な子供が形成されるとしています。彼はそれを欧米式の優れた個人主義だとして、日本人の自主性の無さや積極性の無さの真因だと結論付けています。孫のコマネ・チマンはフランスの政治家になりました。左派党で労働問題の専門だったと思います」と息を吐くようにウソをついておいた。

この馬鹿は「ルサンチマン(※yahoo辞書=強者に対する弱者の憎悪や復讐(ふくしゅう)衝動などの感情が内攻的に屈折している状態。ニーチェやシェーラーによって用いられた語。怨恨(えんこん)。遺恨)」と「サンドイッチマン」の区別がついていないのである。なんと漫才師扱いである。はい、どうも~ぼくらルサンチマンいうて、こうやってふたりで漫才さしてもうてますけども、がんばっていかなあかんなぁ~おもてね、ンで、ぼくらのことしってるで!っていう人、ちょっとてあげてもらえます?ほぉ~~今日はパラパラいてるがな、これ。ンなら、今日初めてみたわ!お前らなんか知るかいや!っていう人~って、もう手ぇあげてるがな!である。キルケゴールもびっくりである。コマネチマンww


ま、


馬鹿の上に胡坐をかいて威張っているとこうなるのだが、この国の総理大臣は社長マンよりも少しだけ賢くて「ちゃんと読む」ことはする。今回の「管談話」という名の「仙谷談話」もそうであるが、中身を考えず、あるいは、その効果に配慮もせず、その場だけの雰囲気に合わせて、自分の立場だけを守る目的でなんでもする。社長マンの馬鹿ぶりは会社を潰すだけで済むが、管直人の馬鹿ぶりのツケは国民全員が支払うことになる。被害が大きくて長過ぎる。市民運動家上がりの総理大臣は、周囲を取り巻く赤軍派や革マル派や日教組や民団などの「既成概念にとらわれたまま」の談話を「読み上げて」しまった。つまり、thinking outside the boxができていないのである。

ところで、こんな談話を出したところで、支那朝鮮は「何か悪いね」と気を使ったりしてくれない。これは過去からずっとそうだったし、それが国際常識なのだと、頭の良い学者さんなどもずっとそう言っている。日本の政治家はよほど国内のマスコミが怖いのだろうか。支持率が気になるのだろうか。「結果はもっと悪くなる」と既知でありながらも、その場しのぎで譲歩し、適当なコメントを出し、どうにもならぬ状況に追い込まれて辞めていった。支那朝鮮だけではなく、アメリカにもそうだ。というか、最も弱腰になってしまうのはアメリカに対してだが、言うべきは言う、主張すべきは主張する、という世界の常識をなぜ行わないのか。

これは民主党だけのことではなく、かつての自民党政権でも同じようなものだった。例えば、今年の8月6日も「エノラ・ゲイ」の機長の息子が「原子爆弾投下は良いことだった」と抜かした。日本政府がこれに抗議すれば日米同盟は破棄されるのか?そういう問題なのか?また、逆に、だ。これを「そうですね」と日本はやり続けているが、それでもアメリカは北朝鮮に対してテロ国家指定を解除した。日本はアメリカのイラク攻撃を、同じ同盟国であるドイツやフランスが反対に回る中、いち早く支持を表明して特別措置法を作って自衛隊まで出した。インド洋での洋上給油も引き受けた。それでも米下院は日本に対して「慰安婦問題で日本は公式に謝罪せねばならない」と決議した。当たり前だが、アメリカはアメリカの国益だけを考えて動く。普通、政治家とはそういう仕事をする人のことをいう。

ンで、これに喜んだのは北朝鮮だ。北朝鮮広報は「日本は拉致被害者を返せという前に、慰安婦強制連行の件を謝罪セヨ」と辻元清美のようなことを言った。主権国家として軽んじられることで、何か一つでもいいことがあったのだろうか。

日本に対する原子爆弾の使用については、先ほどの「エノラ・ゲイ」の機長の息子だけではなく、いわばアメリカの公式見解がそうなっている。元国務長官だったロバート・ジョセフなども「原子爆弾の使用は終戦を早めた。連合国軍の十数万人の生命と日本人数百万人の生命を救った」と堂々と述べている。これは「竹島は韓国の領土ニダ!」と変わらぬ暴論である。アメリカには言われっ放し、支那朝鮮には土下座して靴舐め外交、こんな状態で「日本は主権国家だ」と言えるのか。引いたら出てくるし、譲れば盗られるのは当たり前だ。自民党に「お友達の嫌がることはしません。うふふ」と言ったチンパンジーがいたが、その年、2008年は文部科学省が中学生の指導要領解説書において「竹島は日本固有の領土」と明記することになっていた。現実に竹島には韓国の警察隊が武装して不当に占拠している。だから、これは実に当たり前の表記である。

情けない話だが、せめて、日本の中学生に「日本の領土なんだけれども、韓国の武装警官が不当に占拠しているんだ」と教えるだけのことである。しかしながら、安倍さんが辞めたあとの福田政権は、アメリカ産牛肉輸入問題でフラフラしていた李明博政権に「配慮して」書き直させた。「直接的な表現は避けたほうがいい」という配慮から「我が国と韓国には竹島をめぐって主張に相違がある」に書き直した。すると、韓国ではロウソクデモの火が消えた代わりに、また、日の丸が焼かれることになった。左右交代である。

ビビっていたのは韓国だった。安倍政権は必ず「竹島」を指導要領に入れてくると知っていたはずだ。李政権は崩壊したかもしれない。日米に尻尾を振る大統領はBESの牛肉も輸入すれば、日本はとうとう「竹島は日本の領土」だと自国の子供に堂々と教えるようになった、これも李政権が弱腰だからだ、と火病を起こして死人が出ただろう。しかし、これを全面的に解決した救世主がいた。我らが福田康夫政権だ。

この韓国を刺激しないよう、隣人の嫌がることは止めようとした結果、韓国マスコミは安心して「日本が指導要領で竹島に触れたこと自体」に対して猛然と批判した。割合マシな朝鮮日報ですら「日本の挑発に一喜一憂する必要はない」と書き、東亜日報は「こざかしい真似」とまで書いた。韓国には猛烈な反日デモが発生し、アメリカ産の牛肉のことなど吹っ飛んだ。姉妹都市や民間の交流も尽く中止、韓国政府は抗議として駐日大使を引き揚げさせた。これによって李政権の支持率は回復、日本の総理がコロコロ変わる中、現在まで李明博は大統領として君臨している。これが国際外交、これが国際政治である。

日本は憲法改正前にすることがある。「普通の国」になる前にすることがある。

先ず、政治家は言うべきを言うことだ。日本はそのレベルですらないのである。言うべきを言うと、マスメディアに叩かれる。叩かれると支持率が下がる。支持率が下がると政権維持が難しくなる。内部から責任を問われる。辞任せねばならない。辞職せねばならない。自民党はせっかく、民主党に政権を明け渡したのだから、ここは民主党に学ぶことだ。支持率がゼロになっても解散せねばならないとは「法的に決まっていない」わけだ。民主主義の敵だと言われようとも、民意を無視したと言われようとも、開き直って「体制を作る」べきだ。あのとき、くだらぬ内輪揉めや己の保身だけで騒いでないで、安倍政権を死守すべきだったのである。背後から味方に撃たれるほど困ったこともあるまい。あのとき党内の結束があり、マスコミに振り回されぬ世論が少しでもあれば、河野談話、村山談話など破棄して「安倍談話」が出された可能性もあったかもしれない。

ま、今更言っても詮無いだけだが、しかし、今回の「管談話(仙谷談話)」も譲歩に譲歩を重ねた阿呆丸出しの談話だった。特定して謝罪された韓国は、またもや嵩にかかって要求をエスカレートさせている。こんな韓国が「日本のことはもう許そう」となるとき、それは日本が消滅したときである。竹島はもちろん、対馬をつけて渡してもダメだ。少々の金額を保障しても無駄だ。

日本人は無条件で収入の3割を韓国人へ、道で韓国人に出会ったら速やかに進路を開けて頭を下げる。韓国人に対しては年齢や立場も関係なく敬語を使い、基本的に日本列島は韓国人の所有であり、日本人はこれを使わせてもらっているという認識を常に忘れず、月末になれば韓国民に感謝を捧げるアリラン祭りを開催し、祝日には大極旗を揚げて韓国を誇り、参政権などはもう、テレビ投票しか出来ない日本人は辞退すべきであり、頭が良くて根性があって、背が高くて運動神経抜群の韓国人にすべてを委ねる。日本人が韓国人に暴力を振るったら死刑、裁判はいらない。差別発言したら死刑。目があった時に伏せなかったら死刑。言い返したら死刑。韓国人が「反抗的」だと認識したら死刑。韓国人は日本人女性に限って3人まで妻としてもよく、その逆はひとりでもあり得ない――っとまあ、ここまですれば、日本の誠意とやらも伝わるだろう。

嫌なら、ちゃんと選挙に行け。地元の政治家の名くらい知っておけ。たまには事務所に顔出して「売国するな」と警告しておけ。国旗や国歌を敬わぬ政治家、いや、教師も吊るしあげて社会から放り出せ。一般市民は放っておけ、それは支那朝鮮人だ。

ともかく、誰がやっても一緒、歴史や文化などどうでもいい、日本が嫌い、政治や経済はよくわかんない、個人の勝手でしょ、というthinking outside the box(既成概念にとらわれずに考える)ことから始めよう。もう、ちょっと遅いけどな。

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