忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「汚ねえ花火だ。」byベジー●

2009年08月01日 | 過去記事
■2009/07/31 (金) 「汚ねえ花火だ。」byベジー●1

もうすぐ「宇治川花火大会」である(8/10)。今年のテーマは「源氏ろまん」。ちなみに有料の観覧席は早くも売り切れ御免。宇治川上空に1500発のスターマインが平安王朝を蘇らせるのである。嗚呼ぁ源氏ろまん・・・お菓子の名前みたいだが、それが宇治っぽい。

そういえば、昨年は見ていない(私だけ)。

仕事で大阪にいたのだ(泣)。しかも、忘れていたし(大泣)。

しかし!今年はばっちりである。仕事は休む!!(労働者の権利!)

んで、酒を用意して、酒を用意するのである。「花火酒」である。

ん?

どうせ、在日パチ屋は贅沢にも有料の観覧席を買って、2000円くらいする弁当食べながらわけもわからんのに花火を見て、まんせーまんせー言うのだろうってか?(被害妄想よろしく)ったく、人種差別はなっしんぐだョ。ちゃんと、たまやーとか言うョ。

そんな、あんた、このご時世、花火観るだけで有料観覧席なんぞ買いますかいな。んな、贅沢な。金払って野っぱらに座らされるてどんだけですか。買いませんとも。

だって、

自宅のベランダから観れるんだから!!うぇーはっはっははは!!

なんであんなクソ暑い中、ドンちゃんでもあるまいし、大嫌いな人込みに交じって花火なんぞ観ねばならんのか。宇治川に飛び込んでしまいそうである。私はクーラーの効いた部屋から、勇気を出してちょっとベランダに出て観るのである。んで、酒飲んで、たまやーと言ったらすぐ戻る。妻と倅は暑さに強いのでずっとベランダにいるだろうが、私の場合は生命にかかわるからダメなのである。ちょっと出て、すぐ戻る。その際、犬は踏まないようにせねばなるまい。

「2」へ

■2009/07/31 (金) 「汚ねえ花火だ。」byベジー●2

また、ちなみに、妻は花火が好きである。大きなものでなく、例えば線香花火なんかで十分なのだが、まあ、帰りにこっそりと買っておいて、家に着くと「コンビニでも付き合ってョ」なんて言って誘いだしてな、んで、近くの川に行くのだ。そして、徐に花火とバケツなんか取り出してな、「わぁ~~♪花火やぁ~~♪」とか言わすんだ。缶コーヒーとアイスを買ってね、昔話しながら孫の話とかするのである。そして、

線香花火が消える瞬間・・・儚いなぁ~~・・・小さくなった先っちょが、静かにぽとりと落ちて行く。願わくば、この線香花火のように消えて落ちたいと思う。ささやかな火花を散らし、派手な音もせず、ただ、静かにぱちぱちと・・・・そして、たまに草履の生足に直撃して、その存在感を示すのだ。小さいのに熱っちぃぃぃいい!!のである。

ンで―――――

宇治川花火大会は今回で49回を迎えるわけだが、日本の国会は45回目の総選挙に向けて、早くも花火を打ち上げている。ま、たまやーとは聞こえないが。

その中でも、でかくてうるさくて不細工な花火は見るに堪えない。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20090730/20090730-00000049-nnn-pol.html
<3日前にマニフェスト知らせた~鳩山代表>

もう、なんか、真面目に頑張っている民主党議員が可哀そうになってきた。もしかして、コレが作戦なのか。いわゆる「同情票」狙いなのか。

<民主党・鳩山代表は29日、27日に発表したマニフェストについて、「あれは政権政策集で、正式なマニフェストではない」と述べたが、30日に長野・飯山市で行った講演では一転、「マニフェストを3日前に国民に知らせた」と話した。>

マスコミも、もう「報道しない」ことでしか庇えない。安全保障に関する「現実路線」や「柔軟姿勢」も結構だが、ならば、コレはどう表現すればいいのか、わからんのだろう。マニフェスト発表会と称した集まりで、マニフェストと表紙に書いた資料をもって、コレがマニフェストですと国民に言っておきながら、次の日には「あれはマニフェストではなかった」と言って、3日後には「国民にマニフェストを知らせた」と言うのである。

「3」へ

■2009/07/31 (金) 「汚ねえ花火だ。」byベジー●3

まあ、それでも、「ブレている」とか非難されているが、それはちょっと違う。公明党も「“本当に”ブレている」とか言っているが、ちょっと違うのである。ブレているのではない。

酔っ払っているのだ。

安モンのオヤジの言い訳と同レベルではないか。酔っぱらいが花火を上げているだけだ。

観客も酒に酔って、わぁわぁ言っている。花火は打ち上げられたら、それで終わりだ。わぁキレイ!とか、すごいねぇ~~と喜んだら、あとはゴミになるだけだ。

花火は派手なほど人が集まる。地味な線香花火に人は集まらない。しかし、“平穏な日常”というものは線香花火のように地味で静かに過ぎるものだ。“慎ましく日々を生きる”ということは、線香花火のように儚いものなのかもしれない。しかしながら、それはそのほうがいい。毎日、ドカドカと派手に打ち上げられたら迷惑極まりないと思う。

宇治川の花火大会も、昨年度は22万人が観に来たらしい。でも、紫式部をイメージした紫色の花火が打ちあがって消えれば、みんな、どこかに行ってしまう。

これを“儚い”とは言わない。

祭りの後は“虚しさ”が漂うのである。

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いいなぁ ()
2009-08-01 22:42:56
ベランダから花火が見られるんですかー。
今日は宇治ですごい突風が吹いたとか…大丈夫でしたか??

私は今年は、某ビル(良く知らない)の屋上で
淀川の花火大会(8/8)を観に行きます。

誘拐とかされないように気をつけます。
返信する
Unknown (久代千代太郎)
2009-08-04 12:54:30
それより、飛んでかないように気を付けるんだっ!カラスにも気を許したらダメだっ!
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。