忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

総重量の内訳(我が家の場合)

2011年09月04日 | 過去記事
とある真夜中、自室にて本を読んでいると、小さな子供の泣き声がした。近い。窓のすぐ下、駐車場のところだと思った。1分ほどが過ぎた。さすがに気になり始めたから、タバコに火をつけてベランダに出た。すると、駐車場の車と車の間に男の子がいた。4歳か5歳だと思う。そらもう、でかい声で泣き叫んでいた。

時間は1時半くらいだった。近くに親はいないのかと探したが見当たらない。私の自宅周辺は比較的静かである。真夜中に子供の泣き声が響くことも、この数年間で記憶にない。こんな時間に迷子か、それとも誘拐された子供が身代金と引き換えに解放されて捨てられたのか、と思いながら、あーもう、めんどくさい、と携帯電話を手にして外へ出ようとしたとき、ヒステリックな男の声がした。

うるさい!と言っているようだった。ベランダから確認すると、その子供の母親らしき女性もいた。女性はもうひとり子供を抱いていた。親と思しき大人を見つけた子供は、更に大きな声でやった。男は構わず、泣き叫ぶ子供に、どうするんや!と吼えている。

そのうち、女性が周囲を見渡したら、私とばっちり目が合った。子供に怒鳴る男の背中を叩いて、私のいる、つまり、我が自宅のベランダの方を目で指した。男は怒鳴るのを止めたが、しばらく、こちらをじっと見ていた。私は隣のベランダも見てみたが、どうやら覗き込んでいたのは私だけだったようで、この男は私に対して「何見てるんだ?この野郎」とも言いたいのだろうと察した。呆れた私は顔の前で手を組み、より一層の凝視を決め込んだ。

非常識な。子供のしつけか何か知らんが、この閑静な都市住宅公団周辺で安モンの餓鬼の鳴き声を、真夜中、堂々たる中流家庭の皆様方がすやすやと眠りにつく時間帯に響かせるとは言語道断、今から貴様らに常識のなんたるかを体に刻みこんでやるからそう思え、という意志を込めて、私は力の限りの「じっとり」具合で見つめていた。

すると、男は泣き叫んでいた子供の手を引いて、駐車場の向こう側へと歩いて行った。小さな子を抱いた女も後に続く。交通事故の可能性もある深夜の駐車場に、年端もいかぬ幼き子供を放置していた理由はわからないが、この家族(?)が我が都市住宅公団の住人ではなかったことに安堵しながら、私は自室に戻り本の続きを読みながら寝た。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110902-00000014-mai-soci
<<大阪7歳虐待死>「逆恨み怖かった」 隣家通報ためらう>


捕まった44歳の継父は「プロレスごっこをしていた」と供述した。殺された7歳の翼くんは「お便所に行かせていただいてよろしいでしょうか」と継父に許可を得ねばならなかった。小学校2年生がトイレに行くだけのことをこのように言い、対する継父は「逃げるんとちゃうんか」と怒鳴る関係ながら「プロレスごっこ」とはよく言ったモノだ。この40過ぎの無職、人殺し生活保護のカスは私が「プロレスごっこ」してやるから遊びに来い。

ここにも書いたが、私と倅に血の繋がりはない。つまり、私も最初は「母親の彼氏」だった。それから「継父」ということになる。「躾」はしたつもりだ。もちろん、体罰も含む。

手を上げたのは中学生くらいまでだ。喘息持ちで体も気も弱かった倅だが、小学校高学年ころから空手道場に通い始め、その動機をこっそり母親、私の妻には打ち明けていた。

いつか、強くなってブタゴリラを倒す――――



私のことだ(笑)。しかし、鍛えるほどに「こりゃ有段者になっても無理だなww」という現実に突き当たる。私は80歳になっても負けるつもりはないからだ。適わぬなら寝込みを襲うだけだ(笑)。彼女が出来たら人質にするという手もある。武器を捨てろ。

ということで、いくつか思い出そう。鮮明なのは、倅が小学校2年生ころか、ちょうど殺された翼君と同じ年の頃だ。しばらくぶりに私が帰宅すると、当時の家の玄関に並べられていた「7人の小人」のひとりが欠けていた。それは陶器で出来ているアレだった。どうしたのか?と聞けば、倅が親子喧嘩の末、妻に向かって投げつけたのだという。もちろん、当たらなかったし、当たるようには投げていないとのことだった。

倅はまだ余裕だった。普段は面白くて優しいブタゴリラだ。大人のはずだが、終日、一緒にバイオハザードもしてくれる。そこはいつものように、子供らしく「ごめんなさい」で済むと決めつけて疑わない倅であったわけだ。

私は事の一部始終を静かに聞いた。しかし次の瞬間、倅の胸倉を掴み片手で天井まで持ち上げた。そのまま部屋の窓を開けて、倅の背中に外の風をあてた。当時は4階だった。



―――お前のお母さんはオレの大事な彼女。オレの女を怪我させたら殺す。いいな。



お母さんにそんなことしてはいけません、モノを投げてはいけません、そんなことはどーでもいいと教えた。どうやら「オレの女」のくだりがわかりやすかったらしく、倅は「お母さんが怪我したらブタゴリラに殺される」と認識した。だから今でも毎晩、リビングの座イスで寝てしまう母親の布団を敷く。我が妻は気を許せばすぐ、座イスを倒してその上で丸まってしまうからだ。ちょうど座イスがお皿のようになり、我が妻はその上で「卵焼き」のようになっている。そのままでは風邪をひく可能性もあるので、倅は慌てて布団を敷き、巨大なスティッチのぬいぐるみを用意し、お母さんを寝かせるのであった。ちょっと可哀そうなのである。

次は中学2年生だったか、姉の財布からくすねた。5千円だと言う。案の定、その金は同級生の悪餓鬼にやられていたと後で発覚する。何かの約束を強引にさせられ、それを破るように仕向けられ、その弁償だと言って巻き上げる。最近の餓鬼は、私が学生のときのように素直ではないから、単純に「金を出せ」とはやらないのだという。不良とか悪者の誹りを背負う根性もなく、あくまでも「正しいのはこちら」だというスタンスを確保してからやる。さすがは戦後骨抜き教育の賜物だ。立派な卑怯者が育っている。あ、ま、まあ、私の学生時代も似たようなモノかw

ま、ともかく、そのときは強烈だった。おそらく、今まででいちばん、心身ともに倅へのダメージは深かったはずだ。倅曰く「本当に殺されると思った。信じられないくらい痛かった」と後に感想を述べている。

お姉ちゃんは軽く「言いつけた」程度だった。あんた!お父さんに言うたるからな!ってなもんだった。玄関を開けた私に娘は抱きつき、財布から5千円もくすねて「しらない」で通そうとする倅を叱ってぇ~と、ぺろっと舌を出す勢いでやった。私は真意を質そうと倅に大真面目に問うた。やったのか?

お母さんやお姉ちゃんになら「しらないってば!」が通じた倅であったが、もちろん、私には通じないと知っている。だから、すぐに「うん、ごめんなさい」ときた。私は聞き終えることなく、倅をベッドから引きずり落とした。そして胸倉を掴みビンタ、持ち上げてから叩きつける。そして、背中あたりを避けながら、臀部や大腿部を蹴る。ニヤニヤしていたお姉ちゃんも顔面蒼白、泣き叫びながら弟の上にかぶさった。悲鳴だった。

私はふん、と鼻息も荒く、自室に戻る前、妻にこっそりと「鼓膜が破れてないか見てやってくれ」と頼んだ。ビンタの角度がずれた。

しばらくすると、妻に連れられた倅がやってきた。後ろにはお姉ちゃんもいる。なぜだか「被害者」であるはずの娘も謝っている。それから妻と娘を部屋から出し、倅と二人で話し合った。そこから例の悪餓鬼が発覚する。やったほうもやられたほうも、親に、大人にバレてよかった瞬間だ。

私は学校にも乗り込み、何人かの「仲間」の親にも連絡、主犯の親も自宅に呼んで話し合った。その辺りのことを詳しく書いた日記が「さるさる日記」にあったのだが、つい最近、消えてしまっていた(笑)。また、いつか書こう。

最近では高校生のときとなる。いや、もしかすると、それが最後だったかもしれない。

現在の自宅だ。メシが出来た、ということで喜んでリビングに行くと妻だけだった。娘はもうトカゲに連れ去られていたが、そこに倅の姿はなかった。どうしたのか?と問うと、妻がぷりぷり怒っている。妻が「やっておいて」と頼んだ家の手伝いをやっておらず、それを咎めると、倅は「勉強も忙しい」と文句を垂れたとのことだ。コレは我が家では禁句である。この言葉を吐くたびに、倅は憂い目に遭うことになっている。何度かある(笑)。

そういえば、最近、こいつはこういうこと言うよな、と思い出した私は良いタイミングだと思い、妻に大きめのコップに水を入れさせ、それを持って倅の部屋のドアを蹴り開けた。倅は机に向かっていたが、その背中から諦めと覚悟が伝わってきた。私はそのまま、コップの水を頭からぶっかけ、後ろから一発、横っ面を張り倒した。倅は椅子から転落したが、そのままじっとしていた。



――――もう勉強は禁止だ。一切の勉強を禁ずる。直ちに学校を退学、速やかに就職し、毎月、家に金を入れろ。とりあえずは給料全額でいい。足らない分は借金させてやる。



私はふん、と鼻息も荒く、自室に戻って本を読んでいた。ほどなくして妻に連れられた倅がやってきた。ごめんなさい、勉強させてください、学校に行かせてください―――




――――よろしい。ならばお父さんもお母さんも、一所懸命働いて学費を出してやる。全力でお前の人生を応援する。優先順位を忘れるな。人生には大切なことがいつくかある。「家族行事」が「友人との遊び」に優先されるように、世話になった人の葬式や、大切な友人の結婚式、勤めさせていただく会社の忘年会が「ツレの飲み会」よりも優先されるように「家の手伝い」は「自分の勉強」よりも優先される。つまらん自分自分の人間になるな。





しばらくして、そういえば、メシを喰っていないと思い出した私はリビングに行った。そこでは妻と倅が一緒に、びしょびしょになった倅の教科書をドライヤーで乾かしていた。私は邪魔しちゃ悪いな、と思って部屋に戻った。腹が鳴った。





よく「母親の彼氏」やら「継父」とやらが妻の連れ子を「しつけ」だと称して殺す事件がある。幼児虐待は騒がれているはずだが、コレが一向に減った気がしない。私の職場にも何人もの「子連れ彼女」がいる。最近はもう、あまり珍しくもない。そういえば職場の「韓流おばさん(本物)」もそうだ。携帯電話の中の朝鮮タレント、名は忘れたがナントカいうのをダーリンと呼ぶ彼女だが、現実の世界にも彼氏がいた時期があり、それはやっぱり「子供が原因」で別れたのだという。その別れた原因とやらを無理矢理聞く羽目になった私だったが、思わず、その通り!正解です!素晴らしい!あにょはせよ!と絶賛してしまった。

「お父さんになろうとするからウザかった」

それは無理なのだ。限りなく近づけども、決して辿り着くことはないのである。「継父」とは言うが「継夫」とは言わない。夫や妻になるのに後も先もない。つまり、現在の関係が正式なモノとされるし、その前はともかく、後を言うなどナンセンスが過ぎるのも常識だ。しかし、親と子とはそうはいかない。親とはなにがあっても親だからだ。だから、そこには「継ぐ」という概念が存在してもいい。

私は倅を殴るとき、最も気を使うのは妻だった。倅からは恨まれようが、ブタゴリラと称されようが、いずれは、嗚呼、このおっさんが面倒みてくれたんだなぁ、というリアルがわかるときがくる。つまり、娘や倅からすれば、私は真面目に働いて妻と仲良くしていればいいだけとなる。しかし、妻からすれば腹を痛めて産んだ我が子、いくら惚れた男とはいえ、理不尽、且つ、単なる「暴力」に対する嫌悪感は如何ほどのものか。いや、それは正当な理屈に裏付けされた「躾」であっても受け入れ難いはずなのだ。

私が信じられないのは、連れ子を虐待死させるような「弱いオス」ではなく、また、他人事よろしく、見て見ぬふりをしておきながら、何かあれば「通報すればよかった」と抜かす呑気な近隣住人でもなく、実際にそれを許してしまっているバカな母親だ。愛情があっても受け入れ難い我が子への体罰、それを理不尽に不条理に、我が子が他人の男に「便所に行かせていただいてよろしいでしょうか」という口を利かねばならぬ境遇を、なぜに看過することが出来るのか。市の「こども相談センター」なども「SOSを見過ごしてしまった」というが、これもある意味、近隣住人でさえ<通報したのがばれて、逆恨みされ、トラブルに巻き込まれるのが怖かった。今は後悔している>という始末、要するに他人が関与できる限界があるということだ。ならば、つまり、

子供を護れるのは親しかいないではないか。



ここにも何度も書いた。「母親の彼氏」とはともかく、普通の彼氏の彼女、あるいは夫の妻として判断、評価せよと。惚れた女が産んだ子だ、血の繋がりがどうのと抜かす前に、惚れた女が命よりも大切にしているならば、男としてそれは等しく護らねばならない対象である。はっきり言って、私には最初それだけだった。それでなくとも「子供嫌い」の私である。モノの道理の通じぬ下品な餓鬼など近づきたくもない。ベランダからは保育園が見えるが、毎朝、とてもやかましいから、いつの日か全員、スコップで宇治川に流してやろうかと思うほどだ。私にはまだ、目を細めて子供を見護るような感覚はない。それが愛くるしい赤子でも、けらけら笑っていれば可愛げもあるが、これがぎゃんぎゃん泣きだすと、もう、私には「うるさい物体」にしかならない。

だから、私は以前から、帰宅して「ただいまぁ~」とデレデレして抱き上げるのは妻だけだった。コレは必ずやる。今でもやる。「行ってきます」は極力、ちゅーもする(笑)。今もだ。比して子供らが「おかえり」と言ってくれても、私は普通に「おう」だけだった。抱っこもそうだ。娘にも倅にも望まれない限りやらない。それでも娘は「お母さんばっかりずるい!」と言いながら抱きついてきた。そんな可愛らしい娘を「嫁にする」という意味不明な理由でトカゲは連れ去った。ああ、ちくしょう。先日、通勤途中のアスファルトにトカゲを見つけたが、踏み殺してやろうと思ったけど気持ち悪いから止めたほどだ。

ときには、そこに倅も入れて3人まとめて抱き上げることもあった。犬も飛びついてくるから「3人+2匹」となる。私にとってこの「重さ」のすべてが「妻」なのだ。子も犬もすべて「妻が愛すべき対象」ならば、それごとぜんぶ、ひっくるめて「私の愛する対象」となるだけだ。世の男どもは人様の大事な娘さんを独り占めにするなら、コレくらいの器量は示してもらいたいモノだ。だから、娘を連れ去ったトカゲは自分を殺して喰おうとする私すら愛さねばならない。だって、今でも娘は私に抱きついてくるからだ。

3 コメント

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Unknown (鷹侍)
2011-09-04 23:05:01
いやー、男臭すぎてすごくいい日記でした。
そう言えば主観で恐縮だけど世間を見るに父から子よりも祖父から孫の場合の方が血の反映が顕著な気がしてます。

それは趣向や仕草に始まり生きていく上での感覚やセンスまで多岐に渡りすぎてうまく説明は出来ないのだけれど、ちよっぺはいつか聞かせてもらったおじいさんのカラーが強いのでは?と全体文章の前半ぐらいから勝手にそう思いました。

相変わらず思慮深いなぁーと感じたけど、その前にこの日記に書いてあることって考え方よりも感覚だと思う。
男臭いわーw
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Unknown (Sugar)
2011-09-08 00:39:19
全く、おなじぃー♪です。(拍手喝采)
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Unknown (久代千代太郎)
2011-09-10 07:21:49
>たかっちゃん

おじいちゃんの色が強い、はうれしいね。英蘭軍が逃げるね。そりゃ。



>シュガーちゃん

ありがとぉー♪です。(感謝感激)
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