忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「ふふのふ」のはなし

2011年09月02日 | 過去記事

先月、京都市の病院で認知症の女性入院患者(80)が、看護助手の佐藤あけみ容疑者(37)から「足の爪を剥がされる」という事件があった。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110827/crm11082702000001-n1.htm

事件前、佐藤容疑者は病院側から「2人体制」で仕事をするように指示されていた。おそらく、作業能率が著しく悪かったのだろうが、佐藤容疑者は<上司との人間関係でいらいらしていた>と供述している。しかしながら、事件を起こした、あるいは起こしていたのは、いずれも単独での仕事の際だ。現場の状況次第では、佐藤容疑者ひとりで高齢者の介護をしていたわけだ。つまり、徹底されていなかったし、現場の上司や同僚も協力的ではなかった。コレは病院側の指示と現場職員の感覚が乖離したまま、もしくは、根本的な問題の解決を怠ったために発生した「虐待事件」である。

しかし、だ。ちょっと考えてみると、この病院側の「能率が悪いから2人体制でやれ」という指示はおかしいと気付く。なぜというに、絶対的にそのほうが能率は悪いからだ。

では、なぜ、病院側はそのような指示を出していたか。

答えは明白だ。そこには「危険があった」からに他ならない。介護技術が未熟であるということは、そのまま高齢者の危険を意味するからだ。移乗の際に転落させてしまう、体位転換などで怪我をさせてしまう、食事介助などで誤嚥させる、体調の変化に気付かない、などがあるが、最も怖いのは、その杜撰な性格からなる無頓着だ。

普通、そのような職員がいれば、クビにするか、ポジションを変えるか、辞めると言うまで干すのか、あるいは徹底した再指導を行うしかない。ともかく、安心できる仕事が確認されるまでは「利用者、患者に触らせない」という配慮は不可欠となる。

実習生などでも安易、且つ、積極的な人材なら、隙あらば利用者や患者に対して介護を行おうとする場合がある。学校で習い、目で見て「簡単じゃん」ということだが、これが施設やら病院でみつかると、顔色を変えて叱られることもある。その理由は言うまでもない、危険だからだ。

また、私はこの業種の特徴ではないかと思い始めているが、新人や職員の「育成システム」がない場合が多い。どこも人材も経営も苦しく、実際の現場で「教えている時間も余裕もない」とのことだが、コレが如何にナンセンスなことであるか。ちなみに、私が通う施設では最低でも月に1回、職場上司や有資格者が「介護技術研修」を行うことになった。以前から同じようなモノはあったが、コレはやはり形骸化しており、どこかのナントカ先生が来て、小難しいことを述べて帰るだけだったので、参加者は非常に少ないというのが現状だった。

改善した介護技術研修も自由参加だが、存外、この参加比率が高いのだと、施設のエライさんは驚いていた。たしかに研修室は満員となる。前回は通路にまで溢れるほどだったが、それは休日の職員だけではなく、仕事終わりの職員もそのまま参加するからだ。

「ナントカ先生」を呼ばぬなら、先生様の都合に合わせて昼からする必要はない。特別養護老人ホームの昼は戦争だ。つまり、研修開始時間を夕方6時以降にすることにより、多くの参加者が見込まれる。6時に勤務終了となる職員は「お疲れさまでした、お先に」というには、何か所用、用事もいる。付和雷同がヘルパーをやっているような職場だ、え?あんた帰るの?と言われれば、いや、それじゃあ、ということで研修室に座ることになる。また、女性や若い参加者は何かと理由をつけて、その後にメシに行ったり、飲みに行ったりしているようだ。休日の女性職員らはばっちりとお洒落を決め込み、この日のために用意したぶりぶりの服を着込んでやってくる。ま、予想通りだった。

また、この道20~30年のベテランが、いまさら基礎中の基礎を習う姿は後進のモチベーションを向上させる、とのことで、私は直接、そのベテラン女性職員に「一緒に来て、細かいところとか教えてくださいよぉ。そのあと、飲みに行きましょうよぉ」と口説いてもいた。御蔭で御贔屓にされて困っている。

それに、だ。講師を「職場上司にやらせる」というのも、4か月ほど前に私が提出した「改善案」に含まれていた。そこは譲れないポイントだと書いてある。


狙いはいくつかある。

先ず、現場上司を尊敬する場を与える。感心されると上司も気分は悪くないから、またまた次の月までには勉強もする。現場でも熱心に部下の仕事を見る。教えたことを実践していれば褒めることもする。部下は褒められたら嬉しいので、もっと教えてくれとなる。これを「ピグマリオン効果」という。

また、研修後のコミュニケーションも活発となる。なにしろシフト管理しているのは、講師である上司だ。次の日が仕事なら帰る人、メシだけ付き合う人、最後まで飲む人、次の日の人員管理を把握する立場の人が仕切ることが可能となる。視野狭窄に陥りやすい中間管理職だが、雑多な事情を抱える部下の「時間管理&勤務管理」をすることで全体的に物事を考える癖もつく。

「仕事以外の話」が「職場以外」でなされる。これは人材管理上、最も重要度の高い「雑談」が行われる場となる。互いに「情の貯蓄」がなされる。上司は部下に注意指導しやすく、部下は上司に「思ったこと・気付いたこと」をなんら躊躇せず申告することが出来る。イデオ・シンクラシー・クレジットだ。

ま、デメリットもあるが、適度に運営することでメリットを最大限に引き出すことが可能だ。コツは「やりすぎないこと」だ。これはもう、私も学んだ(笑)。


また、こういうことができるようになるのも、きちんと「不要な人材」を切ることができたからだ。職場の軋轢からストレスを溜め、高齢者の抵抗でブチ切れて「生爪を剥がす」ような狂人やら、遊び半分、車椅子を押しながら走って喜ぶ馬鹿を切る、飛ばすことが出来たからである。それだけでも職場のモラルは向上する。

有名なアレだが、人材とは以前、私は「人財」と書くことに拘った。コレには「人財・人材・人在・人罪」という4段階があり、つまり、育成管理者の仕事とは「在から材に、そして材から財に」ということであり、そこに「罪・人罪」は不必要、というか、民主党と同じく、有害なだけだということだ。

また、現場管理者、育成指導者にはそれらを見つけ出すアンテナ、峻別する明確な判断基準、こいつダメだ、と決めつける勇気(笑)が必須となる。今の私の立場ではまだ、直接的な権限はないので、小沢一郎のように「院政・笑」で対処しているが、それでもずいぶん改善されてきた。半年前からすれば、とても変わったと自負している。まあ、まだ今は現場だけだがな。ふふふのふ。

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