忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

けてーい。主演男優賞。

2009年10月28日 | 過去記事
■2009/10/27 (火) けてーい。主演男優賞。1

休日。週に一度、「妻の相手ができる日」である。たまには娘や倅や孫も、である。基本ベースは「妻」をメインに組み立てられている。今日は嵐山のトロッコに乗るという予定だったのだが、あいにく天気が言うことを聞かないからどうしようかと・・

それにしても、妻である。トロッコに乗りたくないと駄々をこねる。理由は「怖いから」だという。しかし、そこはもう、一緒になって14年。何かおかしいと気づく。

「だってなぁ、ブレーキが鉄の棒とかやんか。」

ぴこーん。なるほど。すぐにわかった。

妻は嵐山から亀岡までの間、のんびりゆったり走るトロッコ列車と「インディージョーンンズ」の区別がついていないのである。そら、怖い。というか、むしろ、そこらの絶叫マシーンが揺り籠に感じる。もしくは、あの「網走番外地」に出てきたような、雪を切り裂いて猛スピードで走るトロッコを想像していたのかもしれない。いずれにしても、毎日、誰か死んでいるはずだ。アレは「健さん」しか乗りこなせないのである。

てな感じでトロッコの誤解は解けたのだが、いかんせん、天気が悪い。仕方がないから「お決まりパターン」であるも、映画なんぞ観に行こうかと提案すると、妻はなにやらわからん題名を口にする。なんか、「私の中のあなたは私の婿になって僕を見つけた日は初恋を君に捧ぐ?」みたいな感じになっている。実にややこしいのである。

しかし、まあ、いつも私が決めているから、たまには妻が観たいという映画に付き合うことにする。だったら早く用意をせんと、あの良い感じの席が取れないからと急いでいると・・・なにやらテレビで渡辺謙が泣いているではないか。
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気にはなっていたのである。ちょっとだけ観てみようかな・・と思ってはいたのだ。そして今、50歳になる世界的俳優が泣きながら舞台挨拶している。御巣鷹山墜落事故の遺族の方々、被害者の方々の想いを受けて・・・と、ここまで(上映まで)これるかどうかわからなかった・・・と感極まっているのである男前がである。これは観に行くしかあるまい。

「2」へ

■2009/10/27 (火) けてーい。主演男優賞。2

妻の「えぇ~~~ぇえ~~ぶーぶー」という文句にもめげず、拝み倒してこれに決まった。映画館(イオンシネマ)へれっつだご。おかだ、よろしくな。

いやぁ、どこを向いても「老夫婦」である。結構な人がいる。盛況なんだなぁとポップコーンなどを買って用意する。なんと言っても3時間半以上の長丁場である。途中、10分間の休憩をはさんでいるらしいが、できればそのタイミングでトイレなどを済ませたい。こんな長いのは「キングコング」以来である。そりゃ、気合も入る。

しかし、始まって1時間も経たぬのに、既に私の心の中の私は「あちゃぁぁ~~(泣)」となり始めていたことを告白せねばなるまい。もちろん、妻はポップコーンのキャラメル味を食べ、カルピスを飲んでもう寝ている。あとは風邪をひかないようにジャンパーをかけてあげれば2時間は寝ているだろう。なんというか、長いしアカいのである。だから評価は「A」とか「B」ではなく「赤」としておく。

ネタばれもクソもないが、ともかく、単純な映画だ。中身は「蟹工船」だ。

ともかく、階級社会は悪者だ。「体制側(笑)」はともかく悪いことばっかりする。描写も素晴らしい。渡辺謙は(俳優に恨みはないがww)、倅を連れて牛丼屋でメシを喰う。家では家族4人でざるそばを喰っている。いつも一所懸命に「仲間(笑)」のことを考えており、ヘルメットをかぶって飛行機の整備に立ち会ったり、一番機と呼ばれる「元旦発」の飛行機に手を振っていたりする。ともかく、仕事人間であり、会社の犠牲者であり、労働組合のリーダーであり、体制側に虐められてばかりである。

「3」へ

■2009/10/27 (火) けてーい。主演男優賞。3

一方、映画の中の架空の航空会社である「国民航空」のエライさんは、常に悪巧みをしており、ステーキハウスや高級中華、割烹料亭などでメシを喰っている。常に、だ。渡辺謙と石坂浩二がヘルメットをかぶり、点検を次の到着地に持ち越す「キャリアオーバー」などを問題視し、それら現場の声を聞いた石坂が「乗客の安全のためになるのだったら是非やりましょう!」と理解を示し、革新的な業務改善に精を出している間、国民航空のエライさんは、美女を連れて豪華クルーザーにてワインを飲んでいる。

三浦友和が演じる「行天四朗(ぎょうてん しろう)」は当初、渡辺謙演じる「恩地元(おんじ はじめ)」と同じく、国民航空の労働組合に所属しており、委員長と副委員長を務める「同志」であったのだが、社長や常務などの「体制側」による工作により、副委員長であった「行天」は取り込まれてしまう。労働者の味方を止めた「行天」は出世街道をまっしぐら、賄賂に不正になんでもこなす「悪者」と成り果ててしまう。比して、常に信念を曲げず、「仲間」を守り続けようとする「恩地」は左遷を繰り返される。曰く「懲罰人事」である。

かつての「仲間」がボロボロの倉庫で働かされたことを知った「恩地」は嘆く。「仲間ら」は「これは人事差別です」とかつてのリーダーに訴える。

彼らは「中古機などからの資材を売り捌くセクションに回されたのだ」と嘆く。「こんなところで働かされているんですよ!!」と憤る。「監視役として新しい組合の上司もいる」と睨みつける。

「ボロボロの倉庫」で働くことも「上司の監視下」にて働くことも、それらはとくに「おかしくない」ことを彼らは知らない。彼らの心に「中古品をさばく仕事」に対する差別心があることはよくわかったが、会社や企業には「誰かがやらねばならぬ仕事」は当然あるのだということもわかる。

そしてそれらの仕事を「差別」だと誤認して騒ぐ彼らは、自分らが勤める国民航空の正面玄関の前でデモをやるシーンが度々出てくる。中には勤務中に「闘士」の仲間たちで撮った写真を見つめ、一緒に戦ったあの日を思い出して感慨にひたる者もいる。

「4」へ

■2009/10/27 (火) けてーい。主演男優賞。4

会議の席にて「悪者」とされる役者が「おまえらは、通常の業務をせずに組合運動ばかりしていた!」と非難するシーンがある。映画では「ほら、こんな理不尽なことを大声で言うんですよ、組合活動は労働者の権利ですやんねぇ~酷いですねぇ~」としたいという意図が隠し切れていないのだが、普通の感覚で観れば、「どちらがおかしいのか」に論は待たない。もう、そんな時代ではないと気づいていない。

「行天」は慢性化した不正を密告されて東京地検に捕まる。これをいかにも「体制側に回ったが故の末路」と仕立て上げたいのだろう。しかし、「行天」が捕まるのは不正をしたからで出世したからではない。また「出世するには体制側の操り人形にならねばならない」ということも妄想だ。体制側にも「恩地」のように懸命に働く人間もいる。というか、ほとんどが「恩地」なのだ。家族のために働いている人間、職務を全うしようと懸命になる人間らに支えられて、今の日本の社会もどうにか成り立っている。決して「運動」によって社会が成るわけではないのだ。

体制側に取り込まれた「行天」には愛人がいる。愛人は「企業スパイ」も兼ねている。「行天」は愛人に暴力を振るう。金を払ってホステスを用意して政府要人に抱かせる。事故の被害や遺族にも「心ない」言葉を用いて「処理」しようとする。

労働者の権利を守る「恩地」には家族がいる。外国にまで付いてくる家族がいる。「恩地」は真面目で優しく責任感が強い。贅沢はせず、母親想いで、事故の被害者や遺族に心を痛める。親身になって接し、遺族感情を和らげる。

「行天」は同僚の女性にいきなりキスをする。そして愛人にする。
「恩地」は妻が手をつないでほしいと差し出すも照れて誤魔化す。

私はこっそりと「三浦友和」に主演男優賞を贈りたい。

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